般若心経 あるき遍路回想
ア-カイブ記事 公開 : 2012年11月28日
初めて
般若心経を聞いたのは、12年前に父が永眠し、遺骨がまだ家にある間に、親友のK氏が
訪れてくれ、焼香と読経をしてくれた時だった。
彼が
般若心経をそらんじていた事に、少し驚いたが、心を込めて唱えられる
般若心経を、有り難く
思いながら聴いた。 私も、
般若心経を唱えられる様になりたいと思い、さっそく経文を入手し暗記を始め、覚える事が出来た。
般若心経を覚えた頃、NHK のTV ドキュメント 「
柳沢桂子 般若心経について語る」が放映された。
この番組を観て、柳沢桂子の生命科学者としての経歴、彼女を襲う難病との壮絶な闘い、その中で彼女が
般若心経を翻訳し、『
生きて死ぬ智慧』 として出版したことを知った。
さっそく、この本を買って読み、さらに
般若心経を解釈する何冊かの他者の著書を読み、「
空」の
理念が理解出来てくると、それまで抱いていた
死への戸惑い ・ 慄き が、心の中から消えていた。
それらの本の中で、四国札所巡礼のおりに、巡礼者は必ず
般若心経を読経する習わしと知り、四国八十八ヶ所霊場巡礼に関心を持つようになった。
2010年4月~6月に、NHK ラジオ第2放送で「
四国遍路を考える」(講師:真鍋俊照-- 四国霊場
第4番 大日寺住職・四国大学教授)が、13回にわたり放送され、欠かさず聞くことが出来た。
この講座から、四国遍路の歴史と世界を学び、元気な内に
四国あるき遍路を行ってみたい と考え出したものだった。
〈 般若心経 部分コ ピ- 〉
追記 : 2013年11月26日
11月27日は、父の祥月命日。 父は5歳で母親と死別し、8歳には父親も亡くなり、後見人は学校
教育も受けさせず、住み込み奉公人として社会に放り出した。 荒波の社会を、懸命に生き抜きいてくれた父。 この父が生き抜いてくれた結果、私は今この世にいる。
八十八歳八ヶ月で永眠の父に、感謝 感謝。
合掌
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