2020年03月30日

早い目標 到達

10年少し前に、終の棲家 をどうするか?考え、家の立替え を決意しました。

それまでの家の不具合を洗い出し、今後 高齢が進む中で必要となる居住性( 介護の受け易さ)/
快適な住環境を得られる仕様などを勉強し、建築注文仕様を決め 立て替えをGO と しました。

完成引き渡し予定は2011年3月末でしたが、3月11日に東日本大地震が起き、断熱材・付帯設備
などの供給不足が起き、新居への引っ越しは1ヶ月遅れとなってしまいました。

3月11日までに屋根は出来上がっており、エコ住宅を目指して発注した太陽光発電設備に納入遅れはなく、家の引き渡し前の3月25日から 太陽光発電 が始まりました。

一方、原発事故での計画停電がスタ-トしており、未経験の計画停電から、僅かながらも自家発電を行えるようになって良かったと思ったものでした。

注文の建築仕様では、太陽光発電に最適な屋根の角度を取り入れ、小さな家の屋根に3.6Kw のパネルを乗せました。

自家発電がスタ-トしてから、10年目までに 4万KW 到達出来れば上出来と期待していましたが、
先々週の3月20日に累計4万KWの発電となり、1年も早い目標到達を、嬉しく思っています。

1年後に10年が過ぎ、政府による「家庭の太陽光発電 高額買い取り制度」が終了します。 今から自家発電の電力をどう対処すべきか?情報集めがテーマとなってきました。

    〈 4万KW到達へのお祝い花火 〉             〈 モニタ-に出るソーラ-タウン 〉




  


  • Posted by ボブ at 10:23Comments(0)雑記

    2020年03月20日

    明るいニュ-ス

    連日、新型コロナ肺炎に関連した暗いニュ-スが続いていますが、3月17日の新聞に 「池江選手、プ-ル に」 のニュ-スが載りました。

    東京オリンピックで金メダルが期待されていた 池江璃花子選手 は、昨年二月に難病の白血病と
    診断され、それ以来 壮絶な闘病生活を送っていたものですが、昨年12月に退院でき、リハビリを
    進めていたものでした。

    ニュ-スの写真は、プールに入り明るい笑顔でピ-スサインの池江選手が写っており、久しぶりに
    明るい気持ちにさせられる報道でした。

    難病を克服出来たのは、彼女の闘病での頑張り・最新の進歩した医療技術・多くの方々のサポ-ト等々があってのものですが、それらの中に亀戸香取神社の 池江璃花子選手病気平癒祈願
    有ったのも思い出しました。

    私は昨年4月と5月に、1350年余りの歴史を持ちスポ-ツ振興の神を祀る 亀戸香取神社 をお詣りしましたが、神社が 池江選手の病気平癒を祈願した額を、拝殿に掛けているのを目にしました。

    神社の参拝の後、私は 勝守り を授かっていますが、境内に 「スポ-ツで勝つ・病気に勝つ・自分に勝つ」 のポスタ-を見ており、今回の明るいニュ-スは神社の病気平癒祈願の祈りが、通じたものと
    確信しました。

      〈 池江璃花子さんへの病気平癒祈願 〉            〈 授かった勝守りのポスタ- 〉







     









      


  • Posted by ボブ at 11:13Comments(0)雑記

    2020年03月07日

    ピ-スボ-ト船上の難民

    ア-カイブ記事            公開 : 2015年2月19日

    大型旅客船は海に浮かぶホテルとも云われており、ホテルの居心地と共に船での旅を楽しめたらと、昨年7月出航の ピースボ-ト(オ-シャンドリ-ム号) 105日 地球一周の船旅 に参加した。

    出航して驚いたのは船内の騒々しさだったが、1週間も過ぎれば落着くものと思っていた。 
    しかし、時間が過ぎるほどに、船内の人々の騒々しさ・落着きの無さは、増すばかりとなって行った。

    原因の一つは、フレンドリ-タイプと呼ばれる4人部屋で起きる人間関係のトラブル等から、船室に
    寝る時だけしか戻らない 船上の難民 が大勢いた事だった。

    7畳弱の船室に二段ベッドが二つ置かれたフレンドリ-タイプと呼ばれる4人部屋 に申し込むと、
    船側はだいたい同じ年齢の4人を選び、一組の同室者とさせていた。

    見ず知らずの四人が、7畳弱のスペ-スに105日の居住を共にするものだが、4人の中には個性の強い人・我が儘な人・偉ぶりたい人などが必ず居て、乗船後1週間も経つと四人部屋の人達の間に摩擦が出始めるものだった。

    また 三人寄れば、閥が出来る の例えの通り、二人(三人)が組み、気の合わない者に嫌がらせ・
    イジメを行う等を、始めるようになったそうだ。

    英会話のクラスで一緒の4人は、それぞれ4人部屋で乗船していたが、4人とも同室者との摩擦に
    悩み、クラスで会うと常に愚痴をこぼしていた。 やがて70歳を超えた女性は、同室者2人が組み
    嫌がらせ・イジメを行うのに耐えきれなくなり大喧嘩の末、新たに大金を払い二人部屋に移っており、船旅での厭な思い出を作ってしまった。

    狭苦しい4人部屋は寝るだけの場所 だが、4人の一日の行動パタ-ンは異なっており、早寝の人・
    夜中に戻って寝る人など様々で、ベッドに入ると他人のイビキ・セキ・頻繁なトイレ起きなどがあって、アイマスク・耳栓でも安眠は得られないものだった。

    安眠を得られない人達は、昼間の時間に公共スペ-スの椅子・ソファで寝ている人や、ホ-ルで講師による講座が始まると、寝場所を得たとばかり寝込む人が多く、あちこちからイビキが起きていた。

    同室者の嫌がらせを受けている人達は、私物をリュックに入れ常に背負って船内を移動するバック
    パッカ-
    となっていた。 夏の期間の船旅は気温が高く、その暑さの中リュックを背負っての一日は、船旅に期待したイメ-ジから考えられないものだったと思う。

    105日の船旅で、各国への寄港日数は31日であり、残りの74日は騒々しく落ち着かない船上で
    過ごさなければならなかったもので、船上の難民 となった乗船者の満足度は、如何ばかりだったの
    だろうか?

    他人との同室を我慢できない私は、高いお金を払い一人船室を選んだが、静かな船旅が楽しめない四人部屋船室を設ける船会社の旅には、もう絶対参加しないと、決めたものだった。

    旅の後半には、船上の騒々しさを避け船室に留まり、ト-マスマンの 「魔の山」 を繰り返し読んで
    いたものだった。

      〈 35°を超える甲板上のバックパッカ- 〉         〈 講座では、約4分の1が寝ていた。 〉











         〈 二段ベッドが二つの4人部屋 〉           〈 ベッドも私物の置き場所に 〉







      


  • Posted by ボブ at 10:58Comments(0)ピ-スボ-ト体験記