2015年04月26日

英語嫌い その2

                    ア-カイブ記事            公開 : 2012年3月24日 

英語嫌い その1 に続き、これから述べる 英語嫌い その2 は、中学に入った私が英語の勉強を
せずに、そのまま英語力ゼロで学業を終え、その後に英語習得で苦労した経験と、英語への考えを語ろうとしている。

これから数回で書く予定の、私の英語との関わりの記事は、自分史英語編となるかもしれない。

人は生まれてくるにあたり、産んでくれる親を選ぶことは出来ず、生まれ育つ場所を選ぶことも出来ず、生まれる時代を選ぶことも出来ない。
だが、受けた命に感謝し、働いて生き抜く自身の姿勢如何で、個々の人生は変わってゆく。

《 自業自得の成り行き 》
中学生になった私は、担任となった英語教師に反感を持ってしまい、戦時に親の時計店・財産一切を焼失させた敵国が使う言語の英語を学ばないと、決めてしまった。
英語の授業では、何も聞かずにいて英語を覚えようとせずにいたが、別に困ることは無いと、思っていた。

3年生になる前の春休みに、時計職人で普段は無口な父が、私に向かい「お前は、高校に行かなくてよい。」と、言ってきた。
50数年前の私が通った中学では、男子生徒の9割以上が高校進学しており、英語を除いた学科の成績は悪くなかった私は、当然高校進学と考えていた。

まさに青天の霹靂で、父に大反論したが、父は「お前を、高校に行かせる金は無い。義務教育までが親の責任だ。行きたければお前の金で行け。」の一点張りだった。
二つ年上の姉は、高校進学しており、この点を突くと「娘は、やがて嫁に出す身だから、高校までは
行かせるのだ。」と答えている。

3年生になり、新しく代わった担任の先生に相談すると、奨学金制度を紹介してくれた。
高校の授業料が、月あたり1500円に対し、一般奨学生は1000円・特待奨学生が3000円の支給と知り、特待生への試験を受けることにした。

結果は不合格で、原因は英語以外は及第点の自信に対し、英語は全く出来ずのためだった。
やむを得ず、一般奨学生となり、歩いて通える高校を選び入学したが、5月には月謝未納となり、
私の名前が、教室の壁に貼り出されていた。
この壁への名前貼り出しは、何か悪いことをしたかのように思い知らされ、暗い気持ちにさせられた。

勉強に身が入らず、従って成績も上がらず、みすぼらしい身なりの私は、さげすみや嫌がらせを
受けるなど、格好のいじめ対象になっていた。
この高校は、大学への進学校で、自分は何のため通学しているのか?と悩むようになっていた。
暗澹たる気持ちで通学を続け、高校卒業のレッテルは貼られたが、自分の将来がまったく見えず、
楽しい思い出がない暗い青春時代だった。
当時、同感の思いをした、「世の中を 憂しとやさしと思えども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば 」の万葉集の歌が、今でも頭に残っている。

高校2年の時に、父は借金をして小さな時計店を開き、私を手伝わせるようになっていた。
父は、家業を手伝うのは長男の役割で、時計業に学問は不要と、考えていたものだった。
高校卒業後の選択肢はなく、父の小さな時計店で働くようになり、貧しい社会人になってしまった。

中学生になって、英語をまともに勉強していれば、特待生への門戸が開かれ、勉学に専念できる
高校時代が送れ、更なる進学への道があったのかもしれない。
今から反省すると、変な理屈をつけ英語勉強を怠けた私が悪く、自業自得の成り行きだったに違いない。 (後悔、先に立たず。

英語の習得は、この7年後からスタ-トするようになるが、次回に紹介したい。

追記 : 2015年4月26日
英語嫌い その3 を書こうとすると、楽しい思い出が何も無く、先が見えない灰色の青春時代を思い出し、次の記事が書けなくなっていました。 もう3年も過ぎており、 英語嫌い その3 に進まねばと、思っています。  


  • Posted by ボブ at 09:46Comments(0)英語

    2015年04月12日

    花見の歩き

                        ア-カイブ記事      公開 : 2014年4月21日

    昨日(20日)の「グリ-ンロ-ド歩こう会」 に参加し、21Kmを4時間半で完歩出来ました。 肌寒い曇り空でしたが、歩いても汗を掻かずに済み、今回は今までにない楽な歩きとなりました。

    四月にグリ-ンロ-ドを歩くと、芽吹いた木々の若葉の緑が目に優しく、歩く道々に多くの草木が花を咲かせており、目を楽しませてくれます。

    今回のウォ-キングでも、歩く道筋に八重咲き桜・ハナミズキ・藤・ヤマブキ・二輪草などが、今一番とばかりに咲いていました。

    一月前に開花したソメイヨシノは葉桜となり、今は八重咲きの桜が艶やかに咲いており、グリ-ン
    ロ-ド一周ウォ-キングに毎年参加している私は、途中で珍しい桜を見歩くのも楽しみの一つです。

    今年も、御衣黄桜(ギョイコウ桜)・駿河台匂桜(スルガダイニオイ桜)・ウコン桜 などを、通りながら
    見て歩き、どれも満開の良い状態で鑑賞出来ました。

    御衣黄桜(花小金井駅前)は、開花の時に緑色だった花が、黄緑色 → 黄色 → 中心部が筋状に赤と変わりますが、昨日は筋状に赤色が出ており、艶やかな花となっていました。
     (咲きだした頃の花は緑色ですので、葉の緑に重なって、見栄えがしないものです。)

    駿河台匂桜(小金井公園)は、匂い桜の中で特に香りが高い桜だそうで、満開の木の辺りは芳香に満たされており、鼻も楽しめました。

    ウコン桜 (小金井公園 桜の園)は、唯一黄色の花が咲く桜だそうで、ウコン色の花からウコン桜と
    名付けられたそうです。 この木はまだ若く、これから先に見事なウコン色の花を咲かせる桜木に育って欲しいものです。

    小金井公園の桜の園を通り抜け、玉川上水沿いの道を進むと、所々に群生した二輪草 が白い花を盛んに咲かせていました。 桜の花の見物で顔を上げっぱなしでしたので、地面に咲く花の鑑賞は、首休めとなりました。

               〈 御衣黄桜 〉           〈 手前が駿河台匂桜 〉
     










       〈 ウコン桜 ウコン色が未だ出ていない。 〉

     追記 : 2015年4月6日
    次の日曜日(4月19日)に、グリンロ-ド歩こう会が行われます。
    私は毎回参加していますが、花小金井駅南口に
    植えられている御衣黄桜の花色の変化を確認するのが、花見歩き の楽しみの一つです。



      


  • Posted by ボブ at 10:55Comments(0)ウォ-キング

    2015年04月03日

    英語嫌い その1

                         ア-カイブ記事             公開 : 2011年12月8日

    〔始めに〕
    これから述べる「英語嫌い」は、中学に入った私が英語の勉強をせずに、
    そのまま英語力ゼロで学業を終え、その後に英語習得で苦労した経験と、
    英語への考えを語ろうとしている。
    これから数回で書く予定の、私の英語との関わりの記事は、自分史英語編となるかもしれない。

    人は生まれてくるにあたり、産んでくれる親を選ぶことは出来ず、生まれ育つ場所を選ぶことも
    出来ず、生まれる時代を選ぶことも出来ない。

    受けた命に感謝し、生き抜く個人の努力如何で、個々の人生は変わってゆく。

    1.英語勉強の放棄
    終戦から11年経った年に、私は中学生となり、入学式のあと自分の教室の机についた。
    クラス担任となる先生が皆の前で、「君達のクラス担任の 冨 X X だ。 私は英語を教えている。
    これからは、トミ-と呼んでくれ。」と、挨拶をした。
    この「トミ-と呼んでくれ。」を聞いて、私は「大切な自分の名前を、何故アメリカかぶれで、呼ばせるのか?日本人としての誇りを持たないのか?」と、反抗的に受け止めた。

    トミ-による最初の英語授業で、「自分を紹介する時は、“My name is X X .”と言う。 しかし
    アメリカでは苗字と名前を、日本とは違って逆さまに言う。」と、教えた。
    「これから皆に、英語で自分の名前を紹介してもらう。」と、アルファベット順より一番目に阿部君が
    指名された。
    立ち上がった阿部君は、“My name is Osamu Bea.”と自己紹介してしまった。
    彼は、Osamu Abe と言うところを、Osamu Bea と言ったのだが、「逆さまに言う。」を苗字までと勘違いしたのか、先頭の発言者で気が動顚しての事だったのかもしれない。

    彼の名前紹介を聞いたとたん、まずトミ-が大笑いしたため、生徒全員が阿部君の間違いに
    気付き、追っての大笑いとなってしまった。

    気の毒な阿部君は、真っ赤になってしまったが、この光景を見て、私はすっかりトミ-の教師としての資質を疑ってしまった。
    本来は、余分に苗字まで逆さまに発言した間違いを、褒めながら直してあげれば、阿部君は恥を
    かかずに、気持ちよく英語勉強に入れたはずと思っている。

    反抗期に入っていた私は、英語を教えるトミ-を嫌いとなり、ひいては英語も嫌いとなり、英語勉強を
    まったくしなくなり、英語を頭の中に入れようとしなくなった。

    英語勉強を拒絶した別の背景として、大戦中に父親の時計店が米軍の焼夷弾で焼かれ、財産の
    全てを失った家族は、戦後に貧乏生活を強いられおり、親の敵である鬼畜米英の敵国語・英語を
    学ぶ気にならなかったのかもしれない。

    12月8日は、太平洋戦争会戦記念日
    私が、この大戦の無い時代に生まれていたら、すなおに英語勉強を行っていたのだろうか?

    追記 : 2015年4月3日
    新年度スタ-トの4月1日の新聞記事に、「小1から英語授業」の記事が載っていた。
    岐阜市が新年度より行うもので、1・2年生に隔週1回・年間18時間を使い、外国人による授業は
    すべて英語で行うと、紹介されていた。

    時代の変化を感じるが、語学学習において隔週1回の頻度で、一体何ほどの外国語力を得られるのだろうか?と、疑問を持つ人が多いはずだ。 
    語学習得の経験が無い教育者たちの判断 で、無駄な事をやらされる子供を、気の毒に思う。
      


  • Posted by ボブ at 10:28Comments(0)英語