2024年03月01日

ひな人形

ア-カイブ記事            公開 : 2012年3月2日

毎年、ひな祭りが近づくと、下の写真のひな人形を出して、飾ります。



この人形は20センチほどの高さで、亡き母が当時の保谷市公民館で行われた、木目込みひな人形
作り講座に参加し作ったもので、30年以上経ています。

介護をしていた時に、90歳を超えた母に、今までの嬉しかった思い出を、尋ねたことがありました。
母は、60歳を過ぎて、国民年金が自分の貯金口座に入るようになり、、自分の意志でそのお金を
使えるようになった事が嬉しかったと、語りました。

戦災で全ての財産を失い、3人の子育てを終えても、家計のゆとりは少なく、自分の楽しみへの
お金使いは、なかなか出来ずに過ごしていました。
入った年金のお金で、受けたいと思っていた材料費の掛かる人形作り講座を、遠慮なく受ける事が
出来て、とても嬉しかったそうです。 その母は、92歳で天寿をまっとうしました。

母の介護を終えた私たちは、翌年の2月 伊豆稲取に 河津桜 を見物する旅に出かけました。
泊まった 稲取温泉 では 雛のつるし飾り祭り の見物を行い 飾り物の云われを教わりました。

母のひな人形 の前の小さな飾り物は、その時のお土産で、俵ネズミと、巾着です。
俵ネズミは、金運があるようにとの願い・巾着は、お金に困らないようにとの、願いが込められて
いると聞き、母のひな人形 に相応しく思え、買い求めたものでした。

ひな祭りの前に、この人形を飾り付けますと、懸命に私たちを育ててくれた母が偲ばれます。
  


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    2023年08月20日

    4K職場の夏

    令和5年の夏は、猛暑日の日数更新が連日のニュ-スとなっています。
    酷暑の中、暑い職場で働く人たちは大変ですが、私もかってはその一人でした


    父は、戦前に時計店を開いたが空襲で焼失し、戦後は時計職人として家族を養うが、下請け修理の収入は低く、私たち家族は貧しい生活を強いられました。

    貧しさから抜けるには、お客の時計を直接修理し妥当な収入を得るのが一番で、私が高校生の時
    父は戦前からある建物の一角を借り、修理専門の小さな店を開きました。
    長男の私は当然として手伝わされ、高校卒業後は 時計修理が私の職業 となってしまいました。

    5年後に、一角を借り店を開いた建物は取り壊しとなり、父は下請けの時計修理職人に戻り、私は
    デパ-ト系の 時計修理センタ- で、時計修理技術者 として働くようになりました。

    時計修理を生業とし生き続けると思いましたが、私の20代後半にセイコ-がクォ-ツ時計を開発した
    ニュ-スが報道されました。
    製品化され市場に出たクオ-ツ時計は、正確で修理不要なことから瞬く間に普及し、時計修理の
    収入依存度が高い街の時計店が次々と消えていきました。

    30歳を直前の私は、時計修理の職を見切り、職探しを始め、求人募集の新聞広告を頼りとしました。

    工場従業員・学歴不問・年齢30歳以下 の記事を見つけ応募し、簡単な面接で採用となりました。

    出社した初日に安全研修を受け、翌日から現場に入り、4K職場 で働き始めました。

    3Kは、きつい・汚い・危険 の頭文字からですが、私の現場は 臭い が加わっての 4K でした。

    職場は鋳物の溶解炉がある鋳造工場で、中子(鋳物の空間部を作るもの)造形 の仕事でした。

    中子造形は、ホルマリン樹脂がコーティングされた砂を、ブロア機と呼ぶ機械で金型に吹き込み、
    電熱線が組み込まれた金型温度は 230~280℃ で、3~4分焼成でブザ-が鳴り金型が開き、成形された 中子(ワーク) が現れるものでした。
    ワークを金型から取り上げ、金型をエア-掃除して直ぐに作動ボタンを押すと、1サイクルとなります。

    1サイクルの間に、金型から取り出したワークに出るバリをヤスリで削り仕上げますが、ワークの
    温度は100℃以上と高く、ホルマリン樹脂が焼けたガスは臭く、顔を背けながらの作業でした。

    この職場の温度は、冬場でも30℃以上で、夏場は 雰囲気温度は40℃を超えており、1日に2回
    の10分休憩は、水分・塩分補給に終わりました。
    休憩所では、自由に麦茶・岩塩・梅干しが取れ、夏場には手当として牛乳瓶1本が配られました。

    この職場で3年間働かせてもらいましたが、今年の猛暑日記録更新のニュ-スを聞くたびに、
    4K職場の夏 を思い出す次第です。

                       〈 4K職場で、良くかじった梅干し


      


  • Posted by ボブ at 09:50Comments(0)思い出・品

    2022年07月31日

    ブログの終活

    2011年7月にスタ-トした ボブ(私)のブログ を続け、12年目に入ります。
    その年に小平市が開いた ブログ講習会 に参加し、ブログの作り方を教わり、それ以来 気ままに
    雑文記事を公開してきました。

    ボブのブログ には、テーマ毎の引き出しを作ってあり、ときおり 外出 など特定の引き出しを開け
    ますと、かって訪れた旅先があれこれと入っており、それらを見返すのは楽しい時間となっています。
    また 時計 の引き出しを開けますと、時計のコレクション・時計関連記事を見ることが出来、過去に携わった 時計修理の仕事 を思い出せます。

    従って、11年続けた ボブのブログ は、私が生き続けてきた足跡になっているように
    思えます。

    ボブは既に 後期高齢者の仲間入りをし、体力・気力の衰えを自覚し、さらにコロナ禍でいつあの世に行くか分からぬ人間となっています。

    ブロガ-は死にますと、その人のブログは更新されなくなり、サーバ-にはいつまでも残ったままと
    なるそうです。
    それはそれで仕方がない事かもしれませんが、あの世に行ってから 「 ボブのブログ に、随分と
    つまらない記事(恥)を残したものだ。」と、悔いないようにしたいと思いました。

    ボブのブログ12年目に入るにあたり、公開の雑文記事を読み直し取捨選択を行う ブログの終活 を考えています。  


  • Posted by ボブ at 17:20Comments(0)ブログ思い出・品

    2022年03月16日

    緑のパレ-ド

    3月17日は、アイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日で、アイルランド共和国の
    祝祭日です。 セント・パトリックス・デ- と呼ばれ、この日を祝って世界各地で盛大なパレ-ドが
    行われ、参加者が緑色(シャムロック等)を身に付け行進するため、緑のパレ-ド と云われます。

    1995年より3年間オハイオ州ダブリン市に住んだ私は、現地で 緑のパレ-ド に出合っています。
    その時は何のパレ-ドか知らずにいましたが、そのしばらく後にガレ-ジセ-ルで買った1組のカップ&ソ-サ-を調べる中で、アイルランド人の辛い歴史緑のパレ-ド の関係を、知りました。

    17世紀初めにイギリスがアイルランドを植民地化し、19世紀にはイギリスに従属化される辛い時代の中、ジャガイモ飢饉 から百万人もの飢餓・病死者を出し、200万人以上のアイルランド人が
    他国に移民したと、書かれていました。

    アメリカに渡ったアイルランド人の一部が、オハイオ州に辿り着き、故国のダブリンの名を冠した村を作り住みついており、私が出合った緑のパレ-ドは聖パトリックへの崇拝と、現在の繁栄への感謝を表わし、故国を偲んで行っていたものと思います。

    買ったカップ&ソ-サ-には、Arklow Fine Irish Bone China と印字があり、これはアイルランドのArklow 社製造 良質ボ-ンチャイナ(磁器)であることを、示しています。
    カップの肌は、ボ-ンチャイナ特有の乳白色で、絵柄は三つ葉のクロ-バ-と変わった紋章があり、金線の縁取りは高級感を出しています。
    三つ葉のクロ-バ-はアイルランドの国花(植物)・この緑色が国の色で、紋章のようなデザインはtara brooch と呼ばれるケルト族の燭台(国宝)の絵柄と、知りました。

    このカップ&ソ-サ-は落着いた美しさがあり、部屋の飾り棚に置いてますが、手に取り見る度に、ダブリンに住んだ時間と、見物した緑のパレ-ド を思い出させてくれます。

    毎年、日本各地で緑のパレ-ドが行われていますが、新型コロナ肺炎感染防止のため、3年連続で 今年も、残念なことに中止 となってしまいました。

    緑のパレ-ド情報 - -  http://inj.or.jp/events

        〈 思い出のカップ&ソ-サ- 〉            〈 シャムロック と tara brooch の絵柄 〉

      


  • Posted by ボブ at 07:20Comments(0)思い出・品

    2021年10月23日

    掛け時計 ムーブ交換 その1

    タイトル 「掛け時計 ムーブ交換 」 は、「それぞれに 思い出が詰まった三つの壁掛け時計に、
    クォ-ツ ムーブメント(駆動部)を交換をし、再び正確な時を刻む時計にした。」 記事の表題です。

    その1.として、1. ロイヤル・ ドルトン絵皿時計 です。

    骨董市で、動かずホコリを被ったこの絵皿時計(直径20センチ)を見つけ、絵柄が気に入り買いました。

       〈 ロイヤル・ドルトン絵皿掛け時計 〉            〈 子ウサギ達がCLOCKを勉強 〉











    皿時計の中心に描かれた絵は、 CLOCK と書かれた黒板の前に バニキンズ(ウサギ) が立ち、
    生徒の子ウサギたちに、時計・時間を教えており、上部には THE BUNNYKINS TEACHING CLOCK と書かれています。
    皿の裏側には Learining can be hours of fun ・・・ 等と、プリントされています。

    私が高校生の時、時計職人の父が時計修理の店を開き、私は長男として手伝わざるを得なく、
    大学進学への金もなくズルズルと、家業に入るようになりました。  やがて CLOCK(掛け時計・
    目覚時計)
    を手始めに時計修理技術を習得し、30歳まで時計修理を生業とし働きました。

    しかし、30歳を前に、修理が不要なクォ-ツ時計が市場に出始め、私はアナログ時計修理の仕事は激減・消滅すると予測させられました。 ( 実際に、30歳で転職しています。)

    この絵皿時計は購入後、ムーブメント(ドイツ製)を直そうとしましたが、分解が出来ず、ムーブメントも特殊仕様で、そのままとなっていました。

    今回、日常使っている二つのクォ-ツ掛け時計も、調子が悪くなってきたことから、ムーブメントの
    新品交換を考え、御徒町駅近くの 五十君(イギミ)商店 に行き、ムーブメント3個を購入しました。

    家に戻りムーブメントの交換・微調整をしましたら、 絵皿掛け時計として修復でき、私の書斎で正しい時を刻むようになりました。

    久しぶりに時計修理のまね事をしながら、長男ゆえに時計修理業に入り、やがてクォ-ツ時計出現で職業を変えざるを得なかった半生を、思い出したものでした。

      


  • Posted by ボブ at 10:46Comments(0)時計思い出・品

    2021年08月02日

    酷暑 インドで体感

    立秋前の今は夏の暑さのピークで、各地から 猛暑日35°C 超え が、報じられてきます。

    夏の暑さ度は 夏日(25°C~29°C) → 真夏日(30°C~34°C)猛暑日(35°C~) で
    報じられており、猛暑日超え は暑さのピークを、しめしています。

    今年は、夏は涼しいイメ-ジの 北海道で猛暑日 が報道されており、北海道の人達は不慣れな
    暑さで、参っているのではないでしょうか?

    慣れない暑さというと、私は連日 40°C超えの酷暑 を、インドで体感しています。
    26年前(1995年)の2月~4月、インドに50日間の海外出張を命じられ、ニュ-デリ-をベースに
    現地企業調査を行ってきました。

    2月に冬の寒さの東京を立ち、ニュ-デリ-に入りますと、現地気温は真夏日~猛暑日になっており、
    寒さに慣れた私の体は、暑さに悲鳴を上げたものでした。

    私は 「熱くて、参った。」 と、現地人スタッフに言いましたら、「今は暑くなく、本当に暑いのはこれからです。 」と、笑われました。

    「これがインド。慣れるより仕方がない。」 「郷に入れば、郷に従え。」 と、気持ちを切り替え、現地の
    業務に入りました。

    1ヶ月が過ぎ、インドの暑さに慣れたころ、現地人スタッフが 「これから暑さの本番に入ります。その前に 水かけ祭り が、明日あります。」 と、教えてくれました。

    翌日、現地オフイスで 水かけ祭り が行われると、実際は水を掛けるのではなく カラ-パウダ- を
    互いに掛けあうものでした。 私も、体中にカラ-パウダ-を掛けられ、現地人スッタフと笑いあい
    共に祭りを楽しみました。

    この祭りが過ぎますと、気温はぐんぐんと上がり出し、ついに 40°C超え となり、この暑さが連日続き
    ました。 風呂の湯より高い気温の中、通常の行動では命取りになると教わり、あまり体を動かさないようにし、常にミネラルウォ-タ-は手放せない毎日でした。

    40°C以上の気温の暑さの中の業務遂行は、インドでの多くの異文化体験と共に、忘れ難いものと
    なっています。

    北海道の猛暑日超えは、地球温暖化進行のサインのようであり、真剣に温暖化に歯止めを掛け、
    酷暑日 ( 40°C~) を設けずに済むようしたいものです。

                     〈 カラ-パウダ-を掛けあう 水かけ祭り





      


  • Posted by ボブ at 14:41Comments(0)思い出・品

    2021年07月23日

    ブログ10年

    10年より前は、私はブログの知識はまったく無かったのですが、当時参加していた英会話サークルのメンバ-が、クラスでの話題で自作ブログについて話してくれ、ブログとは?と興味を持ちました。

    その人のブログ名を教えてもらい、そのブログを開いてみると、自由気ままな記事の公開をしており、公開後に記事は保存され、何時でも過去の記事を、誰もが読み返せる事が分かりました。

    自分もブログを作ってみようと思いだした頃、小平市がブログ講習会を開く事を知り、さっそく参加しました。 そのブログ講習会は、費用が掛からない 地域ブログサービス たまりば を利用しており、
    年金生活者にとって有難いものでした。

    何回かの講習を受け、講師の親切な指導のもと、何とかボブのブログ の立上げが出来、現在に
    至っており、今月初には、たまりば の お知らせ欄 に、「 ブログ10周年おめでとうございます。」 のメッセ-ジが載り、ボブのブログ は11年周年目に入っていました。

    コロナ禍は何時治まるのか?ボブの寿命は?など、見通しがたちませんが、ボブのブログの更新が
    あれば、ボブはまだ生きているサインとなります。

    既に後期高齢者の仲間入りをしているボブの寿命は、いつ尽きるか分かりませんが、これからも
    時たま記事の更新が出来るよう、日々の生活を大事に過ごしたいと思う次第です。


      


  • Posted by ボブ at 14:57Comments(0)ブログ思い出・品

    2021年06月14日

    お蔭様で 卆FIT

    12年前、老いが進んで行く自身の 終の棲家 はどうするか?を考え始め、30年住み続けた家の
    不具合点を洗い出し、高齢者として 快適な住まい/介護の受け易さ を得るには? とスタディを
    続け、終の棲家 への建築条件を決めました。

    終の棲家 の建築条件を決めるにあたり、太陽光自家発電 を行うかどうか?で、迷いました。

    迷った理由は、太陽光発電設備への 初期費用が 210万円 と大きく、建て替え後の手持ち資金が心細くなります。 太陽光自家発電は行わず、そのお金は手元に持ち、万が一の場合に備えた方が良いのでは?との考えがありました。

    最終的に、建て替えは 環境に優しいエコ住宅MUST であり、 太陽光自家発電 は行うべきと考え直し、2010年に 太陽光自家発電 付きで、建て替えGOとしました。

    また、当時は太陽光発電の電力買取制度が法令化されており、固定価格買取り制度(FIT)
    よって、東京電力は自家発電の 電気1KW を48円 10年間買い上げ保証 しており、これも
    太陽光発電設備への投資 OK を、後押ししてくてました。

    2011年3月11日に起きた東日本大震災で、家の建て替え完成は半月の遅れとなり、4月15日に
    終の棲家 とする新居に住み始め、太陽光自家発電 も始まりました。

    東日本大震災により原発事故が起き、電力不足となり、経験のない計画停電の生活を強いられ、
    太陽光自家発電 は正解であった、とも思いました。

    終の棲家 に住み10年が過ぎた先月初旬、東京電力より 再生可能エネルギ-の固定価格買取期間満了のご案内 卆FIT ( 満了日 2021年5月14日 )が届きました。

    この時点で、我が家での自家発電の総量は 4491Kw に達しており、買い上げ金額は 216万円 となり、初期投資費用 210万円をカバ- していました。

    卆FIT の案内で、これからは 1Kw の買い上げが 48円 から 8.5円 になると、知らされました。

    しかし、太陽光発電設備の初期費用は回収出来ており、今後も自家発電で 8.5円での買い上げが続き、脱炭素の時代 に沿ったエコ住宅に住めていることに、お蔭様で と 感謝する次第です。

      〈 マイルスト-ン時 のお祝い花火 〉             〈 卆FIT 直前の発電量 〉









      


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    2021年05月06日

    詰将棋 ご褒美

    国立NHK学園オープンスク-ルの将棋講座では、前半を講師による 基本定跡・手筋・棋譜などの解説 、後半時間は講師が対局相手の組み合わせを決め 実戦対局 となります。
     *実戦対局では、棋力差があると駒落ちのハンデが与えられ、勝敗結果はカードに記録され、
    昇級・昇段に使われます。 ( NHK学園事務局に申し込めば、見学も出来ます。)

    その他に年に数回、 詰将棋テスト があり、テストは 3手~7手の詰め将棋問題 6題が出され、
    30分のテスト時間が与えられます。

    制限時間が過ぎると講師が採点し、朱書きで 正解は二重丸・不正解は レ点 がマ-クされ、総合
    点数が記されます。

    5年前に、惚け防止の目的で この将棋講座に入会し、 詰将棋テスト を何度も受けてきましたが、
    全問正解には程遠いものでした。

    私より高段者でも、なかなか全問正解の100点を取れず、100点を取れた受講生が出ると、講師は全員で拍手をするように促します。
    更に、講師は100点を3回取ったら、講師から ご褒美 を差し上げると宣言し、今までに何名かが
    その栄誉に浴していました。

    講師の内田昭吉6段 は、読売新聞の アマチュア将棋大会で日本一 になられた方ですので、
    私は直筆色紙を ご褒美 に頂きたく思うようになり、詰将棋の勉強を心掛けるようになりました。

    令和元年8月に、初めて100点満点が取れ、その後も頑張りましたが、満点には中々届かずでした。
    鼻先にニンジンをぶら下げられている気もしますが、内田昭吉先生の直筆色紙 が欲しく頑張りましたら、今月(3月)のテストで100点満点が取れ、100点3回に達することが出来ました。

    自分自身のご褒美として、千駄ヶ谷にある将棋会館に出掛け、扇子(将棋) を買い求めており、
    これからも惚け防止の詰将棋を楽しみます。

    四月の講座クラス時に、内田昭吉 講師より立派な直筆色紙 を戴き、私の新しい宝物となりました。

        〈 ご褒美で戴いた色紙 〉            〈 採点されたテスト用紙 〉





      


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    2020年05月19日

    カッコ-飛来

    毎年5月中旬ころ、 渡り鳥の カッコ- が、はるばるアジア大陸から我が家の近所(小平市仲町)に、飛来してきます。

    近所に、熊野宮(くまのぐう)神社 があり、飛来したカッコ-はこの神社の古樹に羽を休め、数週間
    とどまり、毎日「カッコ-、カッコ-」と、鳴き声を、聞かせてくれます。

    熊野宮神社 は300余年前に、1本の巨木榎 の元に祠が建立されたのが始まりで、1本榎 は江戸時代に傍を通る青梅街道を旅する人達の、大切な目印となっていたそうです。

    山里でもない小平に、アジア大陸から渡ってきたカッコ-がなぜ 熊野宮神社 で羽を休めるのか?
    なぜ毎年飛来してくるのか?を考え、「江戸時代に先祖のカッコ-は巨木の1本榎を目印に飛び続け小平に着き、その記憶が子孫の カッコ-のDNA に残されているからでは?」と、想像しました。

    一方、神社の古樹に羽を休めた 今年のカッコ- は、神社の境内を見下ろし参拝客がいないのに
    気づき「 閑古鳥 が、鳴いている。 なぜだろう?」と、思っているのではないでしょうか?

    今の日本は 緊急事態宣言 で、多くの場所・施設・店などで 閑古鳥が鳴かされており、関係者の
    多くは泣いている状況です。 コロナ禍が、一日も早く収まることを願う、毎日です。

          〈 無人だった熊野宮神社 〉                 〈 3代目の武蔵野1本榎 〉





      


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    2020年04月13日

    青いじゅうたん

    昨日(4月12日)の日経新聞 日曜版に、 ハルの森 ベルギ- のタイトルで、森の木々の若葉と
    その下に咲く ブル-ベル を紹介する大きな写真が載りました。

    説明記事には、「ベルギ-の首都ブリュッセル郊外のハルの森。 春の訪れを知らせる花 ブル-
    ベル
    が地面を覆いつくし、まるで おとぎ話の舞台のように幻想的で美しい景色が広がる。
    ブル-ベル は密集して生えるのが特徴で、その様子は「青いじゅうたん」と表現されるほど。
    釣り鐘(ベル)形の小さな青い花が群れて咲く姿は、かわいらしくも神秘的で、「妖精の花」と云われている。」と、紹介されていました。

    私は1987年10月、最初の海外駐在としてベルギ-に赴任し、2年半ブリュッセルに住みました。
    ブリュッセルでは、最初の冬を寒い思いでようやく越し、春になると駐在の先輩がハルの森を教えて
    くれ、訪れると ブル-ベルの群生光景 の神秘的な美しさに感動させられました。

    一方、新聞の写真では、ハルの森青いじゅうたん の神秘的・感動的な美しさを、伝え切れて
    いないと、もどかしく思いました。

    青いじゅうたん の感動は、森の木々が未だ芽吹く前に咲き出す ブル-ベルの花 が何の色にも
    邪魔されず一面に咲くタイミングであり、また写真では紹介出来ない群生の大きさは、森の中の道を車で10分走っても続く規模でした。

    車から降り森の中を歩くと、ブル-ベルの花芳香 (ヒヤシンスに似ている)が一面に漂い、おとぎ話のような幻想的で美しい景色を、さらに素晴らしくしてくれていました。

    新聞の写真では、ブル-ベル が伸び過ぎている時期であり、森の木々の緑がブル-ベルの花
    美しさを邪魔しているものでした。

    しかしその写真は、33年前にブリュッセルに住み始め、それ以来3度の春のたびごとに、ハルの森 を訪れ、青いじゅうたん からの芳香と神秘的な光景に感動した思い出を、呼び起こしてくれました。

                         〈 画面下がブル-ベルの花 〉













      


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    2016年04月09日

    巡り合わせでギフト

                     ア-カイブ記事            公開 : 2015年4月18日

    6年前に秩父札所を巡り、3年前に四国あるき遍路を行い、ともに結願できた私は、今も元気です。

    私の札所巡りは信心からでなく、他所の土地を歩く一つの目的地として選んだものですが、札所を
    訪れますと般若心経を唱え、形どうりの参拝を行います。 すると、何か心がすっきりする感じです。

    今年は、坂東札所三十三観音巡り を行おうと、4月9日に鎌倉の杉本寺からスタ-トしました。

    この日に、鎌倉で2寺・長谷で1寺の参拝を計画していましたが、1番寺となる杉本寺のご住職から、
    逗子にある岩殿寺も近い事を教わり、4寺を参拝する結果になりました。

    4寺目の岩殿寺の参拝を終え逗子駅に戻るとき、急げば東京方面行きの電車に間に合いましたが、ゆっくりと歩き続け、駅に着くと電車が発車したところでした。

    20分ほどして、逗子始発の電車がホ-ムに入ってきて、私は高齢者として優先席に座りました。
    次々と乗客が乗ってくると、空いた座席が埋まって行き、私の隣りに観光らしい西洋人女性二人が座ってきました。

    座ると、二人はお喋りを始めましたが、私には聞き慣れない外国語で、何国人か検討がつきません
    でした。 二人の内一人は年配で、もう一人は30代くらいの感じで、親子のように思えました。

    時刻どうり電車は動き出し、東京方面に進みましたが、戸塚駅の手前で急に止まってしまいました。
    すぐに車内放送で 「戸塚駅で、人身事故が発生しました。 この電車は、しばらく停車となります。」 と告げられました。

    放送を聞いて、乗客は騒ぐこともなく諦観の体で、電車が動き出すのを待ち続けました。
    車内放送は繰り返し行われましたが、いつ復旧するかが分からずにいますと、隣りの西洋人二人がそわそわし出しました。

    二人は事態の把握が出来ず、困っているように思えましたので、私は思い切って英語で話しかけてみることにしました。

    私が “ Excuse me. Do you speak English ? ”と問うと、若い女性が “ Sure. What ? ” と答えてくれました。

    私は、次の駅で事故が起こり電車はしばらく動かない事を説明し、電車が遅れることで二人に問題は起きないか確認しました。 彼女達は大崎にあるホテルに戻るだけで電車が遅れても問題なく、私と同じ品川乗り換えと分かり、私が品川に近づいたら教えると伝えると、すっかり安心し落着きました。
     
    私は、これで用が済んだと思っていましたが、若い女性から次々と話し掛けられる事になりました。

    彼女たちはオランダ人で、2週間前に長崎に着き、桜前線を追うように東京まで来ており、家族三人での観光旅行を楽しんでいると、話しました。 約30分ほど、日本について様々な質問があり、逆に
    オランダの話も聞かせてくれました。 例えば、オランダの定年年齢は67歳と、教えてくれています。

    話が尽きかけてきた頃に、若い女性は “ This is a small gift for your kindness. ” と
    言い、小さな物を差し出し、私にくれました。

    長さ5センチほどで、オランダのシンボルと云われる木靴が、陶器で作られたものでした。(下の写真)
    靴の表には花柄と風車の絵がプリントされ、靴を結ぶリボンはオランダの国旗の色で、美しく可愛い
    ギフト用ミニチュアと分かりました。 裏返すと、ハンドメイド オランダ デルフトブル- とあります。

    私はすっかり気に入り、家に戻って思い出の品々を飾っている キュリオケ-ス に納めました。

    思い返しますと、この頂いたギフトは、様々な巡り合わせ によって、私の家に来たものと思えます。

    ・杉本寺のご住職が、逗子の岩殿寺も同日に参拝出来ると、教えて下さった。
    ・帰りを急がず、逗子始発の電車に乗り、優先席に座った。
    ・オランダ人観光客二人が、隣りに座った。
    ・戸塚駅で、人身事故が発生し、電車が長い時間止まった。
    ・オランダ婦人たちが困って、落ち着かない様子だった。

    上記の、どの一つが欠けても、彼女達と話すことは起きず、ギフトを頂くことも無かったものと思え、
    この巡り合わせ から エニシ(縁) と云う言葉が、心に浮かぶようになりました。

                    〈 オランダ人観光客から貰ったギフト  5センチ大〉

    追記 : 2016年4月9日
    1年前のブログ記事を読み返すと、当日の様々な体験が思い出されます。
    この日は様々な巡り合わせから、オランダ人観光客からギフトを貰っていますが、私が臆せずに
    " May I help you ? " の気持ちで、声掛けが出来た結果でもありました。

    1年前に語ボラ- (外国人おもてなし語学ボランティア)の予行を、偶然に行っていたものでした。


      


  • Posted by ボブ at 12:09Comments(0)思い出・品

    2014年04月05日

    アンリの人形

    1978年に、初めてパスポ-トを取得し、会社業務でイタリ-に出張しました。

    初の海外出張では、様々なハプニングを経験しましたが、まず最初に、11月8日パリに向け羽田を飛び立ったJAL便がアンカレッジに着き、トランジット時間を過ぎても飛び立とうとしなかった事でした。 

    パリからロ-マ便に乗り継ぐ予定のアンカレッジでの遅れは、乗り継ぎに問題が起きるのでは?と、ハラハラさせられました。 3時間遅れで飛び立ちましたが、遅れの原因は車輪を動かす油圧系統の故障で、応急修理に時間を取られたためと、説明されました。

    「本当に大丈夫か?」と思いながら、機内サ-ビスのワインを飲んだ後に寝込んでしまい、目覚めるとパリに着いている時間でした。 何時まで経っても着陸の気配はなく、やがて機内アナウンスで、「パリは濃霧 のため、旋回し霧が晴れるのを待ちましたが、燃料に制限がありますので、ロンドンに
    向かいます。」と告げられました。

    ヒ-スロ-空港に着くと、ロ-マに行くJAL便はなく、英国航空(BA)ロ-マ便に切り替えが必要と
    分かり、やむを得ずBAのカウンタ-に行き、なんとかロ-マ便の座席を取る事が出来ました。
    ようやく機内に乗り込むと、回り全てが外国人なのと、機内に漂う強い臭い(香水・葉巻・体臭など)に、外国に来ている実感がわきました。

    12時間遅れでロ-マに着きましたが、ハラハラ・ドキドキの長い時間を、強いられたフライトでした。

    現地での業務は12月下旬まで行って、クリスマス前の12月23日が、日本帰国の日となりました。 

    帰国フライト前に、少しゆとり時間があり、ロ-マの土産物屋で時間を過ごし、土産にと買ったのが
    写真のアンリの人形です。
    子供の表情が愛らしい木彫りの人形で、気に入って買いましたが、これが北イタリアにある木彫り
    人形製作のアンリ社の製品で、世界的に人気があるとは知りませんでした。 

    初めての海外土産のアンリの人形 は、居間に置いたキュリオケ-ス に収めてあります。
    この人形を見るたびに、イタリ-出張でのハプニング・トラブルも思い出されますが、それ以上に
    明るいイタリ-人との仕事時間・多くの都市訪問・モルト ボ-ノ の食事などが思い出されます。

        〈 アンリ人形 少年とウサギ 〉                  〈 キュリオケ-ス内の一部 〉

      


  • Posted by ボブ at 13:24Comments(0)思い出・品

    2013年04月03日

    貴婦人と一角獣

    昨日(4月2日)外出した際に、小平駅の線路沿いの広告看板群の中に貴婦人と一角獣展の絵が、ありました。 これは、4月24日より国立新美術館(六本木)で行われる特別展の広告ですが、この
    広告絵の赤の鮮やかさが、このようではないはずと、気になってしまいました。

    西暦1500年頃に制作されたと言われる、このタペストリ-の作品群は、始めフランスの古城の壁に掛けられていて、19世紀に買い取られ、現在はパリのクリュニ-美術館(仏 国立 中世美術館)に
    あり、薄暗い館内の円形の広間の壁面を、ぐるりと掛け巡らしています。

    20数年前に、私はこのタペストリ-の見学で、クリュニ-美術館を訪れていますが、ほの暗い館内でタペストリ-を見た時は、ずいぶんと古色蒼然の赤色と感じ、16世紀からの時を経た織物では当然と思い直しています。
    その時、お土産としてコピ-品を買っていますが、この品も色あせた赤で作られていました。

    看板絵の色彩を見て、その鮮やかな色を期待し新国立美術館に行くと、期待外れを感じてしまい、
    フランスの至宝
    と云われる所以の部分を見落としてしまうのでは、と余計な心配です。

    一方、昨夜のBS4 番組「ぶらぶら美術・博物館」では、仙台市博物館で行われている特別展 「若冲が来てくれました プライス コレクション 江戸絵画の美と生命」 を訪れ、主に伊藤若冲の作品を
    中心に紹介していました。

    この特別展の中で、「鳥獣花木図屏風」は目玉の一つで、7年前にも日本で公開されていますが、
    プライス氏のご高齢より、今回が最後の日本公開では?と云われています。
    番組の終わりに、ジョ- プライス夫妻が出演され、「被災された東北の方々を元気付けるため、この特別展を東北で行うことにしました。 特に屏風に描かれた生き物への色彩の素晴らしさを見て、
    元気になってもらいたく、屏風の前にガラスを置く事をしていません。」と、語られており、さすがと思いました。

    両方の美術品とも過去に見学していますが、日本で見られるのは最後と云われていますので、両方の特別展を訪れる計画をしています。

    お土産で買った一角獣をつれた貴婦人のタペストリ-。 思い出の品で、大のお気に入りです。 
    ベッドの横の壁に掛けてあり、毎朝・毎晩と自然に目に入り、この不思議な絵柄を見ると気持ちが
    和らぎます。 可愛い動物たちと、千花模様(ミル・フル-ル)。 いくら見ていても飽きないものです。

              〈 一角獣をつれた貴婦人 視覚 〉   高さ 85センチ 横 195センチ




      


  • Posted by ボブ at 13:41Comments(0)思い出・品