2016年10月04日

四国遍路 記念日

四年前の10月4日に、四国遍路の旅に出掛けています。
鳴門から歩き出し、乗り物を一切使わずに、46日間を掛け四国一周の遍路旅を結願出来ました。

この旅での体験を、ボブのブログ「四国あるき遍路」で記事公開しており、時々読み返し懐かしく思い出しています。

四国を、通し(10 4)で歩いた思い出の日として、今日10月4日を 四国遍路 記念日 と決めました。

今年は、60年に1度の うるう年+丙申(ひのえさる) でご利益5倍になるとか云われ、多くの善男
善女が四国遍路に出掛けいるそうです。

我がブログ記事「お遍路の一日」を開き、四国お遍路旅を思い出してみます。

                    ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月22日

四国あるき遍路の一日は、おおよそ次のように流れた。

          〈 前夜、お遍路民宿に泊まる。 〉
5時30分 起床  ・洗顔 ・体操+ストレッチ ・TV 天気予報当日の確認

6時00分 朝食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・茶碗飯大盛り2杯、おかずも残さず食べる。
           ・朝食後に、宿代・前夜飲み物代の支払い。
           ・共同トイレの空きをみて、朝の大トイレ。(とても重要。体を軽く。)
           ・部屋に戻り、身支度。 ・その日の歩きコ-ス確認。 

7時00分 宿立ち ・札所目指して、遍路歩きスタ-ト。
           ・ひたすら歩き、約90分毎に、10分位の休憩。(長く休むのは N.G. )
           ・休憩時に、水分補給。 ・菓子/果物などでカロリ-補給
           ・札所では、本堂と大師堂それぞれにお詣り。( 般若心経の読経ご朱印受け。)
           *一つの札所お詣りに、約30分は掛かる。
           *ひたすら歩くだけの日と、1日に何ヶ所もの札所巡りの日がある。

12時頃  昼食 ・食事が出来る店が無い場合が多い。 ・途中で買った弁当を食べる。
           ・弁当を買えない場合は、リュックに用意の非常食/菓子などを食べる。
           ・昼食後、再び歩く。 ・天気の日は大汗をかき、水分の補給を頻繁に行う。
           ・10月中は、ペットボトル大を、毎日5~6本飲んだ。  

15時頃 宿予約 ・残り2時間で行き着ける辺りの宿に、スマホで宿泊予約。  
           ・ひたすら歩き続け、宿に向かう。

17時頃 宿入り ・宿帳に記入。 ・入浴。(入浴中に足のマッサ-ジ。)
           ・大汗をかき濡れた衣類のコイン洗濯。(ほぼ毎日)

18時00分夕食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・まずはビ-ル大瓶1本。
           ・食事時間に、情報交換。 ・歓談。一番楽しい時間


19時頃 部屋に ・洗濯物のコイン乾燥。 ・日誌つけ。 ・翌日ル-ト/歩行予定距離確認。
           ・スマホ他の充電 ・リュック中身の確認と整理。 ・TV天気予報を見る。

21時 就寝 ・寝具敷き ・耳栓/アイマスク ・懐中電灯枕元に。

*ビジネスホテルは夕食なく、外に出て食事。 朝食が出ても7時から。
*1日に歩く距離は、その日訪れる札所の数如何と、山道/平地で異なる。
  山道多い日は、20~30Km。 平地を歩く日は、40Km。 最長歩いた日は、50Km。

歩き進むと、日々変わる景色・農作物の変化・四国各地の人の暮らし等を見て学べ、お接待など
多くの方のお世話になりながら、毎日が新鮮で楽しい思い出が残っていった。

  


  • Posted by ボブ at 07:21Comments(0)四国あるき遍路

    2016年03月23日

    なぜ四国遍路に

                       ア-カイブ記事            公開 : 2012年11月24日

    四国遍路の旅では、宿の夕食が6時からで、札所巡りを行っている人たちは、一緒の食事となった。
    一日の札所巡りを終え、風呂でさっぱりした後の食事時間に、お互いの出身地・札所巡り期間・体験などを語り合い、また情報交換など出来、楽しく貴重な時間だった。

    中には、既に何周も四国あるき遍路行っている人達もいて、それらの人のアドバイスや情報などは、
    初めて歩き遍路を行う私にとって、大いに役立った。

    また、この夕食の会話の中で、歩き遍路の経験者は、初めて行っている私に、「四国あるき遍路を、何故行うのか?」との質問を、よくしてきた。

    私はいつも、「定年退職した私は、家に居てもする事はなく、家では山の神に支配されて面白くなく、この状況から抜け出るには長い旅が良いと考えた。 四国の札所巡礼に行くと言えば解ってもらえ、実行に移せた。」と、答えていた。

    しかし、実際は老両親の介護を終えた後、心の中に死への戸惑い・慄き が強く心を占め、しばらく
    悩んだ後に 般若心経 を知り、「」の理念も理解出来ると、悩みから解き放たれていた。
    さらに、四国遍路では札所にお詣りする時に、般若心経を唱えると知り、覚えたお経を札所で唱えてみようと、四国遍路を考えるようになっていった。

    般若心経の関連書物から、昔の人々は四国遍路は 死出の旅 の覚悟で出掛けた事を知り、
    私も昔の人々と同じ方法の通しで歩いて行う あるき遍路を行い、何かしら心に得てみたいと考え、
    四国遍路に出たものだった。 
                      〈 60番 横峰寺への登り遍路道 〉





    追記 : 2016年3月23日
    平成24年10月3日~11月17日に、歩きのみでの四国遍路を行い、結願して得たものは、沢山の良い思い出だった。 ブログ記事をアーカイブで読み返し、四国遍路の思い出を楽しんでいる。
      


  • Posted by ボブ at 10:30Comments(0)四国あるき遍路

    2015年10月03日

    四国遍路大使

    今日10月3日は、3年前に 四国遍路に出掛けた思い出の日 です。

    あの日、東京 → 京都 → 鳴門と移動し、その夜は鳴門のホテルに泊まり、翌日から乗り物をまったく使わずに、四国を一周する四国八十八ヶ所札所巡りをスタ-トさせました。

    道中では、道に迷う・宿が取れない等もありましたが、正味44日間を歩き通し、無事に結願出来、
    よい思い出が残りました。 この旅での経験等を、テ-マ記事 「四国歩き遍路」 に書き残してあり、
    読み返すたびに、この旅を完結出来た幸せを感じます。

    しかし、この巡礼によって百八つもある私の煩悩は、消え去るはずでしたが、修業が不足のせいか、未だ煩悩だらけの私であり、今年は坂東三十三観音札所巡りを行っています。

    「四国歩き遍路」の記事を読み返し、結願した私は「四国遍路大使」に任命されていた事も、思い出しました。

    ア-カイブ記事  大使に任命 あるき遍路回想        公開 : 2013年11月9日

    昨年10月3日に四国に入り、翌日より歩き出した四国遍路は、43日目の11月
    14日に八十八番寺 大窪寺に辿り着けた。
    その後は十番寺へと進み、逆回りで一番寺に戻り、歩きでの四国一周が成就し、17日に高野山をお詣りし、46日の旅を無事終える事が出来た。

    八十八ヶ所霊場巡りで、結願となる大窪寺の手前にある前山地区に道の駅ながお があり、道を挟みおへんろ交流サロンがあった。

    建物に入ると、休憩所と「へんろ資料展示室」があり、四国遍路の歴史が分かる資料・古地図などが展示されていた。 各資料を興味深く見終わると、サロンの人から「八十八ヶ所巡礼は歩いて廻られ、大窪寺で結願ですか? そうであれば、認定書になるものを差し上げます。」と、声をかけられた。

    八十七ヶ寺のご朱印が押された納経帳を見せ、申請用紙に氏名・住所を書き込み提出すると、
    サロンの人々の拍手と共に認定書DVD を贈られた。

    認定書?を見ると、上部に「四国八十八ヶ所遍路大使
    任命書
    」と印刷され、私が平成24年の第845人目の
    あるき遍路 結願者と分かった。 

    サロンの人は、「毎年12万人ほどの人が四国遍路を行い、
    その内で約3,000人が歩き遍路で、又その10分の1が外人です。」と、話してくれた。
    この任命書は、英文併記になっており、あるき四国遍路を
    行った約300人の外人達にとって、一生の記憶に残る良い
    ものと思った。

    サロンの人は、「歩いて四国遍路をされた方々は、じっくり四国遍路を見聞・体験されているので、お帰えりになって、四国
    遍路の素晴らしさをPRする大使の役割をして頂きたく、
    遍路大使任命書としてあります。」と、説明を加えられた。

    遍路大使への認命では、真面目に受けると、少しやっかいかもしれないが、「遍路大使と認命されてもたいした事は出来ませんが、それで良ければ…。」と、気楽に認命書を受け取った。
    あるき遍路を終えたら、回想記事をブログ公開する考えでいたので、この記事公開で遍路大使の
    役目を、少しは果たせるものと考えていた。

    「四国歩き遍路」のテ-マ記事引出しに、既に20を超える記事が溜まっており、もう十分ではと考え出している。 これらの記事を読んだ人には、今の時代の四国遍路の光景が、少しは浮かんでくる
    ものと、勝手に思っている。

    頂いたDVDには、四国遍路で訪れる八十八ヶ所霊場を、美しい季節・厳しい季節を含めた映像に
    してあり、何時になっても記憶を蘇らせてくれる良い土産となった。  


  • Posted by ボブ at 10:50Comments(0)四国あるき遍路

    2014年10月23日

    バイブル あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月18日

    四国あるき遍路に向けて、まず札所の所在地・札所間の距離・難所・宿などの情報を集めた。
    次に、右回り順の88ヶ寺+10ヶ寺のリストを作り、集めた情報を全て入れ、一覧表とした。
    この一覧表から、毎日どこまで札所をお詣り出来、どこ辺りで泊まるかを計り、おおよその日程を
    書き込み、全体日程を把握し予算を組んだ。

    地図の準備は、ガイド本の札所ル-トのイラストをコピ-し、詳しい地図情報が欲しい土地・地域は
    5万分の1地図を買った。
    インタ-ネットの 四国八十八ヶ所お遍路地図 を開き、参考になる地図を、プリントアウトしておいた。
    宿情報は、ガイド本巻末にある宿リストをコピ-し、ネット 四国八十八ヶ所巡礼の宿泊所の一覧 の宿情報もプリントアウトした。 出発前には、5泊目までの宿予約を入れておいた。

    これらの準備で、10月4日より四国あるき遍路をスタ-トし、第12番の焼山寺までは道に迷うことなく進めた。 しかし、その後は札所ル-トのイラスト図には載らない実際の道が沢山あり(当たり前の事。)、道の分岐点でどちらに進むべきか迷い、何度も無駄歩きを重ね、宿の所在地がよく分から
    なかったり等、苦戦の連続となった。

    7泊目となった民宿「鮒の里」は、歩く道に広告板を見つけ、その日の宿泊予約をしたが、歩く道沿いにあった宿を見落とし先に進んでしまい、その宿に辿り着いた時は、他の遍路客は食事を終えよう
    とした時間だった。

    遅れて食堂に入った私に、先着の遍路客から遅い理由を尋ねられた。 私が出発前に用意し使い
    始めた地図類・資料を見せたら、「これでは、歩き遍路は出来ないよ。」と、言われてしまった。

    全員が持っていた地図本は、へんろみち保存協力会発行の「四国遍路ひとり歩き同行二人」で、
    「この先あるき遍路を続けるなら、早く入手して使うように。」と、アドバイスを受けた。
    一人は、「宮崎建樹さんが作られたこの地図本は、歩き遍路に必要な情報が全て織り込まれている。 この地図本なくして、歩き遍路は出来ないよ。 歩き遍路者へのバイブル と言われている。」と、
    話してくれた。

    彼らは四国に入る前に、この地図本を入手しており、通信販売で取寄せたか、
    東京なら八重洲ブックセンタ-で買っていたそうだ。
    四国に入ってしまった遍路者は、特定の札所売店で購入する手段があると
    教わり、各札所の売店で探したが、入手出来たのは、その日から26日も過ぎた、第54番 延命寺 の売店だった。

    バイブルと言われた地図本を開くと、出発前に時間を掛けて集めた情報が全て含まれており、また
    使い勝手が良く、その後の歩き遍路は、比較にならないほど楽なものとなった。
    準備に使った時間やコピ-は無駄だった事と、地図情報の不足より起きた苦労は、今回の歩き旅の3分の2の日程で起きていたものだった。

    なお、仏教のお寺を巡礼する四国あるき遍路の地図本に、バイブルと云う言葉が使えるか?と、辞書で調べてみると、 【 バイブル…②.それぞれの分野で、権威のある書物。】 とあり、納得できた。


    追記 : 2014年10月23日
    7月9日に横浜を出港した地球一周の船旅は、10月21日に横浜港に戻り、105日の旅を無事に
    終えました。 船内で知り合った方が、四国遍路情報を知りたいと云われており、帰国後一番目の
    ブログは、このア-カイブ記事の公開としています。


      


  • Posted by ボブ at 10:07Comments(0)四国あるき遍路

    2014年06月04日

    贅沢なトンネル 四国あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事             公開 : 2013年3月4日

    四国の高知県は、海と山がせめぎ合う地形と云われ、国道が山に行き合う場所も多くあり、必然的にトンネルが多くあった。  

    四国に入り、鳴門から歩き始め、1番霊山寺から順打ちで回り始め、22番平等寺までのお詣りを
    済ませるまで、トンネルには出会わずに済んでいた。 
    23番薬王寺に向かう道路195号を歩き進んで、あせびトンネルに出会い、初めてトンネル内を
    歩くことになった。

    トンネルの両端に、幅1メ-トル弱・高さ20センチ位の歩行者用スペ-スがあったが、歩行者を守る柵や手すりは無いものだった。

    歩くと、脇を通り抜ける大型車との隙間は、
    1メ-トルも無く、大型車の風圧と轟音は凄まじく、私は対抗車線側を歩くようにし、特に大型車が
    来る時は、壁に体を寄せ通り過ぎるのを待った。

    初めてのトンネルを過ぎ、阿波福井に進むと
    国道55号に入り、次々とトンネルに出会う事となった。 四国一周の歩き遍路を終えてみると、通り抜けたトンネルの数は、70を超えていた

    トンネル内の歩行は、大型トラックとの怖い擦れ違い・排気ガスを含んだ不快な空気・暗い空間など、出来れば避けたいものだった。 さらに、古く老朽化が目立つトンネルでは、内壁のヒビ割れや水の浸み出しも見られ、強度上での不安を感じ、少しでも早く通り抜けたい気持ちになった。

    昨年12月の笹子トンネル崩落事故は、多数の犠牲者を出す大惨事で、安全管理の欠如が原因と
    云われた。 四国のトンネルでは定期的な点検と補修が行われているようで、実際にそれらの現場を見ながら、トンネルを通り抜ける時もあった。

    10月11日に通った日和佐トンネルでは、片側車線を封鎖し、トンネル内の補修工事をしていた。
    長さが690メ-トルもあるトンネルの中に、多くの工事車両がいて、それらから出るディ-ゼルエンジンの排気ガスが、トンネル内に濃くこもっており、トンネル内で働く工事の人達は、全員が防護マスクを着用していた。 無防備の私は、目と喉が酷く痛み、辛い歩きの体験となった。
    この体験から、マスクはトンネル歩きの必需品 と、次に見つけたコンビニで、マスクを買っていた。

    その後、トンネルの通り抜けを重ねても、トンネルに出遭うと嫌な気持ちの私だったが、10月28日に宇和島に向かう国道56号に、歩行者・原付以下の専用トンネルが有り、初めて気分良いトンネル
    歩きが出来た。

    内海ふれあいトンネルと、嵐坂 風の通り道の2本で、車が通らずひんやりした空気は気持ち良く、
    トンネルの壁にタイル絵など装飾も有り、歩行者は楽しみながら歩ける贅沢なトンネルだった。

           〈 内海ふれあいトンネル 〉                 〈 嵐坂 風の通り道 〉











    追記 : 2014年6月4日
    先月行った 四国巡り3日間の旅 は、四国の4分の3を観光バスで巡りましたが、2年前に行った
    歩き遍路で歩いた国道やトンネルを通る時があり、この記事で書いたことを思い出しました。

    初日に、バスが初めてトンネルを通った時に、バスでは幾つくらいのトンネルを通るのか?と考え、
    数えてみることにしました。 初日は、37本。 二日目は、59本。 三日目は途中まで数えていましたが、疲れから居眠りをしてしまいました。

    祖谷渓の見物を終え、徳島空港に向かう高速道路は四国山脈を通り抜けるもので、トンネルの連続でした。 次々と通るトンネルには、番号で 22本分の XX 番 と記されており、四国の道路造りの
    大変さが分かるものでした。  


  • Posted by ボブ at 09:35Comments(0)四国あるき遍路

    2014年05月24日

    親切な人々 あるき遍路回想

    ア-カイブ記事             公開 : 2013年10月29日

    昨年10~11月の時節に四国に出掛け、初めての遍路を乗り物を一切使わずに歩き通し、88ヶ寺+10ヶ寺の巡礼を行うことが出来た。

    この成就は、不慣れな土地を歩いて道に迷うと、土地の人々の親切な教え・案内があり、一日中歩き通す苦行に疲れを覚える頃に、お遍路への暖かい励ましの言葉・お接待がある等、四国の何処でもお遍路を暖かく支えてくれる風土のお蔭だった。

    多くの方々から親切を受けたが、中でも昨年10月30日に愛媛県内子町で受けた親身な親切は、
    忘れ難い思い出になった。

    29日は、43番寺の明石寺を参拝の後、卯之町旅館まつちや に宿が取れ、お遍路に良い評判の女将さんの暖かなモテナシに、一日の疲れが取れ、また卯之町の四つの自慢を教えてもらっている。

    30日(火)は、卯之町から大洲市を通り抜け、内子町で宿を取る予定で、平坦な道を歩く行程と歩く距離は多くなく、楽な一日と考えていた。 大洲市の十夜ヶ橋大師堂をお詣りし、内子町に4時前に着いていた。 すぐに町の観光センタ-に行き うちこ散策マップ をもらい、この情報から宿取りを
    開始した。

    マップによると宿は6軒あり、平日なので宿は何処かで取れると気楽に考え、小さな町なので一軒
    一軒と訪れ宿泊を頼んだが、すべての宿から満室の理由で断られてしまった。 最後に尋ねてみた
    月乃屋 の主人は、「今日は、ドイツの団体客が内子町を訪れており、どの宿もドイツの客で埋まっている。」と、申し訳なさそうに事情を説明してくれた。

    月乃屋を去ろうとした時に、宿の主人は、内子町を出て約4Km先にお遍路無料宿 がある事と、
    その場所への道を詳しく教えてくれた。 さらに、「途中に道の駅 「内子フレッシュパ-クからり」 があるので、食べ物は、そこで調達して行くと良い。」と、アドバイスもしてくれた。

    6時前に道の駅に着き、その夜の食べ物を物色していると、中年の男性が「6時を過ぎると、弁当類は割引になるので、少し待って買ったほうがいいよ。」と、教えてくれた。
    さらに「お遍路さんは、今日の宿は取れているの?」と聞いてきたので、事情を話すと「知り合いで、泊めてくれそうな家に電話してあげる。」と言い、3軒ほど電話してくれたが、都合はつかなかった。

    6時が過ぎて、弁当と飲み物を買い、長岡山トンネル先の無料宿を目指して歩き始めた。 すっかり暗くなり、懐中電灯を使いながら心細く歩いていると、車が一台止まり、駅の道で親切にしてくれた
    男性で、「お遍路さん、この弁当は明日も大丈夫だから、食べてよ。」と手渡してくれた。

    車が去って、さらに道を歩いていると軽トラックが止まり、月乃家の主人が「宿の仕事が空いたので、お遍路さん、無料宿までお送りします。」と、言ってくれました。

    乗り物を一切使わない あるき遍路 をしていると説明し、お礼と共に丁寧にお断りしたが、暗く寒さを覚える道を歩き続けていた私は、これら二人の親身の親切に感動し、元気を取り戻していた。

    宿が取れない場合を考えて、野宿への用意もしてあったが、その夜の寒さでの野宿は、翌日以降の体調に悪影響が出たはずだが、親切な人々のお蔭で、お遍路無料宿の暖かな布団で眠れ、翌朝のお弁当もあって、健康を損ねることなくあるき遍路を続けられた。

    1年前の出来事は、鮮明に脳裏に残っており、この先も忘れ難い思い出として、残るものと思う。

                      〈 10月29日 43番寺 明石寺を参拝 〉 



      


  • Posted by ボブ at 12:14Comments(0)四国あるき遍路

    2014年03月21日

    お接待あれこれ あるき遍路回想

    お遍路さんへのお接待は、同行二人で共に歩く お大師さんに施しをされているもの で、お接待など
    良い事を積み上げて行けば、いつかは自分にも良い事が必ず戻ってくるとの信仰から行わていると、知った。

    昨年の四国あるき遍路の中で、私は様々な物・形のお接待を受けて、お接待文化を実体験した。
    最も多いお接待は、遍路道を歩いていると、その土地の人が「お接待をさせて下さい。」、または
    「お接待です。」と言い、飲み物・食べ物を差し出すものだった。
    中には、急に家から飛び出して、お接待をしてくれる人もいて、まるでお遍路が通るのを待ち構えて
    いたかのように思えた。

    思い出すままに、受けたお接待を並べると;
    ①.お遍路宿
    ・宿に着くと、金剛杖 を洗ってくれた。(これは、お大師さまの足を洗って差し上げる行為。)
    ・洗濯機/乾燥機を、無料で使わせてくれた。(ふつう、コインで300円かかった。)
    ・翌日、朝の出発時におにぎり弁当を、「お接待です。」と、無料提供してくれた。
    ・進路/次の泊まり宿等への、親切な情報を与えてくれた。
    ②.ビジネスホテル
    ・料金は同じで、1ランク上の部屋に泊めてくれた。
    ・あるホテルでは、「消費税分を、お接待します。」と、割り引いてくれた。
    ③.お接待小屋/遍路小屋
    ・ある地区や個人が、お遍路への休憩所を設けてくれ、水・果物・アメなどが置かれていた。
    ・39番延光寺に向かう芳井のお接待小屋には、冷蔵庫や熱いコ-ヒ-・湯の入ったポットが置いて
     あり、冷たい飲み物/熱い飲み物/カップラ-メン/果物/菓子など、お遍路は好きなものを
     自由に飲食出来た。
    ④.車に乗せるお接待
    ・長い上り坂を歩いていたら、ダンプカ-が止まり、「お遍路さん、乗ってゆきなよ。」と、言ってくれた。
    ・11月3日、寒い向かい風の中を、52番太山寺に向かって歩いていると、通り過ぎた軽自動車が
     止まり、若く優しい女性が降りて来て、「お遍路さん、太山寺までお乗せします。」と、言ってくれた。
     *礼を言い、「私は、乗り物を一切使わない歩き遍路を行っています。」と、両方とも断っている。
    ⑤.トイレのお接待
    ・遍路道にトイレがない土地で、「お遍路さん、お使い下さい。」の貼り紙で、工場等が従業員用の
     トイレを解放していた。
    ⑥.コンビニストアのお接待
    ・高知のコンビニ「スリ-エフ」は、買い物をすると150円のペットボトル茶を、お接待してくれた。
    ・高知中の「スリ-エフ」は、皆同じに行い、160円のアイスを買っただけで、1本のお接待を受けた。
    ⑦.食べ物/飲み物のお接待
    ・遍路道を歩いていると、土地の人から果物/アメ/缶コ-ヒ-などを、お接待された。
    ・10月下旬に入ると、ミカン/柿のお接待が多くなり、1ヶ月でミカンは3年分ほど食べていた。
    ・11月12日、84番屋島寺に向かう途中、自転車ですれ違った若い女性が戻ってきて、「寒いので、
     お昼に暖かい物を食べる足しにして下さい。」と、500円を差し出してくれた。
     お金を受け取るのに抵抗を感じたが、お大師さんへの施しと考え直し、頂いた。
     お礼を言ってから「南無大師遍照金剛」と唱え、屋島寺で彼女の幸せを祈願した。
    ⑧.記念品のお接待
    ・折り紙細工品/テイッシュ入れ/小さな焼き物の草履・お地蔵さんなど、お接待された。
    ・11月14日、88番大窪寺に着いたら、中年の男性から「83歳の母が作った人形です。どうか
     お納め下さい。」と差し出された。 ご母堂は、あるき遍路結願の人に、上げるよう作っている
     との由で、有り難く頂いた。

    四国あるき遍路で受けたお接待の数々を思い出すと、各土地で善根を積む心豊かな人々との触れ
    合いと施しのお蔭で、無事に四国一周を歩き通せたことが分かり、感謝の念が沸いてくる。

     〈 83歳ご母堂手作りの人形、高さ5センチ 〉           〈お接待で頂いた記念品あれこれ 〉











    *右写真の灰色のお地蔵さんは、77番道隆寺に向かう途中、家から飛び出してきた男性より「息子が作った、焼き物のお地蔵さんです。どうかお納め下さい。」と、頂いた。 お地蔵さんの体は、円空になっており、紙片が入っていた。 中央手前は、瓦の産地で有名な菊間町で頂いた焼物の草履。



      


  • Posted by ボブ at 09:05Comments(0)四国あるき遍路

    2014年03月13日

    お接待文化 あるき遍路回想

    マムシに注意し、イノシシに出遭わないように願い、トンネル歩きに怖さを感じた等と、あるき遍路が安全でない印象を与える回想をしてしまった。

    実際にその通りの状況に出遭ってはいるが、四国一周あるき遍路の全体において、それらはほんの
    限られた場所と時間に於いてであった。
    かっては 死出の旅 とも云われたあるき遍路は、今は 癒しの旅 と云われる様に、四国あるき遍路は安全であり、四国各地で多くの人の暖かな受け入れがあり、良い思い出が残る旅だった。

    出発前に四国遍路に関した本を何冊か読む中に、歩き遍路を行っていると、土地の人からお接待があると、書かれていた。
    それを読んで、接待の言葉の中に悪いイメ-ジが含まれる事もあり、見ず知らずの人から施しを受けるのは、あまり好ましくないと考えた私は、面倒な事と思った。

    しかし、接待に何故「」を付け、お接待と云うのかと疑問が浮かび、2010年に聴いたラジオ講座
    四国遍路を考える のテキストを、読んでみた。 (講座時は、録音しながらの聞き流し。) 

    テキストには;
    ・「お接待」とは、お遍路さんに対して一般の人が行う施し。食べ物を提供したり、遍路で使う物を
     提供したりすること。
    ・ただし、単純にお遍路さんに対する施しを意味しておらず、遍路の基本ともいえる「同行二人」の
     発想から、お大師さんと共に歩く人(金剛杖・菅笠に同行二人の文字。)に施しをすること。
    ・つまり「お接待」は、お大師さんに施しをする行為であり、施しはやがて施しをした人に戻ってくる
     という信仰になって、現在も続けられている。 ← お接待文化
    ・従って、お接待は「してあげる。」のではなく、「させていただく。」という気持ちで行われている。

    また、ある人の本で、事情があり遍路に出られない人達は、代参の願いを込めてお接待を行っているとあり、私は自分のあるき遍路において、お接待があれば素直に受ける気持ちに変わった。

    あるき遍路に出て、お接待を受け始めた頃は、「有難うございます。」と、ぎこちなく頭を下げていたが、次第にお大師さんに代わって受ける自分に慣れていった。 歩く中、「お接待です。」と言われた時は、まずお礼を述べ、次に手を合わせ「南無大師 遍照金剛(弘法大師)」と、自然に唱える事が
    出来るようになっていた。

    受けたお接待は様々で、素直に受けて歩き通した結果、元気付けられ癒やしを受けて、お蔭で
    初めての四国あるき遍路を、1回の通しで結願出来たものだった。

    色々な形と物で受けたお接待そのものについて、忘れぬ内に、別のペ-ジに書き残すようにしたい。

                          〈 衛門三郎弘法大師


    追記 : 2014年3月13日
    今朝のNHK TV あさイチ で、四国を紹介する特集番組が、ありました。
    四国遍路も紹介されており、その中で「お接待」文化が紹介され、私も受けた「お接待」を、懐かしく
    思い出していました。
      


  • Posted by ボブ at 10:22Comments(0)四国あるき遍路

    2014年02月25日

    ヘンロ小屋 あるき遍路回想

    昨年10~11月の通し打ち歩き遍路では、12Kgの荷を背負って、毎日30Km以上を歩いていた。 
    朝7時頃に宿を立ち、夕方5時頃に次の宿に入るまでの間に、休憩を適度に取るよう心掛けた。

    約90分歩いて10分ほどの休憩と、昼食を取りながらの休憩を基本とし、これらの休憩時にリュックを下ろし座れる場所が見つかると、体を休める事が出来、有り難かった。

    座れて休憩出来る場所として、①.篤志家提供の休憩場所 ②.四国八十八ヶ所 ヘンロ小屋プロ
    ジェクト
    で建てられたヘンロ小屋 ③.お寺(札所)境内のベンチ ④.駅の道の休み処 などがあった。

    これらの中で、一番よく利用出来たのが、ヘンロ小屋プロジェクトで出来たヘンロ小屋で、次の札所に向かって歩いて行き、疲労を覚え出した頃の位置に在って、具合よく体を休めることが出来た。

    近畿大学教授・建築家の歌一洋さん は、歩き遍路者が
    休憩・仮眠出来る小屋の建設プロジェクトを立ち上げ、
    敷地提供・木材提供・建設協力・資金寄付など多くの人々から協力を得て、四国八十八ヶ所一円に、ヘンロ小屋建設を推進している。

    立ち寄ったヘンロ小屋のそれぞれは、各小屋がテ-マを持ったデザイン・設計らしく、皆異なった姿恰好をしており
    目も楽しませてくれた。


    炎天下を延々と歩き続け、汗だくになったお遍路にとって、屋根の日除けがあり風通しのよい構造の小屋は、遍路のオアシスだった。

    右の写真の日は、激しい雷雨に遭った日で、次々と歩き
    遍路者が、この小屋に飛び込んで来て、雨が小降りになるのを待った。この小屋が無ければ、雨宿りを出来ずに歩き続けるより仕方なく、有り難さをより感じた日だった。

    左の小屋は、12番焼山寺から13番大日寺に向かう途中にあるヘンロ小屋36号神山

    写真の方は、このヘンロ小屋への敷地を提供した農家のサダさん。 スダチの収穫も終わり、87歳のサダさんは
    この小屋でお遍路と話をするのが、楽しみだそうだ。

    お元気で、目が生き生きとしており、話もしっかりとされ、
    私はついつい30分も話をしていた。

    「記念に写真を、撮らせて下さい。」と言ったら、手拭被りを外して、私の金剛杖を持ち、にっこりと
    笑って下さった。  可愛いサダさん、お元気で長生きして下さい。  


  • Posted by ボブ at 09:50Comments(0)四国あるき遍路

    2014年02月19日

    注意/警告 あるき遍路回想

    歩き遍路を通して、長い道のりを歩く中、多くの注意/警告の標識類を、見ることになった。
    それらを見て、気を付けて歩かねばと思ったものだが、四国ならではのものや、お遍路に向けての
    注意などもあった。

    1.マムシに注意
    始めに見て驚いたのは、マムシに注意!の立札・吊るし札で、その後、
    数え切れずの数を、見ることになった。

    特に、旧遍路道や山道にはマムシ注意!の立札・吊るし札が多くあり、近くの道路で車に轢かれた蛇を、10匹以上も見ている。


    生きたマムシにも、何度か出遭った。注意札を見て、気を付けて歩いていると、何か動くものが居て、
    立ち止まり目を凝らして見るとマムシと分かり、たいがい相手が先に草むらへと隠れていった。
    この様な時に、金剛杖 を持ち歩いていることで、随分と気強くいられたものだった。

    2.イノシシに注意

    イノシシの出没は、日本各地のニュ-スで伝えられているが、特に旧遍路道にはイノシシに注意!の看板が、あちこちに立っていた。  歩き遍路者の中には、昼間でもイノシシを目撃した人もいて、
    ばったり出遭わさないようにと願い、歩いていた。

    85番八栗寺に上る旧遍路道では、店のオバサンが「夕方になると、イノシシがゾロゾロ出てくるから、グズグズ歩いていないほうがいいよ。 なにしろ、ここはイノシシ銀座なんだから。」と、真面目に
    注意してくれたのを、思い出す。

    3.強風に注意
    高知県に入って、強風への警告表示をかなり多く見た。 この表示では、強風で車が半分浮き上がっており、少しオ-バ-ではと思った。
    10月17日、30番善楽寺をお詣りした後に、台風21号の影響で風雨が強くなり、傘・菅笠が使えなくなり、ゴアテックスの雨着を雨が染み透り、
    全身ずぶ濡れとなってしまった。

    翌日、風雨は弱まっており、傘をさし歩き出したら、瞬間の強風に傘のカ-ボンファイバ-製の骨がバッキン!と大きな音と共に、折れてしまった。 強風警告を甘くみた私を、反省させるものだった。

    4.カニ に注意

    徳島県美波町の道路沿いにあった標識は、カニ に注意!だった。
    普段は山に住み、産卵期に海に向かい道路を横切る赤手ガニの保護のため、設置されていると教わった。

    マムシ・イノシシでオビヤカサレていた私は、この標識を見て心が和ま
    された。


    5.勧誘に注意
             『告』
    「最近この街道で、新興宗教への勧誘をしつっこく繰り返し、お遍路さんに付きまとう者がいます。 無視するのが一番です。」 ヘンロ仲間より

    悩みを抱える人・心が弱っている人たちを、食い物として狙う連中が居ることを教えており、マムシ・イノシシ以上に恐ろしい存在と思った。

    この他にも、別のたぐいの注意/警告の標識を写真に撮ってあり、これらは見知らぬ土地を歩いた思い出となっている。


      


  • Posted by ボブ at 09:40Comments(0)四国あるき遍路

    2014年02月10日

    道しるべ札 あるき遍路回想

    普通の遍路道の要所要所には、お遍路が道を間違えないように、道しるべ があり、助けられた。

    一方で、草木がうっそうとする山中の狭い旧遍路道には、道しるべ札 が使われていた。
    ハガキ大で少し長目サイズの白板に、赤い字で 遍路道 または へんろ道 と書かれ、歩く人の目の
    高さより少し上の位置に、木の枝に結ばれていた。

    草木が多い山道では、丈の低い石碑や立札は、伸び育つ草木に隠れてしまいがちで、木の枝に
    吊るされた 道しるべ札 は分かり易い。
    険しい道脇に吊るされた 道しるべ札 には、遍路道を示すだけでなく、お遍路を励ましたり、教訓するもの等があった。

    11番藤井寺から12番焼山寺に向かう旧遍路道は、アップダゥンが長く続く厳しい山道で、脚力の
    弱い人達が、ここで遍路歩きを断念しがちなため、遍路転がし の名前がついている。
    藤井寺から進むと、「遍路転がし1/6」の標識が出て険しい道へと変わり、じきに息は荒くなり額に玉の汗が噴き出てきた。 これから先、この苦しい道がどれほど続くのかと思い歩き続けていると、
    道しるべ札がんばって下さい 」が目に入ってきた。 足を止め、この「がんばって下さい」の言葉
    に、優しい女性からの応援を感じ、気を奮い立たせ、再び歩みを続ける事が出来ていた。

    その後に続く道しるべ札には、様々な言葉が書かれており、それらの言葉を読むと心が軽くなり、
    険しい遍路道を一歩一歩進む事が出来た。 

    ・はげまし型 … 「がんばって下さい」、「頑張って」、「頑張れ!」、「進むのみ」、「大和魂
    ・教訓型 … 「辛い?それが人生」、「遍路即ち人生」、「心を洗う遍路道」、「艱難汝を玉にす」 
    ・祈り型 … 「南無大師遍照金剛」、「合掌」、「同行二人

    これらの言葉を思い出すと、あの旧遍路道の歩きが、懐かしく思い出されてくる。 (合掌)



      


  • Posted by ボブ at 10:14Comments(0)四国あるき遍路

    2014年01月30日

    道しるべ あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2013年1月30日

    道しるべ(道標) … 目的地までの方向や、距離をしるした立札・石碑など。道案内。

    初めての四国歩き遍路に、不十分な地図・情報しか持たなかった私は、12番焼山寺を過ぎてから、道に迷う難儀が起き始めていた。

    7日目に泊まった宿で、歩き遍路は地図本四国遍路ひとり歩き同行二人」の携帯なしでは、歩き
    続けるのは無理と云われ、一刻も早く入手するようアドバイスを受けた。
    その地図本を見せてもらうと、必要な情報が全て載っており納得したが、この地図本を入手出来た
    のは、26日後の54番延命寺の売店だった。
    この地図本を入手してからは、道に迷うことは少なくなり、宿の予約が楽に出来るようになった。

    全行程の3分の2を、バイブル地図本 なしで、なんとか54番延命寺に辿り着いたものだが、それは
    遍路道の要所・分岐点にある道しるべのお蔭 だった。

    遍路道で出会った道しるべは、大きく三つに分けられた。

    1.へんろ道保存協力会の道しるべ  宮崎建樹さんが、赤矢印赤お遍路姿など分かりやすい
     マ-クを考案され、遍路道の整備目的で、個人の労力・資金によって設置し始めたもの。
     道しるべとしてへんろシ-ル道しるべ札立札が使われ、遍路道の分岐点に貼られたり、設置され
     ており、今の時代のお遍路はこれらの道しるべを頼りに、次の札所へと歩いて行く。
        〈 曲がり角の道しるべ札 〉                  〈 まっすぐ進めの道しるべ 〉











    2.昔の道しるべ… 江戸時代から残る石碑で、人指し指が浮き彫りされ、方向を教えている。
     旧遍路道に残った昔の石碑道しるべに出会うと、昔のお遍路と同じ道を歩いている感慨が湧いた。
       〈 手間を掛けた浮き彫り石碑 〉               〈 風雪で字がかすれた石碑 〉











    3.現代の道しるべ … 国道の道路標識。四国のみち の道しるべ(石碑、木。)など。

    ・国道を歩く時に頼りにしたのが、道路標識。
     幹線道路から離れると、地名標識は極端に少ない。
     

    ・四国を一周する四国のみち は、国土交通省四国が
     設置した最近の道しるべで、石碑・木製の両方が
     あり見易かった。





    都市部を離れると、地名表示は少なく、誰かに訊きたくても、人影が見当たらないことが多かった。
    その様な時、道しるべだけが頼りとなるが、貼られた小さなへんろシ-ルを見逃してしまったり、
    余所者が迷いそうな場所なのに、道しるべは無かったりして、道に迷うことが多々起きた。
    逆に、都市部に入ると、1.の道しるべ が無い事が多く、余計な道歩き修業?をさせられた。

    *教訓 「いつまでもあると思うな、親と金。」 → 「 いつまでもあると思うな、道しるべ。」  


  • Posted by ボブ at 14:32Comments(0)四国あるき遍路

    2014年01月12日

    歩く あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2013年1月16日

    歩く事が健康に良いとの確信を、公開記事「歩かねば」で書いている。
    歩く事で精神を鍛えるのは、四国遍路の1,400Kmを歩き通す歩行行(ほこうぎょう)がその例で、
    NHKラジオ講座 “ 四国遍路を考える ” では、「歩き通す事と云う苦行 を設定し、それに挑戦し、
    人間の可能性を追求して行く。」と、語られていた。

    さらに、「人生とは生きること。挑戦の連続。」・「道は、人生。」・「歩くは、生きる。」・「今まで生きて
    きた過去の人生は、今まで歩いて来た道。 これからの人生に、どのような道を選ぶか?どのように歩くか?は、本人の心掛けで決まる。」などとも云われている。
    しかし、私の四国あるき遍路は、そのような考えや目的を持たず、(人が行っている事を、真似して
    やってみよう。)の軽い気持ちを主として、始めたものだった。

    鳴門がスタ-ト点で、計九十九ヶ所の札所を、交通機関を一切使わずに、道に迷うなどしながらも、
    45日間で1,480Kmを歩き通し終える事が出来、46日目には高野山奥の院にお礼詣りも行えた。

    実際に歩いた道は、昔の人が遍路で歩いた旧遍路道・車社会になって出来た遍路道・国道・トンネル道・一般道・農道・田のあぜ道・山中で迷い歩いた獣道など様々だった。

    歩いた様々な道の中で、思い出に残る道は旧遍路道だが、特に山間部にある険しい修験道として
    使われた古道だった。 そのような道は、12番焼山寺に向かう「へんろ転がし」や、27番神峰寺の
    真っ縦」等など何ヶ所もあって、山の精霊を感じるほど静寂な中、滅多に人とも合わずに金剛杖を
    頼りに、修業を頭に浮かべながら歩いていた。

    喘ぎ喘ぎ大汗をかきながら登り下りと歩く道がほとんどで、12Kgのリュックを重く肩に感じ、捨てればどれだけ楽になるだろうと思い、立ち止まりながら、歩くのはもう嫌だの考えが、頭を占めて来る。
    しかし、険しい山道には車は入れず、他人に頼ることも出来ない場所であり、自分から足を動かさ
    ないかぎり、晩の食事・寝床が得られない事は明白だった。 この修験道では、如何に苦しく辛く
    とも、自ら歩かねば生きるに繋がらない事を、教えられていた。

    歩くは、生きる。」を実感し、今日を生き抜くために「歩かねば!」と、足を踏み出していた。





      


  • Posted by ボブ at 09:11Comments(0)四国あるき遍路

    2013年12月23日

    寝泊り あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月22日

    四国八十八ヶ所霊場を歩きのみで巡る旅 を行った私にとって、歩いた日の疲れを取る寝泊りは、
    最も重要だった。 良い寝泊りが得られると、翌朝は元気を取り戻せており、その日に訪れる札所に向け、気持ち良く歩き出せていた。

    寝泊りの方法として、①.野宿 ②.宿などへの泊りがあり、今でも野宿を組込みながら、歩き遍路を
    続けている人達がいた。 野宿は、季節により暑さ・寒さ・蚊などの問題で良く眠れない辛さと、
    食事・衛生などへの準備をすれば、炊飯具・寝袋などの持参が必要となり、リュックの重さが増え、
    日中に歩く時のハンデとなって大変なことだ。 
    しかし、苦労は修業の一つとして、野宿を入れながら四国遍路を行う人に、何度か出合ってもいる。

    今回の四国歩き遍路で、私が45泊した寝泊り宿は、成り行きで次のようになった。

    ①.遍路宿 11泊 … 札所を巡る遍路道に沿って在り、お遍路にとって最適の宿。減少していた。
                   1泊2食料金-- 5000~6000円
    ②.宿 坊  1泊 … 札所の寺が、お遍路を泊める設備。宿坊を持つ寺は、4分の1くらいか?
                   金剛頂寺 では、1泊2食料金 -- 6000円
            *素晴らしい設備・美味しい豪華な食事・親切な対応で、大満足。
    ③.一般民宿 12泊 … 一般客が使う民宿で、サ-ビス内容にレベル差があった。
                   1泊2食料金 -- 5500~6500円
    ④.旅 館 13泊 … 観光地や、JR の駅近くなどにあった旅館。 温泉地も含まれる。
                   1泊2食料金 -- 6500~8500円
           *①.~④.素泊まり -- 3000~4000円     
    ⑤.ビジネスホテル 8泊 … 高知・宇和島・高松など大きな都市の駅近辺で、利用出来た。
                   1泊朝食料金 -- 4000~5500円
    ⑥.無料宿泊所 1泊 … 野宿者や、宿を取れない遍路者に提供される施設(善根宿)。
                 

    歩き遍路者へのバイブル地図本「四国遍路ひとり歩き同行二人」を知らず、全旅程の3分の2を
    この地図本無しで歩き、寝泊りへの宿の確保にかなり苦労し、上記の結果となった。

    普段生活で、夜になれば何も考えずに寝床に就いていたが、あるき遍路に出て、寝泊りする場の有り難さ・寝泊りの大切さを、認識させられた。
    原発事故で避難し不便な生活を強いられている人々・
    人生の歯車が狂いホ-ムレスで路上生活をせざるを
    得ない人達など、かっての眠りの場から離され、厳しい
    冬の寒さに向かっている。

    何もして上げられないが、それらの人々が、少しづつでも良い方向に向かえるよう、お祈りしたい。
     
      


  • Posted by ボブ at 13:36Comments(0)四国あるき遍路

    2013年12月19日

    金剛杖 あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月10日

    第1番 霊山寺横の売店で、金剛杖・白衣(おいづる)・輪袈裟・菅笠・納経帳を買い、身につけると、一見で お遍路 と分かる姿となった。 金剛杖について学んだ事を、ここに書き残しておく。

    1.遍路とお遍路
    遍路とは、弘法大師(お大師様)が開いた四国八十八ヶ所霊場(札所)を巡拝(巡礼)することで、
    巡拝する人が お遍路 と呼ばれ、地元の人は敬意と親しみを込め、お遍路さんと呼ぶ。

    2.同行二人(どうぎょうににん)
    買った金剛杖と菅笠には、同行二人と書かれており、これは遍路には お大師様がついて一緒に
    歩いてくれている
    事を示し、特に金剛杖はお大師様の分身・化身と教えられた。
    この教えは、一人で遍路道を歩いて行く私にとって、心強く感じられた。

    お遍路を泊める宿の多くでは、お遍路が宿に辿り着くと「お杖を、洗いましょう。」と受け取り、清水で洗い手拭で拭いたあとで返してくれる。 その金剛杖を泊まり部屋の中に持ち込み、床の間か部屋の一番良い場所に立てかけるように、言われた。 
    お杖を洗うのは、金剛杖をお大師様そのものと考え、遍路旅で汚れたに違いないお大師様の足を
    洗って差し上げるものだった。

    3.死出の旅
    江戸時代に盛んになってきた四国遍路では、現代とは比較にならない厳しい歩き旅をするもので、
    四国遍路は死出の旅と言われていた。
    お大師様の救いを願って遍路に出た、病苦や悩み等を抱えた人もいて、それらの人達の中には遍路途中で行き倒れることも多くあったそうだ。
    お遍路さんが遍路途中に亡くなると、その土地の人が、亡くなったお遍路さんを土に埋め、その上に金剛杖を立てたもので、金剛杖は墓標の役割も果たしたと言われている。

    4.墓標代わり
    五輪塔とは、死者へ対する供養や墓標として造られた石塔で、その形は「5大」を表した5種類の
    パ-ツから出来ている。 
    金剛杖の頭部には、この「5大」が梵字で刻まれており、この部分は大切なものとして、直接手に触れないように錦布で包まれている。
    昔の四国遍路では、行き倒れ亡くなったお遍路の金剛杖を、墓標として使っていたそうだ。

    5.私の金剛杖
    四国あるき遍路を、乗り物を一切使わず45泊46日の通しで結願出来たのは、同行二人によるもので、特に金剛杖なくしては、達成出来なかったと実感している。
    四国遍路を結願し、第88番 大窪寺に金剛杖を納める人たちも居るそうだが、私は記念に家に持ち帰った。
    あるガイドブックによると、死出の際に四国遍路に使った金剛杖を棺桶に入れてもらう と、その人は
    浄土へ導かれるそうで、私は遺言書の中に書き加える事とした。

                          〈 菅笠・金剛杖・輪袈裟 〉



      


  • Posted by ボブ at 09:52Comments(0)四国あるき遍路

    2013年12月16日

    お遍路の一日 あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月22日

    四国あるき遍路の一日は、おおよそ次のように流れた。

              〈 前夜、お遍路民宿に泊まる。 〉
    5時30分 起床  ・洗顔 ・体操+ストレッチ ・TV 天気予報当日の確認

    6時00分 朝食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・茶碗飯大盛り2杯、おかずも残さず食べる。
               ・朝食後に、宿代・前夜飲み物代の支払い。
               ・共同トイレの空きをみて、朝の大トイレ。(とても重要。体を軽く。)
               ・部屋に戻り、身支度。 ・その日の歩きコ-ス確認。 

    7時00分 宿立ち ・札所目指して、遍路歩きスタ-ト。
               ・ひたすら歩き、約90分毎に、10分位の休憩。(長く休むのは N.G. )
               ・休憩時に、水分補給。 ・菓子/果物などでカロリ-補給
               ・札所では、本堂と大師堂それぞれにお詣り。( 般若心経の読経ご朱印受け。)
               *一つの札所お詣りに、約30分は掛かる。
               *ひたすら歩くだけの日と、1日に何ヶ所もの札所巡りの日がある。

    12時頃  昼食 ・食事が出来る店が無い場合が多い。 ・途中で買った弁当を食べる。
               ・弁当を買えない場合は、リュックに用意の非常食/菓子などを食べる。
               ・昼食後、再び歩く。 ・天気の日は大汗をかき、水分の補給を頻繁に行う。
               ・10月中は、ペットボトル大を、毎日5~6本飲んだ。  

    15時頃 宿予約 ・残り2時間で行き着ける辺りの宿に、スマホで宿泊予約。  
               ・ひたすら歩き続け、宿に向かう。

    17時頃 宿入り ・宿帳に記入。 ・入浴。(入浴中に足のマッサ-ジ。)
               ・大汗をかき濡れた衣類のコイン洗濯。(ほぼ毎日)

    18時00分夕食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・まずはビ-ル大瓶1本。
               ・食事時間に、情報交換。 ・歓談。一番楽しい時間


    19時頃 部屋に ・洗濯物のコイン乾燥。 ・日誌つけ。 ・翌日ル-ト/歩行予定距離確認。
               ・スマホ他の充電 ・リュック中身の確認と整理。 ・TV天気予報を見る。

    21時 就寝 ・寝具敷き ・耳栓/アイマスク ・懐中電灯枕元に。

    *ビジネスホテルは夕食なく、外に出て食事。 朝食が出ても7時から。
    *1日に歩く距離は、その日訪れる札所の数如何と、山道/平地で異なる。
      山道多い日は、20~30Km。 平地を歩く日は、40Km。 最長歩いた日は、50Km。

    歩き進むと、日々変わる景色・農作物の変化・四国各地の人の暮らし等を見て学べ、お接待など
    多くの方のお世話になりながら、毎日が新鮮で楽しい思い出が残っていった。

      


  • Posted by ボブ at 10:06Comments(0)四国あるき遍路

    2013年12月13日

    バイブル あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月18日

    四国あるき遍路に向けて、まず札所の所在地・札所間の距離・難所・宿などの情報を集めた。
    次に、右回り順の88ヶ寺+10ヶ寺のリストを作り、集めた情報を全て入れ、一覧表とした。
    この一覧表から、毎日どこまで札所をお詣り出来、どこ辺りで泊まるかを計り、おおよその日程を
    書き込み、全体日程を把握し予算を組んだ。

    地図の準備は、ガイド本の札所ル-トのイラストをコピ-し、詳しい地図情報が欲しい土地・地域は
    5万分の1地図を買った。
    インタ-ネットの 四国八十八ヶ所お遍路地図 を開き、参考になる地図を、プリントアウトしておいた。
    宿情報は、ガイド本巻末にある宿リストをコピ-し、ネット 四国八十八ヶ所巡礼の宿泊所の一覧 の宿情報もプリントアウトした。 出発前には、5泊目までの宿予約を入れておいた。

    これらの準備で、10月4日より四国あるき遍路をスタ-トし、第12番の焼山寺までは道に迷うことなく進めた。 しかし、その後は札所ル-トのイラスト図には載らない実際の道が沢山あり(当たり前の事。)、道の分岐点でどちらに進むべきか迷い、何度も無駄歩きを重ね、宿の所在地がよく分から
    なかったり等、苦戦の連続となった。

    7泊目となった民宿「鮒の里」は、歩く道に広告板を見つけ、その日の宿泊予約をしたが、歩く道沿いにあった宿を見落とし先に進んでしまい、その宿に辿り着いた時は、他の遍路客は食事を終えよう
    とした時間だった。

    遅れて食堂に入った私に、先着の遍路客から遅い理由を尋ねられた。 私が出発前に用意し使い
    始めた地図類・資料を見せたら、「これでは、歩き遍路は出来ないよ。」と、言われてしまった。

    全員が持っていた地図本は、へんろみち保存協力会発行の「四国遍路ひとり歩き同行二人」で、
    「この先あるき遍路を続けるなら、早く入手して使うように。」と、アドバイスを受けた。
    一人は、「宮崎建樹さんが作られたこの地図本は、歩き遍路に必要な情報が全て織り込まれている。 この地図本なくして、歩き遍路は出来ないよ。 歩き遍路者へのバイブル と言われている。」と、
    話してくれた。

    彼らは四国に入る前に、この地図本を入手しており、通信販売で取寄せたか、
    東京なら八重洲ブックセンタ-で買っていたそうだ。
    四国に入ってしまった遍路者は、特定の札所売店で購入する手段があると
    教わり、各札所の売店で探したが、入手出来たのは、その日から26日も過ぎた、第54番 延命寺 の売店だった。

    バイブルと言われた地図本を開くと、出発前に時間を掛けて集めた情報が全て含まれており、また
    使い勝手が良く、その後の歩き遍路は、比較にならないほど楽なものとなった。
    準備に使った時間やコピ-は無駄だった事と、地図情報の不足より起きた苦労は、今回の歩き旅の3分の2の日程で起きていたものだった。

    なお、仏教のお寺を巡礼する四国あるき遍路の地図本に、バイブルと云う言葉が使えるか?と、辞書で調べてみると、 【 バイブル…②.それぞれの分野で、権威のある書物。】 とあり、納得できた。


      


  • Posted by ボブ at 10:58Comments(0)四国あるき遍路

    2013年12月05日

    持ち物・服装 あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月5日

    7月より、四国あるき遍路へのトレ-ニングとして、奥多摩・高水三山コ-スの山歩きを6回行い、
    山道も多い遍路道歩きに適した持ち物を考え、必要となる品々を、揃えていった。

    高水三山は軽登山コ-スだが、急坂や歩きづらい箇所が結構あって、背負うリュックの不具合や、
    悪路を歩く際の靴の大事さが分かり、それらの購入時に、反映させた。

    A..装備品
    1.荷物入れ  deuter 社 リュック 22 L 雨よけカバ-付、ウエストポ-チ、エコバッグ
    2.雨具類  大きい折り畳み傘(カ-ボンファイバ- 製)、ゴアテックス上雨着、雨ズボン、防寒シ-ト
    3.記録具類  デジタルカメラ、ICレコ-ダ-、日誌用ノ-ト、筆記具、スマ-トフォン、
    4.地図類  巡礼ル-ト地図コピ-、5万分の1地図要所9枚、拡大鏡、コンパス
    5.薬類  バンドエイド、オロナイン、タイアシンA(靴ずれ・すり傷)、ムヒアルファEX、水虫薬
    6.洗面具類  歯ブラシ、歯磨きクリ-ム、シェ-バ-、爪切、ドライヤ-(濡れ物 乾し用)
    7.お詣り用品  お数珠、ロ-ソク、線香、風防ライタ-
    8.その他  郵貯カ-ド、充電器3個(スマホ、デジカメ、電池)、果物ナイフ、LED懐中電灯、
              耳栓、アイマスク、汗止めバンド、タオル2枚、非常用食糧、健康保険証
    *当初のリストアップより、かなり削ったが、最終的に12Kg の荷物 になっていた。

    B.服装
    ・10月初旬の服装+ブルゾンとした。 着替え下着1組、腹巻、5本指ソックス3組。
    ・靴 … ミズノ トレッキングシュ-ズ (ゴアテックス、1センチ大き目サイズ) 
    ・帽子 … AIGLE 社 レインハット 

    *初めて歩き遍路を行った人の多くが、足のマメで苦しみ、中にはそれが原因で挫折の人もいたが、私は最適の靴+5本指ソックスの組み合わせ効果により、一度もマメは出来ず、歩き通せた。 
    なお、持ち物への評価は、別途行う予定。

    C.お遍路用品
    第1番 霊山寺で、金剛杖・白衣(オイズル)・輪袈裟・菅笠・納経帳を購入し、お遍路姿になった。

         〈 あるき遍路 装備・姿恰好の一例 〉
     
    追記 : 2013年12月5日

    四国一周の1400Kmを歩き通せたのは、特に歩きに適したトレッキングシュ-ズと、長時間
    背負っても疲れないリュックの選択が良かった
    と言える。
    経験から加えたいのは、必携バイブル地図と、
    トンネル歩き時に3Dマスクだ。  


  • Posted by ボブ at 11:24Comments(0)四国あるき遍路

    2013年12月01日

    準備行動 あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年11月24日

    元気な内に、四国八十八ヶ所霊場巡りを、歩き遍路で行いたいと、2年前から準備に
    入っていた。 

    1.情報集め
    四国あるき遍路は、どの様に行われるのか知るべく、四国遍路の紀行本・関連本を探し、読んだ。

    下記の二冊は古い出版だが、著者自身があるき遍路を行った体験を元にしており、苦労して歩いた難所の数々は、時が移っても変わりは無いはずと、それらの記述箇所を情報として、メモに取った。
       ・「定年からは同行二人」 小林淳宏 著 平成6年出版 PHP 文庫
       ・「四国遍路で生まれ変る」 高田真快 著 昭和61年出版 立風書房

    また、ネットで四国遍路関連のホ-ムペ-ジを探し、役立ちそうな記事・地図を、プリントアウトした。
       ・四国八十八ヶ所霊場巡り
       ・四国八十八ヶ所お遍路地図 等など
    さらに、旅行会社の四国巡礼ツア-説明会に参加し、参考になりそうな情報を得た。

    2.トレ-ニング
    旅行会社の説明会では、あるき遍路を行う人は、少なくとも毎日10Kmほどを歩くトレ-ニングをしておいたほうが良いとの話であった。 訪れる寺によっては、山道をずっと歩き、さらに長い階段を登るところもあり、俗に云う「遍路ころがし」などの難所などで、挫折する巡礼者がいるとの話もあった。

    これらの情報から、山道を歩くトレ-ニングを、今年7月より始めた。 
    山歩き初級者向けの奥多摩・高水三山 コ-スを選び、計6回行って、降りる道を変えたり距離を
    延ばしたりしながら、山道歩きに足を慣らしていった。

    3.実行への追い込み
    何事でも大変な事・面倒な事は、先延ばしにしがちな私は、「四国あるき遍路」の出発が、ズルズルと先になる予感があった。
    高齢者にとって、先延ばしは老いが進み、体力が落ちてゆく方向であり、四国遍路を行いたいので
    あれば、少しでも早く行うべきであり、その様になるよう自分を追い込む状況作りを計った。

    まず出発目標を平成24年中とし、なにかのおりに、多くの人に、私の「四国あるき遍路」チャレンジを話していった。 やがて、「もう行って来たのか?」とか、「いつ、出掛けるの?」と尋ねられるように
    なり、出掛けねば嘘をついている事だと、追い込まれた気持ちが強まり、四国あるき遍路 Go ! が出来た。

    装備品・身支度については、次回に述べたい。

    追記 : 2013年12月1日
    この記事を読み返して、四国巡礼の旅に準備をしていた頃は、あれこれ考え行動を起こしており、
    このステップも楽しかった事に気付いた。  


  • Posted by ボブ at 15:23Comments(0)四国あるき遍路

    2013年11月26日

    般若心経 あるき遍路回想

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年11月28日

    初めて般若心経を聞いたのは、12年前に父が永眠し、遺骨がまだ家にある間に、親友のK氏が
    訪れてくれ、焼香と読経をしてくれた時だった。

    彼が般若心経をそらんじていた事に、少し驚いたが、心を込めて唱えられる般若心経を、有り難く
    思いながら聴いた。 私も、般若心経を唱えられる様になりたいと思い、さっそく経文を入手し暗記を始め、覚える事が出来た。

    般若心経を覚えた頃、NHK のTV ドキュメント 「柳沢桂子 般若心経について語る」が放映された。
    この番組を観て、柳沢桂子の生命科学者としての経歴、彼女を襲う難病との壮絶な闘い、その中で彼女が般若心経を翻訳し、『生きて死ぬ智慧』 として出版したことを知った。

    さっそく、この本を買って読み、さらに般若心経を解釈する何冊かの他者の著書を読み、「」の
    理念が理解出来てくると、それまで抱いていた 死への戸惑い ・ 慄き が、心の中から消えていた。

    それらの本の中で、四国札所巡礼のおりに、巡礼者は必ず般若心経を読経する習わしと知り、四国八十八ヶ所霊場巡礼に関心を持つようになった。

    2010年4月~6月に、NHK ラジオ第2放送で「四国遍路を考える」(講師:真鍋俊照-- 四国霊場
    第4番 大日寺住職・四国大学教授)が、13回にわたり放送され、欠かさず聞くことが出来た。
    この講座から、四国遍路の歴史と世界を学び、元気な内に 四国あるき遍路を行ってみたい と考え出したものだった。
                             〈 般若心経 部分コ ピ- 〉                


    追記 : 2013年11月26日
    11月27日は、父の祥月命日。 父は5歳で母親と死別し、8歳には父親も亡くなり、後見人は学校
    教育も受けさせず、住み込み奉公人として社会に放り出した。 荒波の社会を、懸命に生き抜きいてくれた父。 この父が生き抜いてくれた結果、私は今この世にいる。 
    八十八歳八ヶ月で永眠の父に、感謝 感謝。 合掌
      


  • Posted by ボブ at 09:48Comments(0)四国あるき遍路