2011年7月に「ボブのブログ」をスタ-トさせ、1年後にア-カイブ ブログへの転用を考えました。
 過去記事を月単位で読み返し、取捨選択を行い、保存の記事を最新24ヶ月以内に納めさせます。
 新規記事も時おり加え、ア-カイブ内容の充実を、続けて行くつもりです。

ニックネ-ム

2019年12月11日

                      ア-カイブ記事      公開 : 2011年7月10日

ボブ」とは、1986年以来の私のニックネ-ムです。
この年、47日間オ-ストラリアに業務出張をし、現地での受け入れは、定年間近のロイド氏でした。 初日に「これからお互いにニックネ-ムで呼び合うので、君のニックネ-ムを言いなさい。」と、言われました。

私の名前はノブオですので、「“Nobu”にします。」と伝えたところ、ロイド氏は「“Nobu ”はだめだ。
同じ発音の“Knob”(隠語あり)と取られ、笑われる。」と、教えてくれました。
何にするか迷っていると、彼は「“Nobu”の替わりに“Bob”が良いのでは?」と提案してくれました。

Bob”は、ノブの発音に近いのと、Robert の子供時代の呼称と知り、とても良いニックネ-ムと  気に入りました。 しかし、2~3日の間は、ロイド氏より“Bob! ”と呼ばれても、自分と思わずに
返事をせず、ロイド氏によく笑われたものでした。

この年は、地球にハレ-彗星が最接近し、特に南半球での観測がベストでしたので、
日本からJALの特別便で、多くの観光客が訪れていました。

休日には、彼の別荘に招かれ、夕方の野生のカンガル-見物、夜は特別仕立ての干し草ベッド・  毛布・双眼鏡を用意してもらい、明け方が一番良く見える彗星観測を楽しませてもらいました。
また、帰国のフライトでは、JALのオファ―でファ-ストクラス替えとなるなど、楽しい多くの思い出が重なっています。

追記 : 2019年12月12日
私が、ボブというニックネ-ムをもらい、33年も過ぎていました。
このブログに、当時の写真を貼り付け、いつでも手軽に懐かしく見ることが出来ています。

   〈定宿のオ-ルド メルボルン ホテル〉            〈メルボルンでよく乗ったトラム〉






  



   〈公園の生大木にウッドカ-ビング〉           〈元二輪世界チャンピオンに招かれて〉







  


     〈休日に泳いだ郊外の海岸〉             〈延々と続いたグレ-ト・バリア・リ-フ〉










            〈 休日に乗った Puffing (パッパと煙り吐く) Billy 号 〉


  


  • Posted by ボブ at 17:54Comments(0)ブログ

    秩父夜祭

    2019年12月07日

    毎年12月3日に催行の 秩父夜祭 を、バス旅行に加わり見物して来ました。

    今まで、一度は見てみたいと思いつつ、秩父の夜の寒さを考えると二の足を踏んでいたものでした。

    今年は北陸旅行に参加し、6月15日の となみ夜高祭 の見物をし、町内それぞれの美しい山車と、それらをぶつけ合う迫力に見応えを感じ、感動してきました。

    旅行会社の宣伝パンフトの、「 専用観覧席で絢爛豪華な 秩父夜祭 + 冬花火 の見物 」 を
    読んで、 となみ夜高祭 での感動から、秩父夜祭いかばかりと、直ぐにに申し込んだものでした。

    午後1時に 立川集合・出発すると、 4時30分には 秩父に着き、バス駐車場から約10分歩いて
    専用観覧席に着きました。
    5時前に観覧席に座ると、祭り行事が始まるのが6時30分からで、時間まで座って待つか、席を立ち市内見物をしてきても良いと、云われました。

    暗さが増すと、秩父の夜気は寒さが強くなってきましたので、西武秩父駅隣りにある仲見世通りに
    行き、土産物の物色とフ-ドコ-ナ-での飲食で、時間をつぶしました。

    観覧席に戻り、6時30分になりますと祭り行事が始まり、やがて屋台(山車)が来だしましたが、屋台の提灯は暗く、静かに曳かれてゆくものでした。

    300年の伝統を守っての秩父の屋台ですので、となみ夜高祭 の現代の装飾山車と比べて見よう
    との私の考えが、間違っていました。

    バスは夜9時半に秩父を出て、宿泊地に向けひたすら走り、真夜中1時に 万座高原ホテル に着き、翌日は 軽井沢アウトレットで時間を過ごし、立川に夜7時に戻りました。

    期待外れの秩父夜祭の屋台(山車)でしたが、バス旅行より戻ると、何か宿題を済ませたような
    思いを感じていました。  

            〈 屋台(山車) 〉                    〈 屋台(山車)どう見ても暗い 〉











    となみ夜高祭
          〈 会長賞の行燈山車 〉                〈 高さ 6m 長さ 9m の行燈山車 〉


      


  • Posted by ボブ at 18:58Comments(0)外出

    秋川日帰りの旅

    2019年11月30日

    昨日(11月29日)は久しぶりの青空で、秋川の紅葉を見たくなり、日帰りの旅をしてきました。

    午前中の行程:
    小平駅(9時28分) → 拝島(9時50分) →   JR線乗換え  拝島(10時6分) → 武蔵五日市
    (10時23分着) → 西東京バス(10時35分発) → つるつる温泉(11時)

    小平駅で電車に乗ってわずか1時間半で、目的の一つ 生涯青春の湯 ひので 三ツ沢 つるつる
    温泉
    に行き着けました。

    柔らかな泉質の露天風呂にのんびりと浸り、サウナに2回も入り、すっかり体が軽くなりました。
    湯から上がると 昼どきで、大食堂でビ-ルと朴葉焼き定食を頼みますと、冷えたビ-ルはサウナで汗を絞った体に、瞬く間に吸い込まれました。
    リ-ズナブルな定食は、炊き込みご飯・秋川牛の朴葉焼き・湯葉・茶わん蒸しほか副菜も多く、どれも美味しく空き腹を満たしてくれました。

    午後の行程:
    つるつる温泉(2時発) → 武蔵五日市駅(2時25分) 西東京バス乗換 武蔵五日市(2時33分) → 十里木(3時前) 徒歩 瀬音の湯 (約10分)

    十里木のバス停から歩いてすぐに 石舟橋(吊り橋) があり、秋川の観光ガイドにはこの橋辺りが
    第一の紅葉スポットと紹介されていました。

    この吊り橋では、多くの観光客が写真を撮っており、橋の中ほどに黄色の僧衣を着たアジア人が
    おり、すれ違う際に私から サワディカップ と挨拶してみましたら、嬉しそうに サワディカップ
    返事が返ってきました。

    吊り橋の上流の左岸に大きなイチョウの木があり、黄葉した葉が落ち始めて地面一帯を黄色く
    染めていました。 黄色の僧衣を着たタイのお坊さんも、この景色を見ていたはずで、黄色に染まった地面をどの様に感じたのか?と思いました。

    瀬音の湯で土産物屋を冷やかしていると、予定していなかった帰りのバスが来ましたので、早目に
    帰路につきました。

    温泉と紅葉見物を手軽に楽しみ、満足できた 秋川日帰りの旅 となりました。

             〈 石舟橋(吊り橋) 〉                〈 地面を染めたイチョウの落ち葉 〉 










          〈 つるつる温泉 大広間 の額 〉             〈 帰りに乗ったトレ-ラ-バス 〉






      


  • Posted by ボブ at 22:10Comments(0)外出

    お酒がすすむ!

    2019年11月28日

    両刀使いの私ですが、自作の美味しい(手前味噌)酒肴で楽しむ晩酌は、至福の時間です。

    一昨日、角上魚類 で大きさが程よく 新鮮なスルメイカ を見つけ、すぐさま買い求めました。

    家に戻り、いつもの手順どおりにイカを解体し、自分好みの塩辛 を作り、昨晩は久しぶりの塩辛を
    肴に晩酌を楽しみました。

    ここ1年ほど、適度な大きさの スルメイカ が店頭に並ばず、塩辛を作ることが出来ずにいました
    ので、出来上がりに十分な熟成を待てず、早速に酒のお供と させたものでした。

    新鮮で厚みのあるイカから作った塩辛は、濃厚な旨みがたっぷりで一箸ごとに 「お酒が進んで堪ら
    ない!
    」 絶品もので、カツオではない イカの塩辛 が、昨晩は 酒盗 となりました。

    私の塩辛作りの手順は;
    ①.新鮮で身が厚いスルメイカを買う。 ②.直ぐに解体し、肝を丁寧に取り出す。 ③.イカの胴体・エンペラを粗塩にまぶしておく。 ④.約1時間放置し水分を抜く。 ⑤.胴体・エンペラを短冊切りし、塩麹をまぶしておく。 ⑥.肝は粗塩にまぶし、一晩寝かせる。 ⑦. の粗塩を洗い流し、肝を日本酒に半日漬ける。 ⑧. を混ぜ合わせる。 ⑨.輪切りの鷹の爪を加え、調理は完了。 
    ⑩.毎日かき混ぜ、発酵を促す。 
    ⑪.毎日かき混ぜながら、味の変化を確かめる。 ← この毎日の味見も楽しい。

    *私のポイントは、肝の処理塩麹 を、使うことです。
               
    〈 出来た イカの塩辛

       〈 長さ30センチの スルメイカ 〉                  〈 日本酒で肝の油分抜き 〉



      


  • Posted by ボブ at 18:24Comments(0)食べ物

    英語ボランティアでの疑問

    2019年11月23日

    小平市仲町公民館が行ってくれた英会話講座は、10月24日に8回目で終了しました。

    その日に、英語ボランティア活動への参加可否アンケ-トがあり、活動として ①.公民館の英語
    ガイド
     ②.学校での英語ボランティア が挙げられており、私は ②.に可能と答えました。

    翌週に公民館から、ボランティア受入れ窓口の人 ( ボラ受口 ) と連絡を取るようにと連絡があり、
    10月30日と11月1日に小平第一中学校に行き、英語ボランティア活動に参加しました。

    活動内容は ボラ受口 の指示に従い、英検3級の口述試験を受ける生徒達に、模擬試験(リハ-
    サル)を与えるもので、私達は受験生徒に繰り返し模擬試験を受けさせました。

    ボランティアを行う私達は、教師が使う アンチョコ のコピ-を受取り、本番で試験管が行う内容と
    ほぼ同じ質問を行うものでした。

    アンチョコ = 教師用の教科書で、学習する要点が記されており、自分で調べたり考えたりする
               必要のない参考書
    。 虎の巻。 アンチョク(安直) のなまり。

    英検3級の一次試験(筆記)を受け合格通知を貰うと、その1週間後に2次の口述試験があります。

    小平1中では、2次受験生に月水金の放課後3回を使い、模擬試験を受けさせ、英語ボランティアは試験管の役目をするものでした。

    疑問 ①.どの学校でも、英検3級の2次の口述試験受験者に、この様な模擬試験を受けさせている
          のでしょうか?

    疑問②.ボランティアを使ってまで、この様に事前の疑似試験を行うのは、限られているはずです。
          小平1中では2次口述テストに向け模擬試験を繰り返し受けさせ、少しでも英検3級の
         合格者数を増やすことで英語の教育成果と、したいのでしょうか? 
            
    私は今回の英語ボランティアを行い、小平1中が一夜漬けのような模擬試験を行わせているのは、学生たちをスポイルしているだけで、折角の教育機会を奪っているものと思いました。

    2次の口述試験の直前に模擬試験などを受けずに、初めてとなる口述試験を受ければ、各自が自分の英語の発言力を認識でき、次の勉強へのステップにつながるはずです。

    11月1日に、大学受験での英語民間試験の先送りが、表明されています。
    先送りの理由として、「多くの課題の中に、このまま進めると不公平が生じる。」と挙げられています。

    大学受験ではありませんが、全国一律の英語検定テストで、2次の口述試験の前に模擬試験を
    受けさせる学校の生徒達と、その様な機会を得られない学校の受験生達の間に、不公平を生じさせている実際を知った、今回の英語ボランティア活動でした。

    ボラ受口 が、「たった年に3回のボランティアですよ。」と言っていましたが、意義を感じませんので
    今後このような英語ボランティアには参加しません。

    先日の新聞記事に、日本英語力53位 前年から低下 と報じられていましたが、
             (ちなみに、非英語圏100ヶ国中で、韓国は37位、中国40位だそうです。)
    日本の英語教育関係者はこの現実を他人事と、 安直に 受け止めているのでしょうか?






           


  • Posted by ボブ at 06:27Comments(0)英語

    ボ-ジョレヌ-ボ-なぜですか?

    2019年11月20日

                     ア-カイブ記事            公開 : 2011年11月15日

    その年のボジョレヌ-ボ-を飲める解禁日は、11月第3木曜日と決められているそうです。
    日本では、いつも当日のニュ-スで大きく取り上げられますが、友人のW氏はこの騒ぎを、何事も
    本質を知ろうとせず、踊らされ易い日本人の姿の一つだと、嘆きます。

    24年前の11月10日に、最初の駐在国としてベルギ-に赴任し、ブリュッセルに住み始めました。
    しばらく過ぎての街角歩きの時、ある店先で陽が当たる場所に、バケツの中にワインを立て売られており、その価格が非常に安いのに驚きました。

    翌日、駐在先輩のW氏に話したところ、「それはボジョレヌ-ボ-だが、ブドウジュ-スを醗酵させたもので 未熟ワイン だ。 言い換えれば、ワインもどきさ。 あんな物を飲むものではないよ。」と、
    言われました。

    駐在が長い彼は、ワインを学び楽しみ、TPOで飲み分けるワイン通となっており、ボジョレヌ-ボ-について教えてくれました。

    1.ワインの製造プロセス
    ①.8~9月頃、ブドウの実が摘まれる。
    ②.大タンクに入れられた実は押しつぶされ、実汁と皮が一緒になった状態で、
       1次醗酵が始まる。
    ③.ある期間醗酵を続けたあとで、こされてカスが取り除かれ、第一段階のワイン元酒となる。
    ④.このワイン元酒は、樽に入れられ、翌年の春まで第2次醗酵しながら、寝かせられる。
    ⑤.第2次醗酵を経て、樽からボトル詰めにされ、出荷される。(これまでに最低6ヶ月かかる。)
    ⑥.ボトルワインは、10~15℃の管理温度の下、ボトルの中で第3次醗酵を続ける。
    ⑦.ワイン購入者は、自宅のワインセラ-で保管し、時とともにワインが育つのを楽しみながら飲む

    2.ボジョレヌ-ボ-
    8月に摘んだブドウの実から作られ、ワイン元酒は2ヶ月足らずでボトル詰めの製品となり、日本には11月上旬には届いている。
    第一段階のワイン元酒のボトル詰めは、言い換えればブドウジュ-ス醗酵酒ワインもどき
    ワインを知る欧米の知識人 は、ボジョレヌ-ボ-を、一般ワインとしては飲まない。

    3.他のフランスワイン産地 では?
    ボルド-ブルゴ-ニュが、フランスワインの二大産地で、ボジョレヌ-ボ-のようなワインもどき
    などで出荷しない。
    ボジョレヌ-ボ-が正しいワイン製法で本物ワインと評価されるなら、他のフランスワイン産地も同じようにするはずだ。 
    短期間でワインとしての出荷なら、手間暇掛けずに早期の売り上げとなり、より儲かるものだ。

    4.11月第3木曜日が解禁日?
    説は、いくつかあるが、第二次大戦中にドイツ軍に占領され、ワインを徴収されたボジョレ-地区は、戦後になって飲むワインが無くなり、翌年春まで待つことが出来ず、新しく解禁日なるものを作り、
    未熟ワインで平和を祝ったとも云われている。
    今では、解禁日を設ける事で、消費者に価値のある物のように思わせる、巧みな商法と云える。

    5.ボジョレヌ-ボ-の値段は妥当?
    原価は、通常ボトルでせいぜい2~300円位だ。 日本で飲むボジョレヌ-ボ-は、高い宣伝費+
    飛行機代+利益マ-ジンで、高くなっている。 つまりボジョレヌ-ボ-を飲む者は、価値あるワインに高いお金を払っているのではない。
    安い原価のブド-ジュ-ス酒を、ボジョレの戦略と宣伝で、高値で売るボロ儲けの商売。 本質を
    見抜けぬ人達がいる限り、このボロイ商売は続く。

    友人のW氏は、11月第3木曜日の騒ぎのニュ-スを聞くと、「いつになっても、本質を知らずに踊ら
    される輩が減らず、それら日本人は実に情けないことだ。」と嘆いてきます。

    昨年、私は、「自分のお金で買って飲むのだから、良いんじゃないの。タデ喰う虫も好きずきと
    思えば。」と言ってみました。

    すると彼は、「タデを食う虫は、タデを分かって喰っているんだ。 ワインの勉強もせずに、マスコミが取り上げるから踊らされて飲み、ワインと言えないものを美味しいワインだなどと言っていることに、我慢出来ない。 欧米の知識人に、日本人の本質を見抜けぬ低いレベルを晒しているものだ。」と、
    さらに怒りを膨らませました。

    今週末、W氏がまた憤慨の電話をしてくるのでは?と、思いつつ、焼酎のお湯割りを飲みながら、
    この記事を書きました。

    追記 : 2019年11月20日
    今年のボジョレヌ-ボ-の解禁日は、11月21日です。
    10月下旬に、今年のボジョレヌ-ボ-は成田空港で、通関を終えています。
    毎年、「今年のボジョレヌ-ボ-は、最高の出来です。」と、宣伝されるワインもどき。 
    今年も、マスコミに踊らされる 無知なワイン通?のニュ-スが、TVで流れるのでしょうか?

      


  • Posted by ボブ at 06:49Comments(0)食べ物

    ペペロンチ-ノとは!

    2019年11月03日

    ア-カイブ記事            公開 : 2018年11月29日

    ペペロンチ-ノ とは、イタリア語  唐辛子 のことです。

    ところが、今の日本で スパゲッティ をペペロンチ-ノ とも呼ぶようになってしまったようです。

    外国語の勉強は好きではなくとも、横文字を使うのは格好良いと思う日本人の特性からか、外国語を勝手に解釈し Japanese-English(外国語) にして使うことがよく有ります。
    私は、今の日本で スパゲッティ をペペロンチ-ノ と呼ぶようになったのも、同じ類ではないか?と、
    考えています。

    40年前の1978年 初めての海外出張(カバン持ち)で、イタリアに50日間ほど滞在し、調査のため アンコナ・ボロ-ニャ・ベロ-ナ・ミラノ・トリノなどの都市を訪れました。

    食事は、昼は現地のレストラン・夜は泊まるホテルのレストランで食べましたが、どちらも2時間近く
    かかるフルコ-スの食事でした。 イタリアのフルコ-スの食事では、ス-プは出ずにパスタ類(主にスパゲッティ)がその代わりとなっており、メイン料理の前にかなりの量が出されました。 
    もともと麺類が好きな私は、各レストランでス-プ代わりに出された各種スパゲッティは美味しく
    食べて、すっかりハマってしまいました。

    この滞在中のベ-スとなったホテルは、アドリア海に面した田舎町にあり、夜の食事には魚介類が
    多く使われ、新鮮なアサリ入り スパゲッティ ボンゴレは絶品でした。

    現地で出張のない土日は、このホテルにいましたので、いつ食べても美味しいスパゲッティを日本に帰ってから作れるように、ホテルレストランの厨房で、何度かスパッゲッティ作りを見学させてもらい
    ました。

    ☆.厨房での スパゲッティの作り方
    ①.使用麺 De Cecco (ディ チェコ) #11
    ②.茹で方 大きな鍋に湯を沸かし、岩塩をい入れ、7~8分茹でる。茹で加減は硬め(アルデンテ)。
    ③.平行して、フライパンに多めのオリ-ブオイルを入れ低温で熱し、適量のニンニク・唐辛子を入れ
       香り・辛味を付ける。
    ④.茹で上がったスパゲッティを、③.の中に入れ絡めれば、出来上がり。

      ☆.メニュ-に書かれる料理名
       スパゲッティ ア-リオ オ-リオ ペペロンチ-ノ ← 基本スパゲッティ
     *ア-リオ = ニンニク、 オ-リオ = オリ-ブオイル、 ペペロンチ-ノ = 唐辛子

    イタリア各地のレストラン メニュ-にも、スパッゲティ ア-リオ オ-リオ ペペロンチ-ノ と記載
    されており、この基本スパゲッティに具材が入る時は、この後ろに コン(with?) が付き、
    入れた具材の名が連なりました。

    例えば、アサリ入りなら コン ボンゴレ ・キノコ入りなら コン フンギ ・イカ入りなら コン カラマリ と書かれていました。

    パソコンでペペロンチ-ノを検索すると、スパゲッティ料理として説明されていますが、現地イタリアのレストランで「ペペロンチ-ノ!」と注文して、基本スパゲッティ が運ばれてくるのか?と、疑問に思う
    次第です。

       〈 ベラ ンダで育てたペペロンチ-ノ 〉          〈 最後に採ったペペロンチ-ノ 〉











      


  • Posted by ボブ at 21:49Comments(0)食べ物植物・園芸

    入間基地 航空祭

    2019年11月02日

     ア-カイブ記事                 公開 : 2011年11月7日

    毎年11月3日に行われます、航空自衛隊入間基地の、入間航空祭に行って来ました。
    昨年8月に、横田基地の友好祭に、英会話講師から誘われ訪れており、比べて見学したい気持ちがありました。

    西武線所沢駅で飯能行きの電車に乗り替えると、乗り切れないほどの混み様でしたが、通勤電車との違いは、車内で楽しい話し声があちこちでしていることでした。

    自衛隊基地は稲荷山公園駅に隣接ですが、人・人・人・人…で臨時改札を通り手荷物検査を受け、
    基地内での自由行動地点までに約50分もかかりました。

    飛行場地区には、たくさんの航空機が展示されており、大型輸送機などは機内を見物出来、
    長い行列が出来ていました。
    上空では、大型機の編隊飛行や空挺部隊の
    パラシュ-ト降下などのデモ飛行が、次々と
    続きました。

    アトラクション会場では、中部航空音楽隊のブラスバンド演奏があり、耳を楽しませてくれました。

    この会場の壁には、東日本大震災の災害派遣で活躍された、入間基地の隊員の活動内容が写真展示されており、困難な状況下において、様々な支援実績をあげられたことが、分かりました。
    また、全国から集まった救援物資を、空輸するためのタ-ミナルが、入間基地でした。
    厳しい環境下で勤務された自衛隊の皆様、ご苦労様でした。 感謝、感謝です。

    広い基地内に決められた場所には、レジャ-シ-トを拡げ、持参の飲食物を楽しみながら、上空の
    デモ飛行を楽しむ家族連れがたくさんいました。
    今年の入場者は、17万人だったそうですが、入場無料で盛り沢山の行事を楽しめる事から、毎年
    訪れる家族連れが多いそうです。

    横田基地の友好祭と比べると、入間航空祭のほうが中身がずっと濃く、より楽しめる内容でした。
    航空祭の目玉イベントは、ブル-インパルスの飛行ショ-で、これは横田基地友好祭では見られ
    ないものです。

    敷地内には売店エリアがあり、食べ物の他に自衛隊グッズなどの販売もあり、私は土産として
    よこすか海軍カレ-を買い、夕飯に美味しく食べました。

    追記 : 2019年11月2日
     航空自衛隊 入間基地 公式サイト  http://www.mod.go.jp/asdf/iruma/
      


  • Posted by ボブ at 07:07Comments(0)外出

    役立った英語講座

    2019年10月26日

    小平市仲町公民館が行った 地域支援講座東京五輪 英語で小平の魅力を紹介」 ( 7月11日~
    10月24日 計8回 ) に参加出来ました。

    講師は、前半6回が小平高校の英語教師(副校長)・後半の2回が英語通訳案内士(国家資格)で、それぞれ英語を職業としているプロで、教え方は上手で楽しく内容のあるものでした。

    講座を通して学ぶことは、小平の魅力を英語で伝えられるようになる事ですが、受講生それぞれが
    何が小平の魅力か?を、日本語でも発信出来なくてはならないものです。

    前半の講座では、各自がお勧めの小平の魅力スポット・イベントを紹介しあい、それらの紹介内容を講師が KODAIRA GUIDE " HOW ABOUT VISITING THERE ? ” の小冊子にまとめて
    下さいました。

    後半の講座は、現役英語ガイドの山内和代さんが、外国人観光客を案内した際の日本紹介方法や面白いハプニングなどをたくさん紹介してくれて、楽しい時間はあっと云う間にすぎて行きました。

    最終回には、小平の魅力スポット6ヶ所を各自が事前にリサ-チしてきて、簡単な英語で紹介する
    宿題発表の場がありました。

    私は、事前に 小平ふるさと村 に行き、何を紹介したら良いか?考え、それらを英文にまとめておきました。 リサ-チ内容を英文にするには、辞書を使いながら結構時間を要しており、いきなり英語でガイドが出来るのか?と心配になりました。

    プロ英語ガイドの山内さんは、講座中に英語力アップの方法を色々と紹介してくれましたが、特に
    英語本の音読 を勧めており、「読めない英語は話せないものです。 読む本は中学のテキストで
    十分です。」と教えてくれました。

    最後の講座で教材として 「小平のスポットを案内しよう。」 を配布されましたが、その中に 「小平市の名所等案内」 の資料があり、 魅力スポット6ヶ所は正確な英語で紹介されていました。

    講座を終えた私は、頂いた英文の 「小平市の名所等案内 」を、 毎日 音読し英語力アップしながら出来れば暗記し、小平の魅力を英語ガイド出来るようになりたいと考えました。

        〈 仲町公民館 英語講座受講 〉               〈 下調べした小平ふるさと村 〉


      


  • Posted by ボブ at 11:29Comments(0)英語

    ペペロンチ-ノの仕上げ

    2019年10月11日

    ペペロンチーノ とは、イタリア語で 唐辛子 のことです。

    庭が狭い我が家では、ベランダにもプランタ-を置き、夏場は ミニトマト・ピ-マン・モロヘイヤ 等を、栽培してきました。

    それらは育てる楽しみはありましたが、収穫の時期になると、スーパ-の野菜売り場には安く大量に並びますので、苗を買っての栽培は気乗りしなくなってしまいました。

    スパゲッティ作りによく使う 鷹の爪 を輪切りストックしているビンの底に、黄色い種がたくさん溜っていましたので、試しにこの種をプランタ-に蒔きましたらたくさん発芽し、唐辛子の苗となりすくすくと育ちました。

    大きく育つにつれ、別のプランタ-に移植していましたら、五つのプランタ-が占められました。

    葉唐辛子の佃煮が好きで、よく買っていましたので、大きく育った唐辛子から葉を摘み取り、ネットで調べたレシピで佃煮を試作しますと、独特の香りと甘みを感じる美味しい佃煮が出来ました。

    しばらくして、実がなり始め大きくなりましたので摘み取り、これで青唐辛子味噌を作りましたら、
    こちらも満足できる箸休めとなりました。

    9月の終りに全部刈り取り、葉は葉唐辛子の佃煮をつくり保存し、赤く色づいた実は束ねて天日干しにし、 鷹の爪 の仕上げを行っています。

    この鷹の爪から再び種が採れますと、来年も 唐辛子の栽培 → 葉唐辛子作り → 青唐辛子味噌
    作り → 鷹の爪収穫 のサイクル
     が楽しめます。

    苗を買わずに済み、ス-パ-の野菜売り場では買えない 唐辛子の栽培 は、我が意を得たものと
    なりそうです。
        〈 ペペロンチ-ノの仕上げ 〉               〈 葉唐辛子の佃煮 青唐辛子味噌 〉











        〈 刈り取り株からの ヒコバエ 〉                 〈 今年蒔いた種の残り 〉









      


  • Posted by ボブ at 18:38Comments(0)食べ物植物・園芸

    四国遍路 記念日

    2019年10月03日

    もう7年前となる 2012年10月4日、四国遍路の旅に出掛けています。
    鳴門から歩き出し、乗り物を一切使わずに、46日間を掛け四国一周の遍路旅を結願出来ました。
    あの年の四国の10月は、ほとんどが好天の日で、連日 大汗をかきながら歩いたものでした。

    この旅での体験を、ボブのブログ「四国あるき遍路」で記事公開しており、時々読み返し懐かしく
    思い出しています。

    四国を、通し(10 4)で歩いた思い出の日として、10月4日を 四国遍路 記念日 と決めました。
    我ががブログ記事「お遍路の一日」を開き、楽しかった お遍路旅 を思い出してみます。

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月22日

    四国あるき遍路の一日は、おおよそ次のように流れた。

              〈 前夜、お遍路民宿に泊まる。 〉
    5時30分 起床  ・洗顔 ・体操+ストレッチ ・TV 天気予報当日の確認

    6時00分 朝食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・茶碗飯大盛り2杯、おかずも残さず食べる。
               ・朝食後に、宿代・前夜飲み物代の支払い。
               ・共同トイレの空きをみて、朝の大トイレ。(とても重要。体を軽く。)
               ・部屋に戻り、身支度。 ・その日の歩きコ-ス確認。 

    7時00分 宿立ち ・札所目指して、遍路歩きスタ-ト。
               ・ひたすら歩き、約90分毎に、10分位の休憩。(長く休むのは N.G. )
               ・休憩時に、水分補給。 ・菓子/果物などでカロリ-補給
               ・札所では、本堂と大師堂それぞれにお詣り。( 般若心経の読経ご朱印受け。)
               *一つの札所お詣りに、約30分は掛かる。
               *ひたすら歩くだけの日と、1日に何ヶ所もの札所巡りの日がある。

    12時頃  昼食 ・食事が出来る店が無い場合が多い。 ・途中で買った弁当を食べる。
               ・弁当を買えない場合は、リュックに用意の非常食/菓子などを食べる。
               ・昼食後、再び歩く。 ・天気の日は大汗をかき、水分の補給を頻繁に行う。
               ・10月中は、ペットボトル大を、毎日5~6本飲んだ。  

    15時頃 宿予約 ・残り2時間で行き着ける辺りの宿に、スマホで宿泊予約。  
               ・ひたすら歩き続け、宿に向かう。

    17時頃 宿入り ・宿帳に記入。 ・入浴。(入浴中に足のマッサ-ジ。)
               ・大汗をかき濡れた衣類のコイン洗濯。(ほぼ毎日)

    18時00分夕食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・まずはビ-ル大瓶1本。
               ・食事時間に、情報交換。 ・歓談。一番楽しい時間


    19時頃 部屋に ・洗濯物のコイン乾燥。 ・日誌つけ。 ・翌日ル-ト/歩行予定距離確認。
               ・スマホ他の充電 ・リュック中身の確認と整理。 ・TV天気予報を見る。

    21時 就寝 ・寝具敷き ・耳栓/アイマスク ・懐中電灯枕元に。

    *ビジネスホテルは夕食なく、外に出て食事。 朝食が出ても7時から。
    *1日に歩く距離は、その日訪れる札所の数如何と、山道/平地で異なる。
      山道多い日は、20~30Km。 平地を歩く日は、40Km。 最長歩いた日は、50Km。

    歩き進むと、日々変わる景色・農作物の変化・四国各地の人の暮らし等を見て学べ、お接待など
    多くの方のお世話になりながら、毎日が新鮮で楽しい思い出が残っていった。

      


  • Posted by ボブ at 06:49Comments(0)四国あるき遍路

    防災用品と云う言葉

    2019年09月23日

    9月8日未明に千葉を直撃した台風15号は、最大瞬間風速57.5 m/S を記録し、その凄まじい
    破壊力で多くの建物に被害をあたえ、吹き抜けた地域の送電網が破壊され、大規模停電を引き
    起こし、地域によっては2週間も未復旧の日々が続きました。

    その後のTV映像で、千葉の多くの町村で屋根にブル-シ-トを被せた応急処置の民家群の光景が
    報道されていますが、大切な住居を壊された方々の 無念さ・辛さ が思い知らされました。

    千葉鴨川に住む弟も、屋根瓦が一部飛ばされ雨戸が動かなくなる被害と、8日未明からの断水・
    停電で、しばらく不自由な日々を過ごす目に遭っていました。

    この台風の後に、近所のホームセンタ-に行くと、以前に無かった大規模な 防災用品 コ-ナ- が設けられ、多くの 品々 が並べられていました。  並べられた商品は、被災後に使われる品物が
    ほとんどで、これを見て 防災用品コ-ナ- の表示は、間違っていると思いました、

    防災とは、文字どうりに 災害を防ぐ事 です。 現実的に、防災用品コ-ナ-に並べられた商品では災害を防ぐ事が出来ないのは明らかですから、防災用品とは呼べないものです。

    普段は使わず、被災した非常時に必要となり使う商品 を扱うなら、非常時用品売り場(コ-ナ-)とすべきと思いました。

    我が家では、非常時対応品を常に用意・備蓄していますが、今一度の見直しを行いました。

    かっては、 天災は、忘れたころに、やって来る。(寺田寅彦) でしたが、地球温暖化などの影響で、
    災害は、忘れぬ内に、やって来る。 時代となっています。

         〈 非常時に使う骨董ランタン 〉             〈 手動充電のLEDライト 優れもの 〉





      


  • Posted by ボブ at 10:24Comments(0)雑記

    ハゼ釣り

    2019年09月04日

    9月2日(月)に、今年初めてのハゼ釣りに、行ってきました。

    釣りは 「フナに始まり、フナに終わる。」 と云われますが、私の場合は子供の頃にハゼで釣りを
    始めたことと、正月のオセチに自分で釣ったハゼで作る甘露煮を必ず加えていますので、秋に入り
    ますと、ハゼ釣りに何時行こうか?と、ソワソワし出すものです。

    ここ数年は、浦安駅からバスに乗り15分で着く若潮公園で降り、歩いて15分ほどの境川テラス
    ハゼ釣りを行っています。 (小平駅9時発で、釣り場には11時に着きます。)

    この日は干潮時刻が昼過ぎで、釣り条件としては良くなく、そのせいか釣り場には数人の釣り人しか
    見当たりませんでした。
    持参のエサで釣り始めますと30分経つてもアタリが全くなく、対応として近くにある釣り餌屋に行き 餌は何が良いか?尋ね、お勧めのジャリメ を買いました。

    釣り場に戻り、ジャリメで釣りを始めますとアタリが出始め、ポツポツと釣れだしました。
    12時が過ぎますと、潮は更に引いて行き、太陽の日差しは益々強くなり肌を刺す痛みを感じるようになりました。 気が付くと釣り人は一人も居なくなっていました。

    私は、正月のオセチに加える甘露煮用のハゼの調達が MUST でしたので、2時半まで頑張り続け
    30匹となって納竿としました。

    翌日、白焼きしたハゼを、網カゴに入れ天日干しにしましたので、オセチに加えるハゼ甘露煮作りは O.K.となりましたが、テンプラ分まで回りませんでしたので、もう一度出掛けるつもりです。

        〈 甘露煮サイズのハゼ30匹 〉               〈 釣り人ゼロの境川テラス 〉









      


  • Posted by ボブ at 10:37Comments(0)釣り・自然遊び

    徴用工問題の問題

    2019年08月14日

    1.父は元徴用工
    明治45年生まれの父(永眠)は、丁稚奉公で苦労しながら修理技術を習得し、昭和14年に独立し
    時計店を開くことが出来ました。

    昭和16年に太平洋戦争が起こり、国民皆兵の義務で徴兵検査を受けますが、父は身長が低いため丙種となり、兵役には招集されませんでした。

    代わりに軍需工場で働く徴用工として招集され、戦時中はある軍需工場で働かされ続けました。
    敗戦が近づくと、B29の空爆に加え、艦載機グラマンが空爆に来るようになり、父が働いていた軍需工場に爆弾を落とし、さらに機銃射撃で工員たちを狙い打ちにし、父は必至に逃げ回ったそうです。

    2.元徴用工に補償は無し
    空襲のたびに逃げ回り、運よく命を落とさずに済みますが、苦労して持てた時計店は空爆で全焼し、
    生活基盤を失ってしまい、戦時中に買わされた国債は無価値の紙切れとなってしまいました。

    戦後、退役した兵には軍人恩給が出ましたが、徴用工への補償はまったく無い もので、生活基盤を失った私たち家族はどん底生活を強いられ、当時の貧しかった生活が、今でも脳裏に焼き付いて
    います。

    3.日韓併合と徴用工の立場
    日清・日ロ戦争を経て、1910年に大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を領有することに
    なっています。 大韓帝国は日本の属国となっており、太平洋戦争時には大日本帝国の施策に協力せねばならず、朝鮮本土においても徴用工招集に応じなければならない立場にいたものです。

    一方、日韓併合のあと、多くの朝鮮人が日本に移り住むようになり、これらの人達も日本で徴用工として働きますが、日本人の徴用工と同じで、戦後に 元徴用工としての補償は無い ものでした。

    4.韓国に対する戦後補償
    日韓併合は、1945年の日本敗戦により消滅しますが、韓国は戦勝国ではありません。
    1965年、日本と韓国は国交樹立し、日本は植民地支配への多くの賠償を行っています。
    ①.日本が朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利の放棄
    ②.当時の韓国予算の2.3倍にあたる無償・有償の資金提供 (10年間も)

    上記は、日韓基本条約で取り決められ、その中に「1945年以前に生じたものに関して、韓国は
    如何なる主張もすることが出来ない。
    」と明記されており、日本は韓国にたいし全ての戦後補償を
    行い済みなのです。

    5.反日感情問題
    韓国の歴代大統領の多くが、汚職などで晩節を汚していますが、韓国のトップに立とうとしている
    政治家の多くは、正しい政策が行えず、反日感情を煽ることで国民の支持を得ようとしています。

    明日(8月15日)は、日本の74回目の敗戦記念日ですが、文在寅大統領 は国際ル-ルを犯して
    まで、反日感情を煽るだけの愚民政策 を続け、ホワイト国に価いしないルール破り行動を正当と
    言い張り、韓国内で反日行動を次々と起こさせているものです。

    元徴用工問題の問題は、正しい政治を行わず、愚民政策で民主主義を育てない隣国の存在です。

    戦時中に、徴用工で働いた朝鮮人の多くは、日本に帰化し、現在も日本に住み続けています。 日本に帰化した朝鮮人は100万人とも云われ、彼らの苗字は母国の名前から 金・林・張・孫 などを使い残し、日本苗字としています。

    日本に帰化した朝鮮人は、さまざまな分野で働き生き抜いて現在に至っていますが、元徴用工だった高齢者の方々も生存するはずで、彼らは文在寅大統領が提起している「太平洋戦争中の元徴用工への補償要求」に対して、歴史を踏まえて今はどの様に考えているのか?聞きたいものです。

    なお、私が子供の頃住んでいた西東京市には、朝鮮人部落があったのを思い出します。
    今住んでいる小平市にも、立派な朝鮮学校があり、日本全国では朝鮮学校が63校もあるそうです。
    (これらの学校では、正しく日韓の歴史が教えられ、真実が離れた母国の人達に伝えられている
     のか?疑問です。)

                               


      


  • Posted by ボブ at 14:22Comments(0)雑記

    男も日傘

    2019年08月03日

    昨年は梅雨が早くあけ、その後は記録的な猛暑が続き、外出すると高齢者の私には、耐え難いものでした。

    3年前より週に1回、国立のNHK学園に行き、将棋講座に参加しています。

    国立駅からNHK学園まで徒歩で約30分かかり、古い街路樹が並ぶ学園通りは一般道と比べかなり涼しいものの、日陰がない部分もあって汗だくとなり、汗が引くまで時間が掛かりました。

    歳を取って坊主刈りとなっていますが、帽子を被らないと日光の直射は暑く帽子を被ると汗だく
    なる 二律背反 の目に遭っていたものでした。

    今年の梅雨に入って、夏季の将棋講座に通う際の猛暑対策を考えていましたら、「男性も日傘を!」のTVニュ-スが放映され、試してみるかと、早速 日傘を買いに行きました。

    買い求めた傘は、東レ サマ-シ-ルド の布地を使った物で、昨日(8月2日)NHK学園の往復時にこの日傘を差したところ、汗をほとんどかかずに済みました。

    男も日傘を!」と勧められていますが、耐力の弱い高齢者には特にお勧めで「ジジイは日傘を!
    で、他人に迷惑をかける熱中症での救急搬送を、避けねばなりません。

    なお、日傘は少し値が張りましたので、私に最近多い置忘れに注意しなければなりません。

      〈 東レ サマ-シ-ルド 使用の日傘 〉            〈 日傘にあるメーカ-?マ-ク 〉



      


  • Posted by ボブ at 11:06Comments(0)雑記

    ウナギを食べたい

    2019年07月24日

    7月27日は、 土用丑の日 です。 この日は多くの人が、夏バテに効くと信じ、養殖ウナギの
    蒲焼を食べますが、私が食べたいウナギは、今のところ入手困難です。

    1.日本ウナギの一生 *「ウナギの不思議」より
    ①.卵 … 日本から2200Km離れた、マリアナ諸島の海に産卵される。 ②.幼生 … 卵は翌日頃には孵化し、透明なレプトケファルス(幼生)になり、黒潮海流に乗り、半年以上かかって日本列島にたどり着く。 ③.シラスウナギ … 幼生は、日本の河口に近づくと変態し、15センチほどのシラス  ウナギとなる。 ④.ウナギ … シラスウナギの多くは、河口より上流へとさかのぼり、お気に入りの場所に住み着き、成魚へと成長する。 ⑤.成魚ウナギ … その時を知ると、猛烈に食べながら川を下る。胸のあたりが黄色くなる。 ⑥.航海ウナギ … 十分に体に栄養を溜め込むと、魚体は銀色となる。 次に消化器官が萎縮し、食べなくなる。深海で見えるように目は大きくなり、日本 → マリアナ諸島の海まで泳ぎ、産卵を行い、日本ウナギの命をつなぐ。

    2.ウナギの語源
    落語では、「飲み込んだ鵜が、難儀するので、ウナンギ → ウナギ。」と駄洒落ていますが、成魚の胸あたりが黄色いことから、「胸黄(ムナギ) → ウナギ。」と言われており、     この説が正しいように思えます。
    万葉集で大伴家持が、「石麻呂(いわまろ)に われ物申す 夏痩せに良しという物ぞ ムナギ 取り めせ」と詠んでおり、奈良時代にはウナギは、ムナギと言われていました。

    3.ウナギの養殖
    ウナギの場合、飼育下で卵から育てる「完全養殖」は出来ておらず、シラスウナギを捕らえ、暖かい水温と豊富な給餌で、早い成長を促す養殖がされています。 5~6ヶ月で出荷されるそうです。
    近年のウナギの価格は、まさに鰻上りの高値となっていますが、これはシラスウナギの入手困難さ
    からで、ウナギ好きの私は事態の好転を待つのみです。
    河口で、シラスウナギを根こそぎ獲ってしまう今の養殖法では、マリアナ諸島の海に卵を産みに   行ける親ウナギが激減し、次のシラスウナギが来なくなるのは、必然の結果です。

    4.卵の大量採取
    数年前のニュ-スで、「日本の研究チ-ムが、マリアナ諸島沖で、ウナギの卵の大量採取に成功。
    一度に百個を超す卵(1.6ミリ)を得られ、遺伝解析情報がより進む。」と、報じられました。

    5.ウナギを食べたい
    以前のTV番組で、利根川の漁師が胸の黄色い天然ウナギを獲り、このウナギの料理紹介があり、食べたゲストたちは、養殖ウナギとは比較にならない滋味だと、絶賛していました。

    そう、私が食べたいウナギは、夏痩せに実際に良く効き、滋味が素晴らしい「天然の胸黄ウナギ」    です。

    この夢の実現には、百個の卵の遺伝解析が進み、シラスウナギが不要となる完全養殖」が実現し、日本の川で天然ウナギがたくさん獲れるようになる事が、必要です。



      


  • Posted by ボブ at 14:03Comments(0)食べ物

    ゴ-ヤ初収穫

    2019年07月15日

    今年の関東地方の梅雨は、日照日がほとんど無く、寒い気温が続いています。

    今年も5月に、ゴ-ヤの苗を植えましたが勢いよく伸びず、ようやく黄色の花は咲き出したものの、
    日照不足から実が大きく育ってくれません。

    この悪条件のもと、最初の花からの実1個がようやく大きくなり、昨日 初採りとなりました。

    昨年は、梅雨明けが早く猛暑日が続き、緑のカ-テンは良い日除けであり、毎日のようにゴ-ヤの
    実の収穫が出来ており、ゴ-ヤ栽培を楽しめたものでした。 (2本の苗から、90個の収穫でした。)

    昨日、ようやくゴーヤの実1個を収穫出来ましたが、花後の小さな実はあるものの、次に収穫できるのは梅雨明け次第で、まだ時間が掛かりそうです。

    初収穫のゴ-ヤの実を使い、実半分は ゴ-ヤチャンプル- に調理し、残りは ゴーヤピクルス
    し、久しぶりのゴ-ヤ料理となりました。

    夕食の主菜となった ゴ-ヤチャンプル- は我ながら美味しく出来、ゴーヤピクルス は漬かるまで待たねばなりませんが、ピクルスが漬かると保存がきき、冷蔵庫の中にいつも晩酌のツマミ1品が
    ある事になり、嬉しいものです。

    早い梅雨明けと、今年もゴ-ヤの良い収穫を願う次第です。

           〈 初収穫のゴ-ヤ 30センチ 〉               〈 旨いゴーヤのピクルス 〉


      


  • Posted by ボブ at 10:34Comments(0)食べ物植物・園芸

    半夏生(ハンゲショウ)

    2019年07月10日

    約1週間前の7月2日、新聞折り込みの中にスーパ-マ-ケットの1店が 「今日は半夏生の日。
    タコを食べる日です。」 と宣伝していました。

    植物の 半夏生 は知っていましたが、 半夏生の日 が分かりませんでしたので、辞書で調べました。

    その結果、 半夏生 ①.七十二候の一つ。 夏至から11日にあたる日。 田植えの終期とされ、
                   稲の苗の根が張るようにと、タコを食べる習慣があった。
            半夏生 ②.ドクダミ科の多年草。 夏、茎頂にある葉の下半部が白色に変わり、
                   その葉腋に白色の穂状の花をつづる。 別名 … 片白草。

    ス-パ-マ-ケットの広告によって、 半夏生の日 を知った次第ですが、近所の空き地に 植物の
    半夏生
    が群生しているのを思い出し、その日に見に行きました。

    群生している 半夏生 の多くの葉の一部が白色に変わり、白色の穂状の花がたくさん咲いており、
    家人にも見せようと一枝もらってきました。

    花瓶に生けると風情があり、毎日ながめ楽しみむことが出来ました。 昨日は1週が過ぎ穂状の花が萎れてきましたので、捨てようか?と思いましたが、試しに刺し枝として庭の片隅に埋めてみました。

    今はジメジメした梅雨の真っ最中ですので、刺した枝は枯れずに根付き、来年の今頃は我が家の
    庭で 半夏生の花 を眺められるのでは?と期待しながら、昨晩はタコの刺身で晩酌となりました。
                                          
        〈 花瓶に生けた半夏生 〉                 〈 群生している野生の 半夏生 〉
         ( 1週間も持ちました。)                  ( 小平駅から徒歩5分の場所 )


      


  • Posted by ボブ at 11:11Comments(0)植物・園芸

    111歳の懐中時計

    2019年07月04日

        〈 ウオルサム懐中時計 直径55ミリ 〉              〈 美麗なムーブメント 〉











    写真の懐中時計は、アメリカで 1908年7月5日 に、両親から息子に贈られた懐中金時計 です。

    この懐中時計のケースは、無垢の14金でずっしりと重く、4ピース(胴体・中ブタ・裏ブタ・ガラス縁)が蝶番で一体となり、頑丈な構造です。

    裏ブタを開けると中ブタが現れ、この中ブタに美しい英文筆記体で、下記が刻まれています。
                  David Jones Davies
                         FROM
                   Father & Mother
                        July 5 - 1908
          ( ディヴィド ジョゥンズ ディヴィス へ 父母より 1908年 7月 5日 )

    私は、この懐中時計を20年前に骨董市で見つけ、少し値が張りましたが、中ブタの刻字に魅かれて買い取り、私の懐中時計コレクションの仲間に入れました。

    1908年のアメリカと云えば、T型フォ-ドの量産が始まった年ですが、当時の懐中時計は庶民には手が届かない高額商品で、宝石商によって扱われていたと書かれています。

    14金ケ-スに収まっているム-ブメント(機械)は、WALTHAM (ウオルサム)社製 リバ-サイド 19石 で、当時の最高グレイドです。
    ゼンマイを巻くと動き出し、111年前の時計 とは思わせない元気な動きで、正しく時間を刻みます。

    14Kのケ-ス裏ブタには、網目模様のようなギョシェ彫りが施され、下部に David のイニシャルの D のデザイン文字が入っており、息子への愛情を込めた特注品であることを示しています。

    111年前の7月5日、この懐中時計が両親から贈られ、受け取った息子の喜びと感謝、そして幸せな家族の光景がありました。

    毎年7月5日近くになると、この懐中時計を取り出し、ゼンマイを巻き動かし、 David も耳を傾けていた チクタク音 を聞きながら、この懐中時計が David の手から離れ、日本に届いた過去の時の曲折に、想いを巡らせます。









      


  • Posted by ボブ at 06:34Comments(0)時計

    映画 「長いお別れ」

    2019年06月30日

    3ヶ月ほど前、小平市が行った 認知症サポ-タ-養成講座 に出席し、私も可能性ある 認知症 について、学びました。

    受講後に、認知症の人を支援(サポ-ト)する者の目印としての オレンジリング を与えられ、私も
    認知症サポ-タ- となりました。
    すでに高齢者で、近い将来に認知症の可能性を否定出来ない私が、 認知症者サポ-タ- となって良いのか?と思いましたが、これからの心掛けで 認知症 になるのを防ぐ・遅らせることで、支援する側になれたらと、思い直しました。

    5月末に、認知症をテ-マにした映画 「長いお別れ 」 が封切りされ、興味を持って鑑賞しました。

    もと中学校校長だった70歳の老人は、既に認知症が始まっており、彼を介護する妻・二人の娘達が直面して行く辛い時間の流れが、スト-リ-となっていました。

    既に結婚し1人息子もいる長女は、夫の海外転勤に同行していますが、認知症が進む日本にいる
    父親を心配しながら慣れない海外生活の中で、様々な問題にぶつかっていきます。

    現地校に通う一人息子は、不登校となってしまいますが、映画の終りに学校に呼び出され、年配の
    男性カゥンセラ-との対話の中で、認知症の祖父が好きだったことを、話します。

    カゥンセラ-は、「認知症のことを、英語では Long Good by (長いお別れ) と云うんだよ。」と、
    教えていました。

    発症してからが長い認知症と向き合う時間は長いが、支える家族にとって大切な別れの時間となる、と解説にありました。

    疑問に思った事は、支える家族にとって大切な別れの時間とのことですが、辛い大変な時間であり、一方 認知症の本人は時間の観念などなく、支えられていることも理解出来ないのが現実では?
    でした。
                 〈 オレンジリング 直径7センチ 側面にロバ3頭の絵 〉
















      


  • Posted by ボブ at 14:17Comments(0)雑記