2014年04月08日
皇居乾通り 一般公開
天皇陛下の傘寿(80歳)を記念して、皇居内の乾(いぬい)通り が公開され、二重橋近くの坂下門
から乾門(または東御苑)まで通り抜け出来ました。 この乾通りを歩ける皇居公開は、今回の春季
(4月4日~8日)と、秋季(紅葉の頃)の2回だそうです。
皇居内の乾通りを民間人が歩けるのは、今まで初めての事で、今後あるかどうは不明と聞いており、
以前から計画し、昨日(7日)行って来ました。
地下鉄千代田線の二重橋前駅に着くと、明らかに皇居に向かおうとする大勢の人が、プラットホ-ムに溢れました。 地上に出ると、人・人・人の行列が動き流れていましたが、しばらく進むと流れが
止まりだし、待っては少し動くの繰り返しで、忍耐の時間となりました。
10時半に地上に出て、坂下門に辿り着いたのが12時半過ぎで、1Km 弱の距離を進むのに
2時間以上も掛かりました。
坂下門をくぐると広い場所となり、それまでぎっしりと固まった人の群れが少し解された状態になり、
ようやく自分の意志で歩けるようになりました。 進む左手には、緑色の屋根をした宮内庁の建物が見え、その手前の奥には宮殿の一部が見えるなど、皇居の敷地内に入った実感がわきました。
ゆるゆると乾門通りを進むと、手入れが行き届いた大きな木々の間の所どころに桜が咲いており、
緑とのコントラストで桜の花の色が、より美しく見えました。
いろはモミジの若葉なども美しく、右・左と目を移しながら春一杯の自然の景色を楽しみましたが、
道脇に立つ警官たちからの「立ち止まらないでください。」と繰り返す声と、マイクによるはぐれ人の
アナウンスがひっきりなしで、落ち着いた静かな見物は叶わないものでした。
桜の花が一番華やかだった場所は道灌掘 あたりでしたが、道灌掘の名を見て、江戸城を最初に
築いたのが太田道灌であった事を思い出しました。 その場所を少し進むと、石垣の下にヤマブキの黄色の八重の花が盛んに咲いており、「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに無きぞ
かなしき」の歌の古事も、思い出させてくれました。
昨日は、天気に恵まれた皇居の乾通り歩きが出来、その前に忍耐の時間はあったものの、
良い思い出が出来ました。
〈 石垣上に咲く桜 〉 〈 皇居奥の一景色 〉
〈 道灌掘近くのシダレ桜 〉 〈 乾門に向かう人・人・人… 〉
から乾門(または東御苑)まで通り抜け出来ました。 この乾通りを歩ける皇居公開は、今回の春季
(4月4日~8日)と、秋季(紅葉の頃)の2回だそうです。
皇居内の乾通りを民間人が歩けるのは、今まで初めての事で、今後あるかどうは不明と聞いており、
以前から計画し、昨日(7日)行って来ました。
地下鉄千代田線の二重橋前駅に着くと、明らかに皇居に向かおうとする大勢の人が、プラットホ-ムに溢れました。 地上に出ると、人・人・人の行列が動き流れていましたが、しばらく進むと流れが
止まりだし、待っては少し動くの繰り返しで、忍耐の時間となりました。
10時半に地上に出て、坂下門に辿り着いたのが12時半過ぎで、1Km 弱の距離を進むのに
2時間以上も掛かりました。
坂下門をくぐると広い場所となり、それまでぎっしりと固まった人の群れが少し解された状態になり、
ようやく自分の意志で歩けるようになりました。 進む左手には、緑色の屋根をした宮内庁の建物が見え、その手前の奥には宮殿の一部が見えるなど、皇居の敷地内に入った実感がわきました。
ゆるゆると乾門通りを進むと、手入れが行き届いた大きな木々の間の所どころに桜が咲いており、
緑とのコントラストで桜の花の色が、より美しく見えました。
いろはモミジの若葉なども美しく、右・左と目を移しながら春一杯の自然の景色を楽しみましたが、
道脇に立つ警官たちからの「立ち止まらないでください。」と繰り返す声と、マイクによるはぐれ人の
アナウンスがひっきりなしで、落ち着いた静かな見物は叶わないものでした。
桜の花が一番華やかだった場所は道灌掘 あたりでしたが、道灌掘の名を見て、江戸城を最初に
築いたのが太田道灌であった事を思い出しました。 その場所を少し進むと、石垣の下にヤマブキの黄色の八重の花が盛んに咲いており、「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに無きぞ
かなしき」の歌の古事も、思い出させてくれました。
昨日は、天気に恵まれた皇居の乾通り歩きが出来、その前に忍耐の時間はあったものの、
良い思い出が出来ました。
〈 石垣上に咲く桜 〉 〈 皇居奥の一景色 〉
〈 道灌掘近くのシダレ桜 〉 〈 乾門に向かう人・人・人… 〉
Posted by ボブ at 15:12│Comments(0)
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