2011年7月に「ボブのブログ」をスタ-トさせ、1年後にア-カイブ ブログへの転用を考えました。
 過去記事を月単位で読み返し、取捨選択を行い、保存の記事を最新24ヶ月以内に納めさせます。
 新規記事も時おり加え、ア-カイブ内容の充実を、続けて行くつもりです。

ボジョレヌ-ボ-なぜですか?

2024年11月19日

ア-カイブ記事            公開 : 2011年11月15日

その年のボジョレヌ-ボ-を飲める解禁日は、11月第3木曜日と決められているそうです。
日本では、いつも当日のニュ-スで大きく取り上げられますが、友人のW氏はこの騒ぎを、何事も
本質を知ろうとせず、踊らされ易い日本人の姿の一つだと、嘆きます。

24年前の11月10日に、最初の駐在国としてベルギ-に赴任し、ブリュッセルに住み始めました。
しばらく過ぎての街角歩きの時、ある店先で陽が当たる場所に、バケツの中にワインを立て売られており、その価格が非常に安いのに驚きました。

翌日、駐在先輩のW氏に話したところ、「それはボジョレヌ-ボ-だが、ブドウジュ-スを醗酵させたもので 未熟ワイン だ。 言い換えれば、ワインもどきさ。 あんな物を飲むものではないよ。」と、
言われました。

駐在が長い彼は、ワインを学び楽しみ、TPOで飲み分けるワイン通となっており、ボジョレヌ-ボ-について教えてくれました。

1.ワインの製造プロセス
①.8~9月頃、ブドウの実が摘まれる。
②.大タンクに入れられた実は押しつぶされ、実汁と皮が一緒になった状態で、
   1次醗酵が始まる。
③.ある期間醗酵を続けたあとで、こされてカスが取り除かれ、第一段階のワイン元酒となる。
④.このワイン元酒は、樽に入れられ、翌年の春まで第2次醗酵しながら、寝かせられる。
⑤.第2次醗酵を経て、樽からボトル詰めにされ、出荷される。(これまでに最低6ヶ月かかる。)
⑥.ボトルワインは、10~15℃の管理温度の下、ボトルの中で第3次醗酵を続ける。
⑦.ワイン購入者は、自宅のワインセラ-で保管し、時と共にワインが育つのを楽しみながら飲む

2.ボジョレヌ-ボ-
8月に摘んだブドウの実から作られ、ワイン元酒は2ヶ月足らずでボトル詰めの製品となり、日本には11月上旬には届いている。
第一段階のワイン元酒のボトル詰めは、言い換えればブドウジュ-ス醗酵酒ワインもどき
ワインを知る欧米の知識人 は、ボジョレヌ-ボ-を、一般ワインとしては飲まない。

3.他のフランスワイン産地 では?
ボルド-ブルゴ-ニュフランスワインの二大産地だが、ボジョレ地区 が行う ワインもどきでの生産出荷は絶対しない。

ボジョレヌ-ボ-が正しいワイン製法で本物ワインと評価されるなら、他のフランスワイン産地も同じようにするはずだ。 
短期間でワインとしての出荷なら、手間暇掛けずに早期の売り上げとなり、より儲かるものだ。

4.11月第3木曜日が解禁日?
説は、いくつかあるが、第二次大戦中にドイツ軍に占領され、ワインを徴収されたボジョレ-地区は、戦後になって飲むワインが無くなり、翌年春まで待つことが出来ず、新しく解禁日なるものを作り、
未熟ワインで平和を祝ったとも云われている。
今では、解禁日を設ける事で、消費者に価値のある物のように思わせる、巧みな商法と云える。

5.ボジョレヌ-ボ-の値段は妥当?
原価は、通常ボトルでせいぜい2~300円位 だ。 日本で飲むボジョレヌ-ボ-は、高い宣伝費+飛行機代+利益マ-ジンで、高くなっている。 つまりボジョレヌ-ボ-を飲む者は、価値ある
ワインに高いお金を払っているのではない。
安い原価のブド-ジュ-ス酒を、ボジョレの戦略と宣伝で、高値で売るボロ儲けの商売。 本質を
見抜けぬ人達がいる限り、このボロイ商売は続く。

友人のW氏は、11月第3木曜日の騒ぎのニュ-スを聞くと、「いつになっても、本質を知らずに踊ら
される輩が減らず、それら日本人は実に情けないことだ。」と嘆いてきます。

昨年、私は、「自分のお金で買って飲むのだから、良いんじゃないの。タデ喰う虫も好きずきと
思えば。」と言ってみました。

すると彼は、「タデを食う虫は、タデを分かって喰っているんだ。 ワインの勉強もせずに、マスコミが
取り上げるから踊らされて飲み、ワインと言えないものを美味しいワインだなどと言っていることに、我慢出来ない。 欧米の知識人に、日本人の本質を見抜けぬ低いレベルを晒しているものだ。」と、
さらに怒りを膨らませました。

今週末、W氏がまた憤慨の電話をしてくるのでは?と、思いつつ、焼酎のお湯割りを飲みながら、
この記事を書きました。

追記 : 2024年11月19日
今年のボジョレヌ-ボ-の解禁日は、11月21日です。

今年も、ロシア上空を飛べない航空機の運賃コストの大幅UPと、1ドル150円台となった円安などの為、さらに大幅な値上げとなるボジョレヌーボ-
今年もマスコミに踊らされる人たちが、いるのでしょうか?

  


  • Posted by ボブ at 12:42Comments(0)食べ物

    歩き遍路 準備・持ち物

    2024年11月15日


                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月5日

    7月より、四国あるき遍路へのトレ-ニングとして、奥多摩・高水三山コ-スの山歩きを6回行い、
    山道も多い遍路道歩きに適した持ち物を考え、必要となる品々を、揃えていった。

    高水三山は軽登山コ-スだが、急坂や歩きづらい箇所が結構あって、背負うリュックの不具合や、
    悪路を歩く際の靴の大事さが分かり、それらの購入時に、反映させた。

    A..装備品
    1.荷物入れ  deuter 社 リュック 22 L 雨よけカバ-付、ウエストポ-チ、エコバッグ
    2.雨具類  大きい折り畳み傘(カ-ボンファイバ- 製)、ゴアテックス上雨着、雨ズボン、防寒シ-ト
    3.記録具類  デジタルカメラ、ICレコ-ダ-、日誌用ノ-ト、筆記具、スマホ、
    4.地図類  巡礼ル-ト地図コピ-、5万分の1地図要所9枚、拡大鏡、コンパス
    5.薬類  バンドエイド、オロナイン、タイアシンA(靴ずれ・すり傷)、ムヒアルファEX、水虫薬
    6.洗面具類  歯ブラシ、歯磨きクリ-ム、シェ-バ-、爪切、ドライヤ-(濡れ物 乾し用)
    7.お詣り用品  お数珠、ロ-ソク、線香、風防ライタ-
    8.その他  郵貯カ-ド、充電器3個(スマホ、デジカメ、電池)、果物ナイフ、LED懐中電灯、
              耳栓、アイマスク、汗止めバンド、タオル2枚、非常用食糧、健康保険証
    *当初のリストアップより、かなり削ったが、最終的に12Kg の荷物 になっていた。

    B.服装
    ・10月初旬の服装+ブルゾンとした。 着替え下着1組、腹巻、5本指ソックス3組。
    ・靴 … ミズノ トレッキングシュ-ズ (ゴアテックス、1センチ大き目サイズ) 
    ・帽子 … AIGLE 社 レインハット 

    *初めて歩き遍路を行った人の多くが、足のマメで苦しみ、中にはそれが原因で挫折の人もいたが、私は最適の靴+5本指ソックスの組み合わせ効果により、一度もマメは出来ず、歩き通せた。 
    なお、持ち物への評価は、別途行う予定。

    C.お遍路用品
    第1番 霊山寺で、金剛杖・白衣(オイズル)・輪袈裟・菅笠・納経帳を購入し、お遍路姿になった。

         〈 あるき遍路 装備・姿恰好の一例 〉
     
    追記 : 2013年12月5日

    四国一周の1400Kmを歩き通せたのは、特に歩きに適したトレッキングシュ-ズと、長時間
    背負っても疲れないリュックの選択が良かった
    と言える。
    経験から加えたいのは、必携バイブル地図と、
    トンネル歩き時に3Dマスクだ。  


  • Posted by ボブ at 21:47Comments(0)四国あるき遍路

    歩き遍路のバイブル

    2024年11月12日

                    ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月18日

    四国あるき遍路に向けて、まず札所の所在地・札所間の距離・難所・宿などの情報を集めた。
    次に、右回り順の88ヶ寺+10ヶ寺のリストを作り、集めた情報を全て入れ、一覧表とした。
    この一覧表から、毎日どこまで札所をお詣り出来、どこ辺りで泊まるかを計り、おおよその日程を
    書き込み、全体日程を把握し予算を組んだ。

    地図の準備は、ガイド本の札所ル-トのイラストをコピ-し、詳しい地図情報が欲しい土地・地域は
    5万分の1地図を買った。
    インタ-ネットの 四国八十八ヶ所お遍路地図 を開き、参考になる地図を、プリントアウトした。
    宿情報は、ガイド本巻末にある宿リストをコピ-し、ネット 四国八十八ヶ所巡礼の宿泊所の一覧 の宿情報もプリントアウトした。 出発前には、5泊目までの宿予約を入れておいた。

    これらの準備で、10月4日より四国あるき遍路をスタ-トし、第12番の焼山寺までは道に迷うことなく進めた。 しかし、その後は札所ル-トのイラスト図には載らない実際の道が沢山あり(当たり前の事。)、道の分岐点でどちらに進むべきか迷い、何度も無駄歩きを重ね、宿の所在地がよく分から
    なかったり等、苦戦の連続となった。

    7泊目となった民宿「鮒の里」は、歩く道に広告板を見つけ、その日の宿泊予約をしたが、歩く道沿いにあった宿を見落とし先に進んでしまい、その宿に辿り着いた時は、他の遍路客は食事を終えよう
    とした時間だった。

    遅れて食堂に入った私に、先着の遍路客から遅い理由を尋ねられた。 私が出発前に用意し使い
    始めた地図類・資料を見せたら、「これでは、歩き遍路は出来ないよ。」と、言われてしまった。

    全員が持っていた地図本は、へんろみち保存協力会発行の「四国遍路ひとり歩き同行二人」で、
    「この先あるき遍路を続けるなら、早く入手して使うように。」と、アドバイスを受けた。
    一人は、「宮崎建樹さんが作られたこの地図本は、歩き遍路に必要な情報が全て織り込まれている。 この地図本なくして、歩き遍路は出来ないよ。 歩き遍路者へのバイブル と言われている。」と、話してくれた。

    彼らは四国に入る前に、この地図本を入手しており、通信販売で取寄せたか、
    東京なら八重洲ブックセンタ-で買っていたそうだ。
    四国に入ってしまった遍路者は、特定の札所売店で購入する手段があると
    教わり、各札所の売店で探したが、入手出来たのは、その日から26日も過ぎた、第54番 延命寺 の売店だった。

    バイブルと言われた地図本を開くと、出発前に時間を掛けて集めた情報が全て含まれており、また
    使い勝手が良く、その後の歩き遍路は、比較にならないほど楽なものとなった。
    準備に使った時間やコピ-は無駄だった事と、地図情報の不足より起きた苦労は、今回の歩き旅の3分の2の日程で起きていたものだった。

    なお、仏教のお寺を巡礼する四国あるき遍路の地図本に、バイブルと云う言葉が使えるか?と、辞書で調べてみると、 【 バイブル…②.それぞれの分野で、権威のある書物。】 とあり、納得できた。


      


  • Posted by ボブ at 22:23Comments(0)四国あるき遍路

    なぜ四国遍路に?

    2024年11月09日

                      ア-カイブ記事            公開 : 2012年11月24日

    四国遍路の旅では、宿の夕食が6時からで、札所巡りを行っている人たちは、一緒の食事となった。
    一日の札所巡りを終え、風呂でさっぱりした後の食事時間に、お互いの出身地・札所巡り期間・体験などを語り合い、また情報交換など出来、楽しく貴重な時間だった。

    既に何周も四国あるき遍路行っている人達もいて、それらの人のアドバイスや情報などは、初めて歩き遍路を行う私にとって、大いに役立った。

    また、この夕食の会話の中で、歩き遍路の経験者は、初めて行っている私に、「四国あるき遍路を、何故行うのか?」との質問を、よくしてきた。

    私はいつも、「定年退職した私は、家に居てもする事はなく、家では山の神に支配されて面白くなく、この状況から抜け出るには長い旅が良いと考えた。 四国の札所巡礼に行くと言えば解ってもらえ、実行に移せた。」と、答えていた。

    しかし、実際は老両親の介護を終えた後、心の中に死への戸惑い・慄き が強く心を占め、しばらく
    悩んだ後に 般若心経 を知り、「」の理念も理解出来ると、悩みから解き放たれていた。
    さらに、四国遍路では札所にお詣りする時に、般若心経を唱えると知り、覚えたお経を札所で唱えてみようと、四国遍路を考えるようになっていった。

    般若心経の関連書物から、昔の人々は四国遍路は 死出の旅 の覚悟で出掛けた事を知り、
    私も昔の人々と同じ方法の通しで歩いて行う あるき遍路を行い、何かしら心に得てみたいと考え、
    四国遍路に出たものだった。 
                      〈 60番 横峰寺への登り遍路道 〉





    追記 : 2024年11月9日
    平成24年10月3日~11月17日に、歩きのみでの四国遍路を行い、結願して得たものは、沢山の
    楽しく良い思い出だった。 ブログ記事をアーカイブで読み返し、四国遍路の思い出を楽しんでいる。
      


  • Posted by ボブ at 10:13Comments(0)四国あるき遍路

    入間基地 航空祭

    2024年11月02日

     ア-カイブ記事                 公開 : 2011年11月7日

    毎年11月3日に行われます、航空自衛隊入間基地の、入間航空祭に行って来ました。
    昨年8月に、横田基地の友好祭に、英会話講師から誘われ訪れており、比べて見学したい気持ちがありました。

    西武線所沢駅で飯能行きの電車に乗り替えると、乗り切れないほどの混み様でしたが、通勤電車
    との違いは、車内で楽しい話し声があちこちでしていることでした。

    自衛隊基地は稲荷山公園駅に隣接ですが、人・人・人・人…で臨時改札を通り手荷物検査を受け、
    基地内での自由行動地点までに約50分もかかりました。

    飛行場地区には、たくさんの航空機が展示されており、大型輸送機などは機内を見物出来、
    長い行列が出来ていました。
    上空では、大型機の編隊飛行や空挺部隊の
    パラシュ-ト降下などのデモ飛行が、次々と
    続きました。

    アトラクション会場では、中部航空音楽隊のブラスバンド演奏があり、耳を楽しませてくれました。

    この会場の壁には、東日本大震災の災害派遣で活躍された、入間基地の隊員の活動内容が写真展示されており、困難な状況下において、様々な支援実績をあげられたことが、分かりました。
    また、全国から集まった救援物資を、空輸するためのタ-ミナルが、入間基地でした。
    厳しい環境下で勤務された自衛隊の皆様、ご苦労様でした。 感謝、感謝です。

    広い基地内に決められた場所には、レジャ-シ-トを拡げ、持参の飲食物を楽しみながら、上空の
    デモ飛行を楽しむ家族連れがたくさんいました。
    今年の入場者は、17万人だったそうですが、入場無料で盛り沢山の行事を楽しめる事から、毎年
    訪れる家族連れが多いそうです。

    横田基地の友好祭と比べると、入間航空祭のほうが中身がずっと濃く、より楽しめる内容でした。
    航空祭の目玉イベントは、ブル-インパルスの飛行ショ-で、これは横田基地友好祭では見られ
    ないものです。

    敷地内には売店エリアがあり、食べ物の他に自衛隊グッズなどの販売もあり、私は土産として
    よこすか海軍カレ-を買い、夕飯に美味しく食べました。

    追記 : 2022年11月1日
    コロナ禍で中止となっていました入間基地 航空祭は、今年は開催されます。

     航空自衛隊 入間基地 公式サイト  http://www.mod.go.jp/asdf/iruma/

      


  • Posted by ボブ at 10:24Comments(0)外出

    四国遍路 記念日

    2024年10月03日

    もう12年前となる 2012年10月4日、四国遍路の旅に出掛けています。
    鳴門から歩き出し、乗り物を一切使わず に、46日間 を掛け四国一周の遍路旅を結願出来ました。

    八十八ヶ寺の結願の後は、第10番寺に進み更に第1番寺まで戻り、数珠の形旅を完成しています。
    最終日には、高野山を訪れ無事の四国遍路のお礼参りも出来ています。

    あの年の四国の10月は、ほとんどが好天の日で、連日 大汗をかきながら歩いたものでした。

    この旅での体験を、ボブのブログ「四国あるき遍路」で記事公開しており、時々読み返し懐かしく
    思い出しています。

    四国を、通し(10 4)で歩いた思い出の日として、10月4日を 四国遍路 記念日 と決めました。
    我がブログ記事 「お遍路の一日」 を開き、楽しかった お遍路旅 を思い出してみます。

                        ア-カイブ記事            公開 : 2012年12月22日

    四国あるき遍路の一日は、おおよそ次のように流れた。

              〈 前夜、お遍路民宿に泊まる。 〉
    5時30分 起床  ・洗顔 ・体操+ストレッチ ・TV 天気予報当日の確認

    6時00分 朝食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・茶碗飯大盛り2杯、おかずも残さず食べる。
               ・朝食後に、宿代・前夜飲み物代の支払い。
               ・共同トイレの空きをみて、朝の大トイレ。(とても重要。体を軽く。)
               ・部屋に戻り、身支度。 ・その日の歩きコ-ス確認。 

    7時00分 宿立ち ・札所目指して、遍路歩きスタ-ト。
               ・ひたすら歩き、約90分毎に、10分位の休憩。(長く休むのは N.G. )
               ・休憩時に、水分補給。 ・菓子/果物などでカロリ-補給
               ・札所では、本堂と大師堂それぞれにお詣り。( 般若心経の読経ご朱印受け。)
               *一つの札所お詣りに、約30分は掛かる。
               *ひたすら歩くだけの日と、1日に何ヶ所もの札所巡りの日がある。

    12時頃  昼食 ・食事が出来る店が無い場合が多い。 ・途中で買った弁当を食べる。
               ・弁当を買えない場合は、リュックに用意の非常食/菓子などを食べる。
               ・昼食後、再び歩く。 ・天気の日は大汗をかき、水分の補給を頻繁に行う。
               ・10月中は、ペットボトル大を、毎日5~6本飲んだ。  

    15時頃 宿予約 ・残り2時間で行き着ける辺りの宿に、スマホで宿泊予約。  
               ・ひたすら歩き続け、宿に向かう。

    17時頃 宿入り ・宿帳に記入。 ・入浴。(入浴中に足のマッサ-ジ。)
               ・大汗をかき濡れた衣類のコイン洗濯。(ほぼ毎日)

    18時00分夕食  ・他の遍路者と一緒の食事。 ・まずはビ-ル大瓶1本。
               ・食事時間に、情報交換。 ・歓談。一番楽しい時間


    19時頃 部屋に ・洗濯物のコイン乾燥。 ・日誌つけ。 ・翌日ル-ト/歩行予定距離確認。
               ・スマホ他の充電 ・リュック中身の確認と整理。 ・TV天気予報を見る。

    21時 就寝 ・寝具敷き ・耳栓/アイマスク ・懐中電灯枕元に。

    *ビジネスホテルは夕食なく、外に出て食事。 朝食が出ても7時から。
    *1日に歩く距離は、その日訪れる札所の数如何と、山道/平地で異なる。
      山道多い日は、20~30Km。 平地を歩く日は、40Km。 最長歩いた日は、50Km。

    歩き進むと、日々変わる景色・農作物の変化・四国各地の人の暮らし等を見て学べ、お接待など
    多くの方のお世話になりながら、毎日が新鮮で楽しい思い出が残っていった。

      


  • Posted by ボブ at 22:39Comments(0)四国あるき遍路

    花ごよみ 九月 1 シュウカイドウ 

    2024年09月24日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 九月 1 は、 シュウカイドウ です。

    シュウカイドウ(秋海棠)は、江戸時代に中国から園芸用に持ち込まれた帰化植物だそうです。
    だいぶ前に、釣り場の帰り道の崖一面に、ピンクの花が咲く光景に目を奪われました。

    何の植物か知りませんでしたので、数株持ち帰り調べて シュウカイドウ と分かりました。
    日陰で育つとあり、北側の空いた地面に植えたものが、連綿と生き延びて秋になると、可憐な花を
    咲かせます。

    何の手入れも要らず、こぼれ種から毎年生えてきて、秋になると花で季節を知らせる 秋海棠 です。

       〈 可憐な花のシュウカイドウ 〉                 〈 日陰で元気なシュウカイドウ 〉


      


  • Posted by ボブ at 23:02Comments(0)

    花ごよみ 八月 1 ゴーヤ

    2024年08月04日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 八月 1 は、 ゴーヤ です。

    5月に、家と塀の隙間に植えたゴーヤの苗は、順調に育ち今は若緑のカーテンを形作っています。
    ゴ-ヤを花ごよみ として載せるのは?と思いもしましたが、小ぶりの黄色い花は可憐で、若緑一面の中で目立ちます。

    毎年 育てていますゴーヤは、緑のカ-テン で防暑の一助となり、たくさん実るゴーヤの実は、時々
    夕餉のオカズとなり、家計を助けてくれています。

    既に実が採れ出し、ゴーヤチャンプル-・ピクルス・サラダ・天ぷら・佃煮などで食しております。
    それ故、黄色の花は可憐でも、「 花より、ゴーヤの実(団子) 」 の心情です。

          〈 ゴーヤの可憐な花 〉                   〈 立派な緑のカーテン



      


  • Posted by ボブ at 09:44Comments(0)食べ物植物・園芸

    花ごよみ七月 1 ヒオウギ水仙

    2024年07月20日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 七月 1 は、 ヒオウギ水仙 です。

    5~6年前に長野旅行を組み、小布施で北斎館・岩松院を訪れ、葛飾北斎の画業を見学しました。
    岩松院 では 八方睨み鳳凰図 を鑑賞し、お寺を出ると、地元の人が草花の苗を売っていました。
    その中に、ヒオウギ水仙 として写真が貼られおり、その花はオレンジ色ではない珍しいものでした。

    小布施の思い出にと、その球根を買い、翌年の開花を楽しみにプランタ-に植え付けました。
    翌年になると元気に育ち、7月に花を付けましたが、オレンジ色の花ばかりでした。

    ヒオウギ水仙 として貼られた写真は、何だったのか?と思いましたが、オレンジ色でも爽やかな花で気に入っています。
    毎年、掘り起こし良い球根を選び植え続けた結果、今ではプランタ-4箱に増えました。 
    小布施での北斎画業の見学と、ヒオウギ水仙 の球根と 栗おこわ も、旅の思い出となりました。

    ヒオウギ水仙の花



      


  • Posted by ボブ at 11:06Comments(0)植物・園芸

    花ごよみ 六月 1 シモツケ

    2024年06月13日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 六月 1 は、 シモツケ です。

    50歳近くの転勤で、栃木県 宇都宮に4年間住み、休日は鬼怒川をスタ-トに観光名所をあちこち
    訪れ、その地での美味しい食べ物も味わい楽しいい思い出がたくさん残りました。
    ( 宇都宮 … カンピョウ料理・ギョウザ・乳タケ蕎麦、日光 … 湯葉料理・蕎麦、那珂川 … 簗のアユ
    料理、温泉と地酒等々)

    4年後に東京に戻る事になり、住んだ思い出に何か?と探した時、 栃木は 下野(しもつけ)の国 と呼ばれていた事を思い出し、現地ではいたるところで目にした山野草のシモツケ にしました。

    山野草の シモツケ は、丈夫で狭い我が家の庭に根付き、毎年5~6月に可愛いピンクの花を付けてくれます。

    この花が咲き出すと、休みの日に 下野の国 をドライブで楽しんだ4年間の思い出が、蘇ります。

       〈 背丈は60センチほどのシモツケ 〉             〈 花の後、刈り込むと再び花を付ける 〉





      


  • Posted by ボブ at 22:20Comments(0)植物・園芸

    時の記念日に

    2024年06月09日

    ア-カイブ記事              公開 : 2015年6月10日
     (6月10日は、「 時の記念日 」 です。9年前の公開記事を、アーカイブします。)

    先週の金曜日、英会話クラスの際に、講師のジョンさんから懐中時計の検査を、依頼されました。
    この懐中時計は、お祖父さんからジョンさんに贈られた物で、ケースの裏側に彼のフルネ-ムが
    刻まれています。

    「高級な懐中時計ではない事は、分かっています。 しかし、お祖父さんに贈ってもらった私にとって宝物です。 出来れば動くようにしておきたいのです。」と、検査(修理)を託されました。

    家に戻り調べてみますと、ケースは真鍮ベース+ニッケルメッキ・機械は目覚時計に使われるピン
    レバ-脱進機・文字盤には WESTCLOCK SCOTTY とプリントされていました。

    手持ちの本に、WESTCLOCK 社は米国ジョ-ジア州アテネで、1906年に廉価懐中時計の量産を始め、1920年には日産15,000個製造していたと、記録されています。

    翌日に機械を調べると、長年手入れされず油切れの状態から、歯車の軸を受ける地板に減りが
    見られました。 取りあえず分解掃除をし、元通りに組み立て注油すると動き出しましたが、長く動き
    続きませんでした。

    また分解し、軸受け穴の減った地板を全て補修して、調整後に組立て注油すると、前より力強く動く
    ようになり止まらなくなりました。 これから、毎日動かし様子見をしなが時間調整を行い、ベストの
    状態でジョンさんに返し、彼の喜ぶ顔を見たいと思っています。

    ジョンさんの依頼から、時計記念日 の週に、久しぶりに時計修理の時間を持てました。
    この時計修理をしながら、かっては 時計修理という一つの職業 があり、私も技術者として働いて
    いたのが、クォ-ツ時計の出現 で修理の仕事が無くなり、転職した体験を思い出していました。

    技術の進歩が速い今の時代では、今まであった職業が消える のが、想像以上に起きるのではと、
    考えたりもしました。 例えば、今求められている英語などの外国語の習得には、高性能の携帯同時通訳機が開発され、母国語以外の言葉を習う無駄な時間が省けるようになると、予見する私です。 
                (ジョンさんの仕事が、無くなる話ですが…。) 

            〈 機械の分解 〉                     〈 修理後の機械(ム-ブメント) 〉











                       〈 ジョンさんの懐中時計、直径 5センチ 〉




      


  • Posted by ボブ at 22:12Comments(0)時計

    花ごよみ 五月 1 キショウブ

    2024年05月25日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 五月 1 は、アヤメ科の キショウブ です。

    かって五月頃は、秋川 東秋留 のオイカワ釣りに、よく出掛けたものでした。
    この時期のオイカワは、川虫のエサで良く釣れ、釣果は唐揚げにすると美味しくビールに合いました。

    また、この時期は釣りの川辺にキショウブ が美しく咲いており、ある時 帰りに1株みやげにもらい、
    庭の片隅に植えたものが毎年良く咲いてくれます。

    キショウブ の花が咲き出すと、昔通った秋川の新緑の美しさ・せせらぎに負けずに鳴くカジカ蛙の声・オイカワ釣りの楽しさ等を、思い出させてくれます。

                         〈 毎年よく咲く キショウブ


      


  • Posted by ボブ at 23:11Comments(0)植物・園芸

    花ごよみ 四月 2 白スミレ

    2024年04月21日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 四月 2 は、 白スミレ です。

    3年前、千葉鴨川の弟と奥多摩フイッシングセンタ-でニジマス釣りを楽しみ、帰りの橋のたもとに
    雪が積もったような白い花の群生を見つけ、車から降り調べましたら葉の形はスミレでした。

    スミレと言えば スミレ色=ムラサキ と思い出すもので、白いスミレがあるのか?と思いました。
    「 やはり野におけスミレ草 一茶 」 が頭に浮かびましたが、群生の中から2株ほど家に持ち帰り、
    ネットで調べましたら、ツボスミレ と分かりました。

    この白スミレは、楽しかった釣りのお土産となり、庭の片隅に植えたものが毎年 清楚な白い花を
    咲かせてくれるのは嬉しいことです。

          「 今年も咲いた白スミレ 」                 「 狭い片隅に育ったスミレ 」




      
    タグ :スミレ


  • Posted by ボブ at 23:02Comments(0)植物・園芸

    花ごよみ 四月 1

    2024年04月16日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 四月 は、一年草の 西洋さくら草 です。

    7~8年前に苗を買いプランタ-に植えますと、花の後に出来た細かな種が出来たようで、翌年から
    庭のあちこちから苗が自生するようになりました。
    苗を鉢やプランタ-に植え替えましたら、3月~4月に可憐な花が咲き出し、かなり長い間 楽しめて
    おり、最初買った苗の命が連綿と続いています。

      〈 プランタ-に植え替えた西洋さくら草 〉         〈 庭に自生し咲く西洋さくら草


      


  • Posted by ボブ at 10:47Comments(0)植物・園芸

    花ごよみ 三月

    2024年03月09日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 三月 は、草取りを頼まれた空き家の庭に植えた 菜の花 を載せました。

    一昨年は、道端に咲いた菜の花の種を採取し、その種から育ち咲いた菜の花でした。
    今回は、ホームセンタ-で買った食用の菜の花の種を蒔き、3月に入ると明るい 黄色の花 が咲き
    始めました。
    菜の花は、花の少ない早春に明るい黄色の花で咲き始め、咲き始めると甘い香りが漂うのも良い
    ものです。

    食用として花の蕾を摘んでしまうと、春の花を見て楽しむことが出来ませんので、摘まずにいましたら、ヒヨドリ(ツグミ?)が花と葉を食べに 毎日 飛んでくるようになりました。

    せっせと菜の花の花と葉を食べているツグミを見て、私も少しは摘んで食べてみようか?と、思い
    始めています。

          〈 咲き出した菜の花 〉                  〈 フェンス沿いに咲く 菜の花 〉


      


  • Posted by ボブ at 22:27Comments(0)植物・園芸

    ひな人形

    2024年03月01日

    ア-カイブ記事            公開 : 2012年3月2日

    毎年、ひな祭りが近づくと、下の写真のひな人形を出して、飾ります。



    この人形は20センチほどの高さで、亡き母が当時の保谷市公民館で行われた、木目込みひな人形
    作り講座に参加し作ったもので、30年以上経ています。

    介護をしていた時に、90歳を超えた母に、今までの嬉しかった思い出を、尋ねたことがありました。
    母は、60歳を過ぎて、国民年金が自分の貯金口座に入るようになり、、自分の意志でそのお金を
    使えるようになった事が嬉しかったと、語りました。

    戦災で全ての財産を失い、3人の子育てを終えても、家計のゆとりは少なく、自分の楽しみへの
    お金使いは、なかなか出来ずに過ごしていました。
    入った年金のお金で、受けたいと思っていた材料費の掛かる人形作り講座を、遠慮なく受ける事が
    出来て、とても嬉しかったそうです。 その母は、92歳で天寿をまっとうしました。

    母の介護を終えた私たちは、翌年の2月 伊豆稲取に 河津桜 を見物する旅に出かけました。
    泊まった 稲取温泉 では 雛のつるし飾り祭り の見物を行い 飾り物の云われを教わりました。

    母のひな人形 の前の小さな飾り物は、その時のお土産で、俵ネズミと、巾着です。
    俵ネズミは、金運があるようにとの願い・巾着は、お金に困らないようにとの、願いが込められて
    いると聞き、母のひな人形 に相応しく思え、買い求めたものでした。

    ひな祭りの前に、この人形を飾り付けますと、懸命に私たちを育ててくれた母が偲ばれます。
      


  • Posted by ボブ at 09:35Comments(0)思い出・品

    花ごよみ 二月

    2024年02月13日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    花ごよみ 二月 は、鉢植えの 日本水仙 を載せました。

    2013年1月18日に、千葉県きょなん町保田地区で行われていた水仙まつり の見物に出掛け、
    江月水仙ロードで群生する日本水仙を鑑賞してきました。

    その時、土産として買った 日本水仙 の苗を大き目の鉢植えにしたものが、連綿と生き続け
    今の時期に清楚な姿に可憐な花を付け、芳香も漂わせてくれています。

    〈 芳香を放つ 日本水仙 の花 〉





      


  • Posted by ボブ at 22:07Comments(0)植物・園芸

    ロウバイは見頃です。

    2024年02月03日

                    ア-カイブ記事      公開 : 2012年2月23日

    4年前に、初めて長瀞 宝登山のロウ梅園を訪れ、この花の美しさと芳香を、知りました。

    ロウ梅は、中国から伝来した花樹で、梅とは別の種類だそうです。
    花(素心、満月など)は黄色で、花びらは薄いロウ紙のようで、可憐です。

    今年、再びロウ梅園を訪れる目的は、見頃時の花見と、苗木を求める為でした。
    ロウ梅は、平地では1月に入ると咲き始めますので、狭い庭に1本植えて、新年に花の香りを楽しみたいと、考えました。 

    2月に入って、宝登山ロウ梅園 を訪れるタイミングを、連日ホ-ムペ-ジで調べていました。
    17日のホ-ムペ-ジで、先週末には見頃になると知り、22日は水泳教室があるため、23日(木)を予定していました。
    昨日朝の天気予報は、23日は一日中雨と伝えましたので、急きょ宝登山ロウバイ園を訪れることに決め、水泳教室は無断で休みました。

    9:30 家をスタ-ト 9:56 所沢駅 特急秩父9号 11:17 御花畑駅発 11:39 長瀞駅着
    11:50 秩父鉄道食事処「有隣」、おっきり込みうどん定食で昼食 12:30 宝登山神社参拝
    1:00 ロ-プウエイで宝登山山頂 → ロウ梅園散策 2:30 ロ-プウエイで下山
     → 長瀞駅を通り過ごし、土産物店街で買い物 3:27 長瀞駅発 5:30 小平駅着

    以上のスケジュ-ルで、のんびりと花見が出来、念願のロウ梅苗木も買えました。
    お昼に食べたおっきり込みうどん定食は、ボリュ-ムたっぷりで、味も美味しいものでした。



    右の写真は、土産物屋街にある豆の大沢屋の看板です。 煮豆が人気で大勢のお客が並び、競ってたくさん買っていました。

    大沢屋を訪れている客は、煮豆の試食に目が
    行って、この看板に気付く人は少ないようです。






    ロウ梅園では、下の東園が4~5分咲き、西園が8分咲きで、今週末が本当の見頃です

    ロウ梅の他に、山の斜面に福寿草があちこちで咲いており、ミツマタとマンサクの花も満開です。

    下の普通の梅の梅園は、まだ蕾は固く、当分
    咲きそうな気配はありません。




    追記 2024年2月3日
    今朝のニュ-ス番組で、「 宝登山のロウバイが見頃です。 」と報道されていました。
    ア-カイブ記事の2012年と比べ、3週間も早いロウバイの開花は、温暖化の現れでしょうか?

       


  • Posted by ボブ at 14:26Comments(0)植物・園芸

    花ごよみ 一月

    2024年01月29日

    狭い庭を使い、季節を知らせる花が咲く草木をと心掛け、園芸の真似事をしてきました。

    傘寿を超え、やがて何も行えなくなりますが、ブログにアルバムのように記録しておけば、行ってきた細やかな園芸を、いつでも思い出すことが出来そうです。

    1月に咲いている花は ロウバイ です。
    秩父の 宝登山のロウバイ見物 に行った際、土産に30センチほどの苗木を買い、庭に片隅に植え
    ますと、しっかり根付き 毎年 花の少ない1月一杯 咲いてくれます。
    *ボブのブログ 「 ロウバイは見頃です。 」 
    https://admin.tamaliver.jp/admin/entry/edit/entry_id/497848

     〈 ロウバイの花 薄い蝋のような花弁 〉           〈 2メートルほどに育ったロウバイ 〉






      


  • Posted by ボブ at 22:21Comments(0)植物・園芸

    時をを刻む

    2024年01月01日

    新年を迎え、私が決まって行うのは、窓辺に飾ったこの置時計を動かす事です。

    この時計は、古時計のご紹介 その1 で紹介
    した、19世紀にフランスで製造されたものです。

    高さ55センチ・幅33センチの大きさで、美しく大きなガラスのホヤを取り外し、ゼンマイを捲きます。
    ゼンマイを一杯に捲くと、2週間は動き、長針が真上・真下に来ると、済んだ鐘の音で「チン・
    チン・チン…」と鳴ります。




    普段も動かしたいのですが、万が一ガラスのホヤを割ったりするのが怖く、お正月とハレの日だけ、
    動かしています。

    駐在で2年半 住んだオルレアンの蚤の市で、ホコリを被り動かなかった時計を見て買い求め、故障原因の部品を別の日に蚤の市で探しだし、分解掃除と調整の結果、150年以上過ぎた時計が、
    今でも時を刻むのは嬉しいことです。

    置き時計のケースは、若い貴族が釣り上げた
    魚を自慢げに持つポ-ズをしており、釣りを行う
    私の趣味にあっています。

    また、美しく大きなガラスのホヤ ・白磁の
    文字盤+ブレゲ針・手作り捲きカギなどが
    19世紀の時計として素晴らしく、大のお気に
    入りです。

    ゼンマイを一杯に捲くと、2週間も動き続けますが、ゼンマイが解けてくると、振り子の動きは
    元気を失い、時間に狂いも出て来るのは、
    歳を重ねるにつれて弱って行く人間のようにも
    思えます。

    新年を迎え、この時計を動かす時、私も更に老いの道を進んだ事を、自覚させられます。 
    元旦や、冥土の旅の一里塚。 めでたくもあり、めでたくもなし。

    昨今は体力の衰えに気付き、フレイルも他人事でなくなってきました。

    更にコロナ禍が続く時代、私の寿命が急に切れるかも知れませんが、この置時計はゴミとならず、
    後世に伝わっていく事を願うものです。

                                       〈 鍛造で手作りされた美しいカギ 〉


      


  • Posted by ボブ at 00:23Comments(0)時計