2014年01月30日

道しるべ あるき遍路回想

                    ア-カイブ記事            公開 : 2013年1月30日

道しるべ(道標) … 目的地までの方向や、距離をしるした立札・石碑など。道案内。

初めての四国歩き遍路に、不十分な地図・情報しか持たなかった私は、12番焼山寺を過ぎてから、道に迷う難儀が起き始めていた。

7日目に泊まった宿で、歩き遍路は地図本四国遍路ひとり歩き同行二人」の携帯なしでは、歩き
続けるのは無理と云われ、一刻も早く入手するようアドバイスを受けた。
その地図本を見せてもらうと、必要な情報が全て載っており納得したが、この地図本を入手出来た
のは、26日後の54番延命寺の売店だった。
この地図本を入手してからは、道に迷うことは少なくなり、宿の予約が楽に出来るようになった。

全行程の3分の2を、バイブル地図本 なしで、なんとか54番延命寺に辿り着いたものだが、それは
遍路道の要所・分岐点にある道しるべのお蔭 だった。

遍路道で出会った道しるべは、大きく三つに分けられた。

1.へんろ道保存協力会の道しるべ  宮崎建樹さんが、赤矢印赤お遍路姿など分かりやすい
 マ-クを考案され、遍路道の整備目的で、個人の労力・資金によって設置し始めたもの。
 道しるべとしてへんろシ-ル道しるべ札立札が使われ、遍路道の分岐点に貼られたり、設置され
 ており、今の時代のお遍路はこれらの道しるべを頼りに、次の札所へと歩いて行く。
    〈 曲がり角の道しるべ札 〉                  〈 まっすぐ進めの道しるべ 〉











2.昔の道しるべ… 江戸時代から残る石碑で、人指し指が浮き彫りされ、方向を教えている。
 旧遍路道に残った昔の石碑道しるべに出会うと、昔のお遍路と同じ道を歩いている感慨が湧いた。
   〈 手間を掛けた浮き彫り石碑 〉               〈 風雪で字がかすれた石碑 〉











3.現代の道しるべ … 国道の道路標識。四国のみち の道しるべ(石碑、木。)など。

・国道を歩く時に頼りにしたのが、道路標識。
 幹線道路から離れると、地名標識は極端に少ない。
 

・四国を一周する四国のみち は、国土交通省四国が
 設置した最近の道しるべで、石碑・木製の両方が
 あり見易かった。





都市部を離れると、地名表示は少なく、誰かに訊きたくても、人影が見当たらないことが多かった。
その様な時、道しるべだけが頼りとなるが、貼られた小さなへんろシ-ルを見逃してしまったり、
余所者が迷いそうな場所なのに、道しるべは無かったりして、道に迷うことが多々起きた。
逆に、都市部に入ると、1.の道しるべ が無い事が多く、余計な道歩き修業?をさせられた。

*教訓 「いつまでもあると思うな、親と金。」 → 「 いつまでもあると思うな、道しるべ。」  


  • Posted by ボブ at 14:32Comments(0)四国あるき遍路

    2014年01月23日

    賀寿祝い 次も



    賀寿は長寿を祝う年齢で、数え年で数えるそうです。

    60歳 還暦、70歳 古希、77歳 喜寿、80歳 傘寿、88歳 米寿、90歳 卒寿、99歳 白寿、100歳 百賀 とあり、将棋の愛好家は81歳 盤寿(将棋盤のマス目から)も祝うように、まだ他の賀寿がある
    ものと思います。

    かって働いていた会社のOB会が、東京地区で今年1月に70歳/77歳となったメンバ-の賀寿祝いの会を、1月21日のお昼に開いてくれました。 招待され参加した人は17名で、5名が喜寿・12名が古希として、お祝いを受けました。

    今までOB会の行事には、参加したことはありませんでしたが、同じ年に生まれ同じ時代を生き抜き、ある時期に同じ会社で働いた人達と会ってみたく、この賀寿祝いの会 に参加しました。

    美味しい折詰弁当を食べながら、廻りの人達との歓談が進み、食べ終える頃に、一人一人から近況・
    健康維持法・生き甲斐などを紹介するスピ-チタイムが、ありました。

    同じ70歳でも、お元気であちこち出掛けている人・健康問題がある人・伴侶を失われている人・地域社会で活躍されている人など、さまざまな現況を聞くことが出来ました。

    70歳で参加の12名の中で、1月1日誕生日の人が3人も紹介され驚きましたが、自己紹介の中で
    1月1日に生まれた人は一人だけで、残りの二人は12月下旬に生まれていたと知りました。
    出生届けを昭和19年1月1日生まれにすると、徴兵検査を1年遅らせる事が出来ることから、両親が元旦生まれで出生届けをしたそうで、私たちの生まれた時代と、有り難い親心を思いました。

    楽しかったお祝いの会は、あっと云う間に過ぎ去り、OB会の世話役から「賀寿の年齢は、たくさん
    有りますが、OB会では 古希喜寿米寿白寿 でのお祝いをさせて頂いております。 
    今日ご参加の皆さまとは喜寿または米寿でお会いする事になります。 お元気でお過ごし下さい。」
    と挨拶され、閉会になりました。

    帰り際に、全員の記念撮影写真をもらいましたが、家に戻り写真をながめ各人のスピ-チを思い出しながら、私は次回の写真にも写してもらえるように、健康長寿を心掛けようと思いました。




      


  • Posted by ボブ at 10:44Comments(0)雑記

    2014年01月20日

    水仙まつり

                        ア-カイブ記事            公開 : 2013年1月20日

    日本水仙(ズイセン)群生で日本一と云う、千葉県きょなん町保田地区で、12月15日~2月5日と
    水仙まつり が行われおり、1月18日(金)に 江月水仙ロ-ド を歩き、見物してきました。

    水仙ロ-ド入口から少し進むと、低い山に向かう道沿いには農作地が続き、その畔や反対側の山の斜面のあちこちに日本ズイセンが群生しており、その多さは想像以上でした。
    水仙が咲いている辺りには、甘く優しい芳香が漂っており、畑には食用菜の花の摘み残しの黄色があり、水仙の白との対比が目を楽しませてくれます。

    道沿いに立っている案内板には、「保田地区の水仙は、江戸時代から有名で、船で江戸に出荷され、江戸の正月を飾る花として、江戸の町屋や武家屋敷に呼び売りされ、とても人気がありました。 
    その昔、近くのお寺の和尚さんが中国から持って帰り、植えて広まったものが、保田の水仙の始まりと伝えられています。 和水仙は別名 雪中花 とも呼ばれています。」と、水仙の里 江月を紹介していました。

    水仙ひろば にはテント小屋があり、地元農産品と甘酒の販売が行われ、多くの人が熱い甘酒を
    求め、外のテ-ブル席に座り、里山景色を愛でながら、小休憩を取っていました。
    販売所の人が、「今冬の厳しい寒さで、水仙の開花は1ヶ月ほど遅れており、例年では1月中旬が
    一番の見頃で、水仙ひろばの上に広がる斜面一面が白い花で埋まり、それは見事なのだが。」と、
    話してくれました。

    見返り峠で、正面に冬の富士山がくっきりと見える絶景を目に納め、水仙以外にも早い春を告げる
    草木の花を見つけながら、花の量は少なくとも訪れて良かったと思いつつ、元の道を戻りました。

    お昼は、保田漁協直営の食事処 ばんや で、人気の朝獲れ寿司・アジのなめろう・イカフライを食べ
    ビ-ルを飲みと、お腹も満足・満腹となりました。

    水仙まつりは2月5日までとなっていますが、日本ズイセンの花見は中旬まで楽しめそうです。
    今回得た情報と経験をもとに、来年のベスト花見時を探って、また訪れてみたいと思っています。

    〈 蛇足 〉
    *東京駅八重洲南口発、高速バス房総なのはな号で、最初の停留所 上総湊 で下車(70分)。
      JR 内房線上総湊駅から3駅目が保田駅(15分)。 東京駅から2時間掛からず、日帰りは楽。
    *今回は、前日に浜金谷で下車し、鋸山ハイキングコ-スを歩き、日本寺~日本一大きい大仏等を
      見物。  夜は、安房勝山駅から歩いて7分の、民宿 おしなや に宿泊。
    おしなやは、設備良し・料理良し・富士山が見える展望風呂良し・女将良しで、また泊まりたい。












      


  • Posted by ボブ at 10:52Comments(0)外出

    2014年01月12日

    歩く あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2013年1月16日

    歩く事が健康に良いとの確信を、公開記事「歩かねば」で書いている。
    歩く事で精神を鍛えるのは、四国遍路の1,400Kmを歩き通す歩行行(ほこうぎょう)がその例で、
    NHKラジオ講座 “ 四国遍路を考える ” では、「歩き通す事と云う苦行 を設定し、それに挑戦し、
    人間の可能性を追求して行く。」と、語られていた。

    さらに、「人生とは生きること。挑戦の連続。」・「道は、人生。」・「歩くは、生きる。」・「今まで生きて
    きた過去の人生は、今まで歩いて来た道。 これからの人生に、どのような道を選ぶか?どのように歩くか?は、本人の心掛けで決まる。」などとも云われている。
    しかし、私の四国あるき遍路は、そのような考えや目的を持たず、(人が行っている事を、真似して
    やってみよう。)の軽い気持ちを主として、始めたものだった。

    鳴門がスタ-ト点で、計九十九ヶ所の札所を、交通機関を一切使わずに、道に迷うなどしながらも、
    45日間で1,480Kmを歩き通し終える事が出来、46日目には高野山奥の院にお礼詣りも行えた。

    実際に歩いた道は、昔の人が遍路で歩いた旧遍路道・車社会になって出来た遍路道・国道・トンネル道・一般道・農道・田のあぜ道・山中で迷い歩いた獣道など様々だった。

    歩いた様々な道の中で、思い出に残る道は旧遍路道だが、特に山間部にある険しい修験道として
    使われた古道だった。 そのような道は、12番焼山寺に向かう「へんろ転がし」や、27番神峰寺の
    真っ縦」等など何ヶ所もあって、山の精霊を感じるほど静寂な中、滅多に人とも合わずに金剛杖を
    頼りに、修業を頭に浮かべながら歩いていた。

    喘ぎ喘ぎ大汗をかきながら登り下りと歩く道がほとんどで、12Kgのリュックを重く肩に感じ、捨てればどれだけ楽になるだろうと思い、立ち止まりながら、歩くのはもう嫌だの考えが、頭を占めて来る。
    しかし、険しい山道には車は入れず、他人に頼ることも出来ない場所であり、自分から足を動かさ
    ないかぎり、晩の食事・寝床が得られない事は明白だった。 この修験道では、如何に苦しく辛く
    とも、自ら歩かねば生きるに繋がらない事を、教えられていた。

    歩くは、生きる。」を実感し、今日を生き抜くために「歩かねば!」と、足を踏み出していた。





      


  • Posted by ボブ at 09:11Comments(0)四国あるき遍路