2018年12月14日

五輪ボラ愛称なぜ?

12月12日の新聞に、「 五輪ボラ愛称 来月決定 」 の記事が載りました。

五輪組織委員会は、愛称は 『 統一の呼称により、ボランティアの一体感や誇りを生み出すのが
狙い。』 と説明しています。

五輪ボランティアの愛称案は、ゲ-ムアンカ-/シティアンカ-ゲ-ムフォ-ス/シテイフォ-スシャイニングブル-/シャイニングブル-トウキョウ などの4組だそうです。

この記事を読んで、「五輪組織委員会は、オリンピックでボランティア活動を行おうとしている人々に対して、一体何を考えているのだろうか?」と考えてしまいました。

愛称案の其々は、横文字が使われていますが、ボランティア活動を行おうとしている人々が、これら横文字で呼ばれれば誇りを持つと、五輪組織委員会の人々は考えているのでしょうか?
(高い手当を貰っている五輪委員会の人々は、何かせねばと考えて、さらに無駄な経費を使っている  
 ように感じてしまいます。)

わざわざ愛称を作らなくとも、五輪・パラリンピック ボランティア として分かる識別物を供与すれば、外見からボランテシア活動を行っていることが誰もが分かり、その供与物はボランテシア活動をした方々にとって一生の記念品として残るはずと思います。

新聞記事の上部に1案として、 シャイニングブル-、集まれ!? と載っていましたが、訳の分から
ない造成英語です。 シャイニングは Shining --- 形容詞 光る、輝くの意味、 ブル-は Blue --- 名詞 青、青空 であり、シャイニングブル-とは 「輝く青空 または 光る青」 となり、意味不明です。

他案の アンカ-は Anchor --- 錨、最終走者、泳者 で、 フォ-スは Force --- 部隊、軍隊 で、ボランティア精神を持つ人々に対し不適切なたネ-ミンとなります。

いずれにしましても、五輪ボランティアの愛称として、ブル-を提案する人達は Blue 形容詞 
③.憂鬱で、悲観して の意味もあることを、勉強して知っているのでしょうか?

何でも、横文字にすれば日本人の多くは喜ぶと思い、五輪委員会が愛称を作ろうとしているなら :
I am blue. I feel blue. 「私は、(五輪ボランティアの成功を)悲観します。」

私は、外国人おもてなし語学ボランティアに登録していますが、五輪委員会が無意味な愛称を実行するならば、五輪ボランティアは辞退と考えてしまいました。





  


  • Posted by ボブ at 22:31Comments(0)雑記

    2018年06月09日

    将棋二段に!

    昨年12月17日に公開のブログ記事 惚け予防で将棋 に、将棋は惚け防止に役立つのではと考え、一昨年の4月から、国立NHK学園オ-プンスク-ルの将棋講座を受け始め、受講スタ-ト時に2級だった棋力が1年半後に初段認定された事を、述べています。

    私が将棋講座を受け始めた後に、将棋界は中学生の藤井聡太君が四段プロデビユ-し、その後の驚異的な活躍が連日のようにニュ-スで報じられ、世間は再び将棋ブ-ムとなりました。

    オ-プンスク-ルの将棋講座では、この将棋ブ-ムのせいか見学者が増えており、その後に入会
    する人もいて、クラスは盛況です。

    私が国立まで出掛け将棋講座を受け始めたのは、外出機会を得る事・何かを学ぶ事・人々との交際 等で、惚け予防に役立つと考えてのことでしたが、昨年12月の初段認定を受け、昇段への意欲が
    沸いてしまいました。

    この歳になって 意欲 = 欲望 を持つとは、何か気恥ずかしいものですが、その結果で勉強により
    励めば、惚け予防にも更に役立つはずと考え、少し真面目に将棋と向き合ってきました。

    この態度が良かったのか勝ち率が向上し、13勝4敗の成績から昨日(6月8日) 二段認定
    受けることが出来ました。

    昨夜は、惚け予防が出来ている エヴィデンス を頂戴でき嬉しく、祝杯を重ねた次第です。

          〈 強い人ほど上手に使う駒 〉                   〈 エヴィデンス 〉



      


  • Posted by ボブ at 11:53Comments(0)雑記

    2018年05月28日

    神仏にすがる

    千葉鴨川に住む弟は、2年前に有名な 亀田病院 で股関節に人工骨を埋込む手術を受けましたが、回復が思わしくなく痛みが取れずにいました。
    昨年、再検査した結果、手術が成功していなかった事を告げられ、(無責任にも)再手術を勧められ、やむを得ず2回目の人工骨埋込み手術を受け、その後リハビリを続けていました。

    再手術から1年が過ぎ、ようやく杖無しで歩けるようになり、2年半ぶりに上京してきました。
    上京目的はマス釣りで兄と競争し、いつもの様に釣り勝って、良い気分で帰ろうとするものでした。

    天気予報を参考に、5月15日(火)の釣行と決め、前日は御嶽駅近くの宿に泊まり、当日は朝7時に宿を出て、オープン前の 大丹波川マス釣り場 に着きました。

    弟は、今回も兄に釣り勝つべく意気込んで竿を振り出しており、私より早くマスを釣り上げました。
    しかしながら、午後2時に納竿し釣果を確認すると、弟 14私 19 の成績となり、今回は私の勝ちでした。

    弟の敗因は、再度の手術後も順調な回復ではなく、ビッコを引きながら歩く状態で、今までの様に
    場所を変えての探り釣りが、出来なくなったためと思えます。
    私の方は、自分の決めた釣り場の喰いが悪くなった時は、あちこちの場所を探り釣りし、これで5匹を釣り上げていました。

    再度の手術では、病院が弟の大腿骨に再び穴をあけ、別のチタン人工骨を埋込みましたが、その後何らかの原因で人工骨が埋込み場所から飛び出してしまい、歩くと突っ張り感と痛みを感じ、ビッコを引き続けているそうです。
    弟の話では、手術の担当医が毎回代わっており、再び代わった医者が 「もう一度、手術をやり直してみますか?」 と、訊いているそうで、何とも無責任なことで、やり切れない話です。

    久しぶりに弟に釣り勝った日でしたが、弟は完全に回復していない ハンデキャップ を背負ってのこと
    ですので、次回にはハンデ無しでの勝負としたいものです。
     
    14日(月)奥多摩に向かい、途中の塩船観音寺に立ち寄り、私は弟の足不具合の早い完全治癒を祈りました。 (無責任な大病院で治せないのであれば、私が神仏にお願いするのみです。)

    塩船観音寺 http://shiofunekannonji.or.jp/index.html

            〈 大きな塩船平和観音 〉                 〈 お祈りした薬師如来堂 〉











                         〈 釣果 マス18匹、ヤマメ1匹 〉






      


  • Posted by ボブ at 12:09Comments(0)雑記釣り・自然遊び

    2018年03月04日

    確定申告 英語では?

    平成29年度分の確定申告は、2月16日~3月15の間に行うもので、残り2週間を切りました。

    英会話クラスの際、ス-ザン先生が 「日本語の確定申告は、英語で TAX RETURN です。」
    「実際には、TAX (税金)が RETURN (還付)されることは、無いのですが。」 と、笑いながら話し
    ました。

    私は、「日本では、源泉徴収された税金が確定申告により還付(RETURN)されるケースがあり、
    私も何度も税金の還付を、受けています。」と、話しました。

    60歳を過ぎ年金生活に入った際に、企業年金で源泉徴収された税金は、確定申告により還付される可能性があると教わりました。

    源泉徴収分の税金が還付かどうかは、支払い医療費・社会保険料などを集計し試算の必要があり
    ますが、例え僅かでも取り戻せれば嬉しいもので、毎年1月に入ると一つの大事な作業として行うようになりました。

    実際に行ってみますと、家人のがン手術・経過治療など多額の医療費支払いが続き、ほとんど毎年 税金の還付を受けてきました。

    一方で、年金生活に入ってから、退職金の一部を使い株式投資を始めており、特定口座制度が
    出来ても個別口座取引を続け、確定した損益も毎年確定申告をするようになりました。

    株式投資を始めた当初は、株式相場の低迷で大きな損失が出て、損失の繰り越し を続けており、
    株式投資での納税には至りませんでした。

    状況が変わったのは、アベノミクスのお蔭で株式市況が大幅に上がり、塩漬け株にも利益がでるようになり 「利食い百人力。」 とばかり利益確定しだしたところ、株取引の損益がプラスとなって、確定
    申告を行い、納税をするようになりました。

    その結果、TAX RETURN (税金還付) を期待して行っていた確定申告作業は TAX PAYMENT (納税)への作業となっています。

    平成29年度分の確定申告で、先週に東村山税務所に出掛け、申告完了 → 納税を済ませました。

    来年も、税金還付を目標に行う確定申告 でなく、惚け防止で行う株式投資で利益を出し、その結果への納税申告になれば 、と希望しています。







      


  • Posted by ボブ at 17:28Comments(0)雑記

    2017年12月17日

    惚け予防で将棋 

    物忘れが多くなり、人の名前が思い出せないなど、年相応に認知機能の劣化を、実感しています。
    そのままでは、日々の生活に支障が出たり、早々と要介護の身になりそうでした。

    将棋は惚け防止に役立つのではと考え、昨年4月から、国立NHK学園オ-プンスク-ルの将棋講座を受け、将棋の勉強を始めています。

    講座は金曜日10時に始まり、1時間の講義のあと20分間の休憩があり、その後は講師が決める
    手合わせ相手との対局があり、その勝敗結果は記録されます。

    講師は、元アマチュア日本一の 日本将棋連盟 師範・6段の 内田昭吉先生 です。

    毎回の講座では、定跡・手筋・詰将棋・次の一手・プロ棋士の対局棋譜・受講者の対局内容への指導などが大盤で解説され、中身が濃い教えです。

    受講者同士の対局では、棋力に応じてのハンディキャップが付いた対戦となり、対戦記録が6連勝(級クラス) 8連勝(段クラス)等となると、昇級・昇段と認定されます。

    昨年4月に受講を始めた私は、テスト手合わせの結果で2級でスタ-トし、半年後に1級に昇級となりました。 受講者の多くは長年続けている猛者揃いで、ハンディキャップを貰っても負けの多い成績が続きました。

    今年10月に入り、落ち着いて指すように心がけますとポカ・ミスが減り、また手合わせの組合わせも良かったためか、勝ちが続くようになり、11勝3敗の成績から、私は初段の認定を受けました。

    20ヶ月の時間が流れ、この間に低いレベルながら昇級・昇段が出来ましたことは、惚け防止が
    出来ているように思えています。
    また、将棋講座を続けていましたら、他の将棋同好会への誘いがあり、 入会しますと通常の対局
    活動の他に、将棋合宿・飲み会などもあり、それらへの参加は楽しいものとなりました。

    ちなみに、今年は将棋関係の忘年会が3回もあって、将棋の勉強を始めたのは正解だったと思っています。 ( 実のところ、初段認定より、忘年会3回のほうが嬉しい私なのです。)

           〈 自宅で駒ならべ 〉


      


  • Posted by ボブ at 10:16Comments(0)雑記

    2016年01月31日

    太陽の恵み

    今日1月31日(日)は、久しぶりにお日様が現れ、明るい太陽の有り難さを感じています。

    大寒の今頃、毎年 千葉鴨川に住む弟からサヨリの干物 が届いており、楽しみにしています。
    弟は釣った新鮮なサヨリを、程よい塩加減で半乾きほどの天日干しにしたサヨリの干物 としており、これを軽く焼き、マヨネ-ズをちょっと付けて食べると、実に美味しいものです。

    1月25(月)に、待ち望んでいたサヨリの干物 がどっさり届きましたが、お礼の電話口の弟は「天気が良くないと、サヨリ釣りに出掛けられないし、干物用に処理しても晴れた良い天気でないと、美味しい干物にならない。」と言っておりました。 太陽の恵み、そのものです。

    翌日、家の中で突然「キィ-ン。」という高い音が鳴り、太陽光発電のモニタ-からと分かりました。
    モニタ-のパネルには「画面を触れて下さい。」とあり、パネルをタッチすると「22,000Kw/h達成
    おめでとうございます。」とメッセ-ジが現れ、続いて お祝いの花火 が打ち上がりました。

    今から5年前の今頃、家の建て替えを行っており、4月中旬に完成した家の屋根に設置した太陽光
    パネルが発電を、始めていました。
    22,000KW/h は、それ以来の累計ですが、この発電実績は日照如何ですので、こちらは正に
    太陽の恵みに因るものです。

    サヨリの干物 が届いてから、晩酌の酒の肴として楽しんでいますが、花火の打ち上がりからは、二つの太陽の恵みに感謝しながら「あしたも、天気になぁれ!」と、念じながらの晩酌となっています。

     〈 サヨリ干物の一部、頭を取って20センチ 〉            〈 打ちあがったお祝い花火 〉



      


  • Posted by ボブ at 11:10Comments(0)雑記食べ物

    2016年01月03日

    縁起が良い赤富士

    平成28年が、穏やかに明けました。

    故郷を持たない私の正月は、いつも家にいて同じ行動で過ごします。

    元旦は、近くの 熊の宮神社 に初詣に出掛け、新年の家内安全・健康 を祈願しています。

    午後は初ウォ-キングとして、グリ-ンロ-ドを西に向かい、多摩湖までの約8Kmを歩きます。

    多摩湖まで歩く目的は、冬の澄んだ空に浮かぶ富士山を、人工物に邪魔されない多摩湖畔から鑑賞するためです。 元旦の午後の空は少しもやっていましたが、富士山の姿ははっきりと見え、夕日が沈む瞬間には、縁起が良い と云われる 赤富士 となりました。
    湖畔には多くの人達が来ており、この 赤富士 の瞬間を捕えようと、カメラを構えていました。

    二日は、生まれ育った場所の近くにある 東伏見稲荷神社 を、お詣りしています。
    今年は朝早目に出ましたら、神社に着くと初詣の人数は少なく、あまり待たずに初詣が出来ました。

    時間が余りましたので、神社から田無まで歩き、駅前のリビンの地下で果物を買いましたら、立派なオミクジ袋を渡されました。 家に戻って開けますと、干支の猿が付いたストラップとオミクジが入っており、オミクジは 大吉 とのお告げで、早くも 赤富士 のお蔭が現れたようです。

    大吉は凶につながるとも云われますが、今は大吉の上に大大吉があるそうですので、安心して縁起良い年と信じ込みます。

           〈 沈む太陽と富士山 〉                 〈 湖畔で赤富士を待つ人々 〉











             〈 熊の宮神社 〉                     〈 東伏見稲荷神社 〉




      


  • Posted by ボブ at 22:26Comments(0)雑記

    2015年05月21日

    日本美術の超絶技巧

    日経新聞 文芸欄に、「日本美術の超絶技巧」シリ-ズが、始まりました。
    5月20日第1回目の記事に、日本人の美意識だったわび・さび と対極の 超絶技巧 の作品と」して、
    伊藤若冲「動植綵絵・紫陽花双鶏図」が、解説されていました。

    記事の終わりに、「来年は若冲生誕300年で、大規模な伊藤若冲展覧会が企画されていると聞いている。」と書かれており、この企画が実現されたなら、ぜひ再び若冲の作品を鑑賞したいと楽しみが
    出来ました。

    今まで、伊藤若冲の展覧会に3回訪れており、それを述べた私のブログ記事を読み直してみました。

                       若冲がきてくれました展 
                              ア-カイブ記事        公開 : 2013年4月22日

    ロサンゼルスに住む、江戸絵画の世界的コレクタ- ジョ-・プライス夫妻が、東日本大震災の復興支援の目的で、選りすぐりの絵画100点を米国から日本に運び込み、若冲が来てくれました展
    名付け、3月1日から仙台を皮切りに、岩手~福島と公開して行きます。

    私が、江戸中期の絵師 伊藤若冲の名前と作品を知ったのは、7年前に東京博物館で開催された
    若冲と江戸絵画展 を見学した時でした。
    高校の美術史教科書には、伊藤若冲の記載はなく、この絵画展で若冲の作品を観て「これほどの
    作品を残した絵師が、なぜ日本では評価されず、作品が海外に流失してしまったのだろうか?」と、
    疑問に思ったものでした。 
    この展示会で、一番印象に残った作品は鳥獣花木図屏風で、8万6千個の升目に着色したモザイク画には、多種多様の動物・鳥の楽園が描かれ、スケ-ルの大きい構図・楽しさ・美しさで見飽きることなく、またゆっくり鑑賞したいと思いました。

    その後、4年前に開催された皇室名宝展を見学した際に、展示品の目玉の一つとして伊藤若冲の
    動植さい絵・群鶏図 があり、皇室が日本のお宝として所蔵している事が分かり、納得出来ました。
    動植さい絵・群鶏図は鋭い観察に基づいて、鶏を始め生き物が極細密に描かれ、色彩も鮮やかで
    その素晴らしさに感嘆しました。

    ジョ-・プライス夫妻が、「東北の人々、特に子供たちに美しいものをお見せし、元気付けたい。」と、再び鳥獣花木図屏風を持ち込み、今回はガラスケ-スなし展示と知り、心遣いを嬉しく思いました。

    ようやく4月17日に、仙台市博物館で開催の若冲が来てくれました展 を訪れ、館内はさほど混んでいない良い環境の中、 今回は鳥獣花木図屏風ガラスケ-ス越しでなく 、本物の色彩を直接鑑賞する事が出来、訪れた甲斐がありました。
    また仙台市博物館では、江戸絵画の楽しさを学べるよう、分かり易い分類にした展示構成と解説を
    しており、好評でした。

    ジョ-・プライス夫妻の志から、高校生以下は無料ですので、この機会に東北に住む中高生徒たちは江戸絵画の名作・特に鳥獣花木図屏風を鑑賞されておくと良いと、思います。
    (この至高の美術品が、日本で公開展示されるのは、今回が最後では?とも、云われています。)

                   〈 鳥獣花木図屏風 右半分 169センチ x 374センチ 〉






      


  • Posted by ボブ at 12:08Comments(0)雑記

    2014年12月13日

    お金の価値

    普段使っていない物入れ箱を開けましたら、いろいろな物の中から、紐のついた小さな黄色の袋
    出てきました。

    巾着 と呼ばれる物で、表には 成田山 福財布 と書かれており、記念硬貨入れに使っていたのを
    思い出しました。

    中身を改めると、オリンピック記念銀貨を始めとして、各種の記念硬貨・銀貨が出てきました。

    ①.東京オリンピック(1964年)千円銀貨、百円銀貨 ②.沖縄エクスポ(昭和50年)100円硬貨 ③.御在位五十年(昭和51年)100円硬貨 ④.内閣制度100年(昭和60年)500円硬貨 
    ⑤.瀬戸大橋開通(昭和63年)500円硬貨 ⑥.長野冬季オリンピック(平成10年)500円硬貨

    これらの記念硬貨から、生きてきた時代の大きなイベントなどを思い出しましたが、一体何のために保存してきたのか?と考え出しました。

    一つには、各イベントへの思い出とし保存したのでしょうが、別には保存により将来に価値が出て、
    購入時の価格以上に売却出来、利益を得られると考えていたものと気付きました。

    しかし、これら記念通貨は当時は大量に発行されていますので、コレクションとして希少価値はなく、またコレクションのアイテムとしては未使用でないと、額面通りしか価値はないとも云われています。

    一方で、1964年の千円の価値を今の価値に換算すると、5~7倍になるとも云われますので、金利も何も付かない家での保存は、大きな損になっていたと云えるものでしょう。

    銀行に尋ねると、窓口に持参すれば手続きによって、額面と同じ今のお金に換えられるとの事です。

    記念硬貨の保存は、割に合わない事をしていたものですが、忘れていたものが出てきたものです
    ので、タナボタ と考えれば良いと考え直しました。 

           〈 成田山 福財布 〉                     〈 記念硬貨の一部 〉






      


  • Posted by ボブ at 11:48Comments(0)雑記

    2014年01月23日

    賀寿祝い 次も



    賀寿は長寿を祝う年齢で、数え年で数えるそうです。

    60歳 還暦、70歳 古希、77歳 喜寿、80歳 傘寿、88歳 米寿、90歳 卒寿、99歳 白寿、100歳 百賀 とあり、将棋の愛好家は81歳 盤寿(将棋盤のマス目から)も祝うように、まだ他の賀寿がある
    ものと思います。

    かって働いていた会社のOB会が、東京地区で今年1月に70歳/77歳となったメンバ-の賀寿祝いの会を、1月21日のお昼に開いてくれました。 招待され参加した人は17名で、5名が喜寿・12名が古希として、お祝いを受けました。

    今までOB会の行事には、参加したことはありませんでしたが、同じ年に生まれ同じ時代を生き抜き、ある時期に同じ会社で働いた人達と会ってみたく、この賀寿祝いの会 に参加しました。

    美味しい折詰弁当を食べながら、廻りの人達との歓談が進み、食べ終える頃に、一人一人から近況・
    健康維持法・生き甲斐などを紹介するスピ-チタイムが、ありました。

    同じ70歳でも、お元気であちこち出掛けている人・健康問題がある人・伴侶を失われている人・地域社会で活躍されている人など、さまざまな現況を聞くことが出来ました。

    70歳で参加の12名の中で、1月1日誕生日の人が3人も紹介され驚きましたが、自己紹介の中で
    1月1日に生まれた人は一人だけで、残りの二人は12月下旬に生まれていたと知りました。
    出生届けを昭和19年1月1日生まれにすると、徴兵検査を1年遅らせる事が出来ることから、両親が元旦生まれで出生届けをしたそうで、私たちの生まれた時代と、有り難い親心を思いました。

    楽しかったお祝いの会は、あっと云う間に過ぎ去り、OB会の世話役から「賀寿の年齢は、たくさん
    有りますが、OB会では 古希喜寿米寿白寿 でのお祝いをさせて頂いております。 
    今日ご参加の皆さまとは喜寿または米寿でお会いする事になります。 お元気でお過ごし下さい。」
    と挨拶され、閉会になりました。

    帰り際に、全員の記念撮影写真をもらいましたが、家に戻り写真をながめ各人のスピ-チを思い出しながら、私は次回の写真にも写してもらえるように、健康長寿を心掛けようと思いました。




      


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