2013年11月26日

般若心経 あるき遍路回想

                    ア-カイブ記事            公開 : 2012年11月28日

初めて般若心経を聞いたのは、12年前に父が永眠し、遺骨がまだ家にある間に、親友のK氏が
訪れてくれ、焼香と読経をしてくれた時だった。

彼が般若心経をそらんじていた事に、少し驚いたが、心を込めて唱えられる般若心経を、有り難く
思いながら聴いた。 私も、般若心経を唱えられる様になりたいと思い、さっそく経文を入手し暗記を始め、覚える事が出来た。

般若心経を覚えた頃、NHK のTV ドキュメント 「柳沢桂子 般若心経について語る」が放映された。
この番組を観て、柳沢桂子の生命科学者としての経歴、彼女を襲う難病との壮絶な闘い、その中で彼女が般若心経を翻訳し、『生きて死ぬ智慧』 として出版したことを知った。

さっそく、この本を買って読み、さらに般若心経を解釈する何冊かの他者の著書を読み、「」の
理念が理解出来てくると、それまで抱いていた 死への戸惑い ・ 慄き が、心の中から消えていた。

それらの本の中で、四国札所巡礼のおりに、巡礼者は必ず般若心経を読経する習わしと知り、四国八十八ヶ所霊場巡礼に関心を持つようになった。

2010年4月~6月に、NHK ラジオ第2放送で「四国遍路を考える」(講師:真鍋俊照-- 四国霊場
第4番 大日寺住職・四国大学教授)が、13回にわたり放送され、欠かさず聞くことが出来た。
この講座から、四国遍路の歴史と世界を学び、元気な内に 四国あるき遍路を行ってみたい と考え出したものだった。
                         〈 般若心経 部分コ ピ- 〉                


追記 : 2013年11月26日
11月27日は、父の祥月命日。 父は5歳で母親と死別し、8歳には父親も亡くなり、後見人は学校
教育も受けさせず、住み込み奉公人として社会に放り出した。 荒波の社会を、懸命に生き抜きいてくれた父。 この父が生き抜いてくれた結果、私は今この世にいる。 
八十八歳八ヶ月で永眠の父に、感謝 感謝。 合掌
  


  • Posted by ボブ at 09:48Comments(0)四国あるき遍路

    2013年11月22日

    久寿玉割ゴ-ル あるき遍路回想

    昨年10月4日よりスタ-トした、歩きでの四国八十八ヶ所霊場巡りは、43日も掛かってゴ-ルの
    88番寺 大窪寺に辿り着けた。

    歩きお遍路が必携するバイブル地図へんろみち保存協力会 発行 四国遍路ひとり歩き同行
    二人
    )を持たずに、全行程の3分の2を歩き、正確な地図無しの歩き旅は度々に道に迷い、余分な歩きで時間を使い、また宿も非効率な取り方となって、その結果の43日となった。

    ゴ-ル前日の11月13日も、 午前10時に87番の長尾寺のお詣りを済ませ、大窪寺までに楽に歩き着く時間から、大窪寺辺りで宿を取ろうと、午前中に宿の予約電話を入れたが何処も取れなかった。 
    止むを得ず、この日は長尾寺前の宿に泊まることにし、余った時間は前山ダム・駅の道ながお
    行き、また長尾に戻るウォ-キングに費やした。

    11月14日の宿は、大窪寺手前の竹屋敷に取れたが、宿入りは午後3時半過ぎと云われ、この日は朝ゆっくりと長尾の宿を発った。 空模様があやしい中、途中におへんろ交流サロン に立ち寄るなど
    休みを多くとりながら、大窪寺に向かった。

    午後1時頃に、大窪寺の本堂に着いた途端、近くに落雷の大音響が起き、冷たい風と共に大粒の
    雨が降り出した。 参拝者は、すべて本堂のひさし下に逃れ、不安気に空を見上げていると、次に
    大きな雹がザザッ-と音をたてながら降り始め、まるで白いカ-テンが降りて来ているように見えた。 本堂でお詣りを済ませ再び空を見上げると、黒い雲は消えており、薄っすらと太陽が現れて来た。

    この神秘的現象は、88番寺での結願ゴ-ルを祝ってくれる久寿玉割りの様に思えて、無駄歩き・
    非効率な宿取りがなければ、結願の札所でこの現象に出合わなかったものだった。
    私の四国歩き旅の中で、この久寿玉割りゴ-ルの光景は、一生 脳裏に残る一番の思い出となった。

    この日、おへんろ交流サロンで、遍路大使に任命されているが、四国の歩き旅を無事に終えられたのは、多くの方々の親切 と一日の疲れを癒してくれたお遍路を泊める宿 のお蔭だった。

    その他に、同じく遍路道を歩いているお遍路仲間からも、宿の食事時に歩くアドバイス・宿情報などを
    得て、大いに助けられていた。 特に、10月10日 に泊まった民宿 坂口屋で、食事時に初めて顔を
    合わせた少し年配の方から、実経験に基づいた貴重なアドバイス・情報を頂いた。

    その方は鈴鹿市の70歳を超えた藤田和清さん で、12年ぶりの四国歩き遍路を行われており、
    この日から11月7日まで7度も一緒になる場があり、先達らしい様々な教えをして頂いた。

    無事に帰京し、藤田さんに礼状を出したら、丁寧な手紙と共に、彼の1回目の四国歩き遍路体験を
    基にした「四国歩きへんろ」 の本を送って下さった。 この本には、四国遍路に関係する博識が書き込まれているが、文章は少しも堅苦しくなく、所どころにユ-モア・暖か味が含まれており、素晴らしい紀行本となっていた。

    私は四国歩き遍路の体験・見分を、ボブのブログに記事公開してきて、「四国あるき遍路」のテ-マ
    引出しには、既に22の記事が溜まっている。 まだ記事になる多くの思い出があるが、歩き遍路で
    お世話になった方々に感謝し、この「久寿玉割りゴ-ル」の記事で、クロ-ジングとしたい。 

         

      


  • Posted by ボブ at 09:44Comments(0)四国あるき遍路

    2013年11月13日

    豊島屋酒造 蔵開き

    平成25年の豊島屋酒造の蔵開きは、11月17日(日 です。 前置きし、一昨年の記事を
    ア-カイブします。

                     ア-カイブ記事 公開 : 2011年11月23日

    11月20日、創業400年の豊島屋酒造 の蔵開き に行ってきました。 
    西武線 東村山駅から府中街道を北に進むと、豊島屋酒造に向かう
    人々が、ぞろぞろ歩いており、道に迷うことなく約15分で着きました。

    開始時間の10時前に着きましたが、すでに大勢の人が来ており、長い行列に並んで酒蔵見学の
    順番を待ちました。 この蔵開きでは、何種もの新酒を試飲出来、その後で自分の口に合う新酒を
    買えるのが楽しみです。

    気に入った新酒を買った後、ワンショットコ-ナ-で樽から汲む新酒を求め、屋台コ-ナ-でツマミを選び揃え、座って飲む場所を探し、蔵開き独特の雰囲気の中、ワンショットを重ね、ほろ酔いで楽しく時間を過ごしました。

    毎回、様々な人と出会いますが、今回は退職されているお元気な4人組に同席させてもらい、飲酒とともに談笑を楽しみました。

    この方々と別れる時に、酔った調子で、この日のレポ-トをブログに載せると言ってしまい、
    その宿題を「蔵開き レポ-ト」の動画としてみました。

         

    この蔵開きには、観光バスのツア-もあって3台以上来ており、当日の参加者は3,200名と、
    大盛況でした。

    追記 : 2013年11月13日
    ホテルレストランで発覚した食品偽装問題は、「赤信号、皆で渡れば怖くない。」とばかりに、
    デパ-ト・老舗旅館などが、一斉に名乗りを上げ、「誤表示をしてしまった。」と謝罪しています。

    高級な食事処などを利用出来ない私は、他人事とニュ-スを聞き流していましたが、富久娘酒造の「虚偽表示」問題では、ここの酒も飲んでいた私は無性に腹がたってきました。 偽装・不当表示・
    誤表示・虚偽表示など、言葉を変えても、すべて詐欺犯罪 なのですよ!  


  • Posted by ボブ at 12:05Comments(0)外出

    2013年11月09日

    大使に任命 あるき遍路回想

    昨年10月3日に四国に入り、翌日より歩き出した四国遍路は、43日目の11月
    14日に八十八番寺 大窪寺に辿り着けた。
    その後は十番寺へと進み、逆回りで一番寺に戻り、歩きでの四国一周が成就し、17日に高野山をお詣りし、46日の旅を無事終える事が出来た。

    八十八ヶ所霊場巡りで、結願となる大窪寺の手前にある前山地区に道の駅ながお があり、道を挟みおへんろ交流サロンがあった。

    建物に入ると、休憩所と「へんろ資料展示室」があり、四国遍路の歴史が分かる資料・古地図などが展示されていた。 各資料を興味深く見終わると、サロンの人から「八十八ヶ所巡礼は歩いて廻られ、大窪寺で結願ですか? そうであれば、認定書になるものを差し上げます。」と、声をかけられた。

    八十七ヶ寺のご朱印が押された納経帳を見せ、申請用紙に氏名・住所を書き込み提出すると、
    サロンの人々の拍手と共に認定書DVD を贈られた。

    認定書?を見ると、上部に「四国八十八ヶ所遍路大使
    任命書
    」と印刷され、私が平成24年の第845人目の
    あるき遍路 結願者と分かった。 

    サロンの人は、「毎年12万人ほどの人が四国遍路を
    行い、その内で約3,000人が歩き遍路で、又その10分の1が外人です。」と、話してくれた。
    この任命書は、英文併記になっており、あるき四国遍路を行った約300人の外人達にとって、一生の記憶に残る
    良いものと思った。

    サロンの人は、「歩いて四国遍路をされた方々は、じっくり四国遍路を見聞・体験されているので、お帰えりになって、四国遍路の素晴らしさをPRする大使の役割をして頂き
    たく、遍路大使任命書としてあります。」と、説明を加え
    られた。

    遍路大使への認命では、真面目に受けると、少しやっかいかもしれないが、「遍路大使と認命されてもたいした事は出来ませんが、それで良ければ…。」と、
    気楽に認命書を受け取った。 あるき遍路を終えたら、回想記事をブログ公開する考えでいたので、
    この記事公開で遍路大使の役目を、少しは果たせるものと考えていた。

    「四国歩き遍路」のテ-マ記事引出しに、既に20を超える記事が溜まっており、もう十分ではと考え出している。 これらの記事を読んだ人には、今の時代の四国遍路の光景が、少しは浮かんでくる
    ものと、勝手に思っている。

    頂いたDVDには、四国遍路で訪れる八十八ヶ所霊場を、美しい季節・厳しい季節を含めた映像に
    してあり、何時になっても記憶を蘇らせてくれる良い土産となった。  


  • Posted by ボブ at 14:43Comments(0)四国あるき遍路

    2013年11月06日

    オルゴ-ル動画紹介

                        ア-カイブ記事            公開 : 2011年11月20日




    動画作りに興味を持ち、「 動画塾INこだいら 」に申し込み、11月5日・12日に
    動画作りの講習を受けました。

    私のブログ テ-マの一つに「オルゴ-ル」があり、オルゴ-ル記事を5度公開しています。
    それらの記事公開で、何人かから嬉しいコメントをもらい、その中に「動画で見たい。」があったのを
    思い出し、動画作り宿題の題材を、オルゴ-ル に選びました。

    初めての動画が出来上がり、You Tube に公開したものが、下の「オルゴ-ル動画紹介1」です。

    動画塾INこだいら 受講中は、またも悪戦苦闘・四苦八苦の連続となりましたが、百田先生の親切な教えと、スタッフの方々の手助けにより、ギブアップせずに続けられました。

    今回の受講でも、「(結果的に)やれば出来るじゃん。」・「悩んで、(70歳近くでも)育つ。」を、
    実感したものでした。


         

    追記 : 2013年11月6日
    動画制作第1号の題名をよく見ましたら、「オルゴ-ル動画紹介 」となっており、続編を匂わせて
    いた事に気付きました。
    動画制作を覚えているかどうか?を確かめながら、その内に「」を作ってみようかと考え出しました。
      


  • Posted by ボブ at 12:06Comments(0)オルゴ-ル