2014年03月13日

お接待文化 あるき遍路回想

マムシに注意し、イノシシに出遭わないように願い、トンネル歩きに怖さを感じた等と、あるき遍路が安全でない印象を与える回想をしてしまった。

実際にその通りの状況に出遭ってはいるが、四国一周あるき遍路の全体において、それらはほんの
限られた場所と時間に於いてであった。
かっては 死出の旅 とも云われたあるき遍路は、今は 癒しの旅 と云われる様に、四国あるき遍路は安全であり、四国各地で多くの人の暖かな受け入れがあり、良い思い出が残る旅だった。

出発前に四国遍路に関した本を何冊か読む中に、歩き遍路を行っていると、土地の人からお接待があると、書かれていた。
それを読んで、接待の言葉の中に悪いイメ-ジが含まれる事もあり、見ず知らずの人から施しを受けるのは、あまり好ましくないと考えた私は、面倒な事と思った。

しかし、接待に何故「」を付け、お接待と云うのかと疑問が浮かび、2010年に聴いたラジオ講座
四国遍路を考える のテキストを、読んでみた。 (講座時は、録音しながらの聞き流し。) 

テキストには;
・「お接待」とは、お遍路さんに対して一般の人が行う施し。食べ物を提供したり、遍路で使う物を
 提供したりすること。
・ただし、単純にお遍路さんに対する施しを意味しておらず、遍路の基本ともいえる「同行二人」の
 発想から、お大師さんと共に歩く人(金剛杖・菅笠に同行二人の文字。)に施しをすること。
・つまり「お接待」は、お大師さんに施しをする行為であり、施しはやがて施しをした人に戻ってくる
 という信仰になって、現在も続けられている。 ← お接待文化
・従って、お接待は「してあげる。」のではなく、「させていただく。」という気持ちで行われている。

また、ある人の本で、事情があり遍路に出られない人達は、代参の願いを込めてお接待を行っているとあり、私は自分のあるき遍路において、お接待があれば素直に受ける気持ちに変わった。

あるき遍路に出て、お接待を受け始めた頃は、「有難うございます。」と、ぎこちなく頭を下げていたが、次第にお大師さんに代わって受ける自分に慣れていった。 歩く中、「お接待です。」と言われた時は、まずお礼を述べ、次に手を合わせ「南無大師 遍照金剛(弘法大師)」と、自然に唱える事が
出来るようになっていた。

受けたお接待は様々で、素直に受けて歩き通した結果、元気付けられ癒やしを受けて、お蔭で
初めての四国あるき遍路を、1回の通しで結願出来たものだった。

色々な形と物で受けたお接待そのものについて、忘れぬ内に、別のペ-ジに書き残すようにしたい。

                      〈 衛門三郎弘法大師


追記 : 2014年3月13日
今朝のNHK TV あさイチ で、四国を紹介する特集番組が、ありました。
四国遍路も紹介されており、その中で「お接待」文化が紹介され、私も受けた「お接待」を、懐かしく
思い出していました。
  


  • Posted by ボブ at 10:22Comments(0)四国あるき遍路