2013年11月09日

大使に任命 あるき遍路回想

昨年10月3日に四国に入り、翌日より歩き出した四国遍路は、43日目の11月
14日に八十八番寺 大窪寺に辿り着けた。
その後は十番寺へと進み、逆回りで一番寺に戻り、歩きでの四国一周が成就し、17日に高野山をお詣りし、46日の旅を無事終える事が出来た。

八十八ヶ所霊場巡りで、結願となる大窪寺の手前にある前山地区に道の駅ながお があり、道を挟みおへんろ交流サロンがあった。

建物に入ると、休憩所と「へんろ資料展示室」があり、四国遍路の歴史が分かる資料・古地図などが展示されていた。 各資料を興味深く見終わると、サロンの人から「八十八ヶ所巡礼は歩いて廻られ、大窪寺で結願ですか? そうであれば、認定書になるものを差し上げます。」と、声をかけられた。

八十七ヶ寺のご朱印が押された納経帳を見せ、申請用紙に氏名・住所を書き込み提出すると、
サロンの人々の拍手と共に認定書DVD を贈られた。

認定書?を見ると、上部に「四国八十八ヶ所遍路大使
任命書
」と印刷され、私が平成24年の第845人目の
あるき遍路 結願者と分かった。 

サロンの人は、「毎年12万人ほどの人が四国遍路を
行い、その内で約3,000人が歩き遍路で、又その10分の1が外人です。」と、話してくれた。
この任命書は、英文併記になっており、あるき四国遍路を行った約300人の外人達にとって、一生の記憶に残る
良いものと思った。

サロンの人は、「歩いて四国遍路をされた方々は、じっくり四国遍路を見聞・体験されているので、お帰えりになって、四国遍路の素晴らしさをPRする大使の役割をして頂き
たく、遍路大使任命書としてあります。」と、説明を加え
られた。

遍路大使への認命では、真面目に受けると、少しやっかいかもしれないが、「遍路大使と認命されてもたいした事は出来ませんが、それで良ければ…。」と、
気楽に認命書を受け取った。 あるき遍路を終えたら、回想記事をブログ公開する考えでいたので、
この記事公開で遍路大使の役目を、少しは果たせるものと考えていた。

「四国歩き遍路」のテ-マ記事引出しに、既に20を超える記事が溜まっており、もう十分ではと考え出している。 これらの記事を読んだ人には、今の時代の四国遍路の光景が、少しは浮かんでくる
ものと、勝手に思っている。

頂いたDVDには、四国遍路で訪れる八十八ヶ所霊場を、美しい季節・厳しい季節を含めた映像に
してあり、何時になっても記憶を蘇らせてくれる良い土産となった。  


  • Posted by ボブ at 14:43Comments(0)四国あるき遍路

    2013年10月29日

    親切な人々 あるき遍路回想

    昨年10~11月の時節に四国に出掛け、初めての遍路を乗り物を一切使わずに歩き通し、88ヶ寺+10ヶ寺の巡礼を行うことが出来た。

    この成就は、不慣れな土地を歩いて、道に迷うと土地の人々の親切な教え・案内があり、一日中歩き通す苦行に疲れを覚える頃に、お遍路への暖かい励ましの言葉・お接待がある等、四国の何処でもお遍路を暖かく支えてくれる風土のお蔭だった。

    多くの方々から親切を受けたが、中でも昨年10月30日に愛媛県内子町で受けた親身な親切は、
    忘れ難い思い出になった。

    29日は、43番寺の明石寺を参拝の後、卯之町旅館まつちや に宿が取れ、お遍路に良い評判の女将さんの暖かなモテナシに、一日の疲れが取れ、また卯之町の四つの自慢を教えてもらっている。

    30日(火)は、卯之町から大洲市を通り抜け、内子町で宿を取る予定で、平坦な道を歩く行程と歩く距離は多くなく、楽な一日と考えていた。 大洲市の十夜ヶ橋大師堂をお詣りし、内子町に4時前に着いていた。 すぐに町の観光センタ-に行き うちこ散策マップ をもらい、この情報から宿取りを
    開始した。

    マップによると宿は6軒あり、平日なので宿は何処かで取れると気楽に考え、小さな町なので一軒
    一軒と訪れ宿泊を頼んだが、すべての宿から満室の理由で断られてしまった。 最後に尋ねてみた
    月乃屋 の主人は、「今日は、ドイツの団体客が内子町を訪れており、どの宿もドイツの客で埋まっている。」と、申し訳なさそうに事情を説明してくれた。

    月乃屋を去ろうとした時に、宿の主人は、内子町を出て約4Km先にお遍路無料宿 がある事と、
    その場所への道を詳しく教えてくれた。 さらに、「途中に道の駅 「内子フレッシュパ-クからり」 があるので、食べ物は、そこで調達して行くと良い。」と、アドバイスもしてくれた。

    6時前に道の駅に着き、その夜の食べ物を物色していると、中年の男性が「6時を過ぎると、弁当類は割引になるので、少し待って買ったほうがいいよ。」と、教えてくれた。
    さらに「お遍路さんは、今日の宿は取れているの?」と聞いてきたので、事情を話すと「知り合いで、泊めてくれそうな家に電話してあげる。」と言い、3軒ほど電話してくれたが、都合はつかなかった。

    6時が過ぎて、弁当と飲み物を買い、長岡山トンネル先の無料宿を目指して歩き始めた。 すっかり暗くなり、懐中電灯を使いながら心細く歩いていると、車が一台止まり、駅の道で親切にしてくれた
    男性で、「お遍路さん、この弁当は明日も大丈夫だから、食べてよ。」と手渡してくれた。

    車が去って、さらに道を歩いていると軽トラックが止まり、月乃家の主人が「宿の仕事が空いたので、お遍路さん、無料宿までお送りします。」と、言ってくれました。

    乗り物を一切使わない あるき遍路 をしていると説明し、お礼と共に丁寧にお断りしたが、暗く寒さを覚える道を歩き続けていた私は、これら二人の親身の親切に感動し、元気を取り戻していた。

    宿が取れない場合を考えて、野宿への用意もしてあったが、その夜の寒さでの野宿は、翌日以降の体調に悪影響が出たはずだが、親切な人々のお蔭で、お遍路無料宿の暖かな布団で眠れ、翌朝のお弁当もあって、健康を損ねることなくあるき遍路を続けられた。

    1年前の出来事は、鮮明に脳裏に残っており、この先も忘れ難い思い出として、残るものと思う。

                      〈 10月29日 43番寺 明石寺を参拝 〉 

      


  • Posted by ボブ at 11:59Comments(0)四国あるき遍路

    2013年10月03日

    四国あるき遍路 GO!

                          ア-カイブ記事      公開 : 2012年9月30日

    10月に入りましたら、天候の様子を見て 四国八十八ヶ所霊場 を巡る「四国あるき遍路 に、出発します。 

    あるき遍路は、乗り物を一切使わずに自分の足を頼りに、四国八十八ヶ所霊場を巡るものです。
    途中に へんろ転がし など、難所が何か所も有るそうですので、途中で挫折すれば、早く戻る事と
    なり、最短では1週間以内でギブアップし、戻っているかもしれません。
    この場合、水泳教室での合言葉 「三ナイ主義」 (歳を忘れない見栄を張らない頑張らない。」 に従って、あるき遍路を行った結果となります。

    次のケ-スとして、一つの県で一回戻り、再び出掛け、4回の四国行きで結願させるつなぎ遍路
    可能性もあります。 この場合は、疲労度・体力・気力などの状態から判断し、4回に分けて行う形になります。

    最長のケ-スは、1回の四国行きで 88ヶ寺+10ヶ寺 を巡り、約1,400Kmを歩き通すもので、
    これが達成出来れば健康の証しともなり、一生の良い思い出となります。
    こちらの場合は、中学英語テキストに載っていた、田部井淳子さん の言葉に、従った結果です。
    田部井淳子さんは、エベレストの登頂と七大陸最高峰の踏破を、女性として、世界で初めて成功
    させています。
     
         “ You can reach the top of any mountain if you walk step by step.
          You don’t have to walk fast. You only have to keep walking.
          There’s no shortcut , no giving up.”

    「着実に歩けば、貴方は如何なる山の頂上にも着く事が出来ます。 早く歩く必要はありません。 
     必要なことは、歩きを続けることです。 手っ取り早い方法はありません。 諦めないことです。」

    *上の言葉は、山の頂上目標 に替え、歩く行う に替えても通じる、よい教訓です。

    ボブのブログの更新は、戻ってからとなりますが、いつ戻れるか?は、今のところ不明です。
    無事に、結願出来ましたら、四国あるき遍路の報告記事を公開しようか、と思っています。

    では、もうすぐ四国に、出掛けます。

    追記 : 2013年10月3日
    昨年の今日10月3日に、新幹線で京都に行き、高速バスに
    乗り換え夕方に鳴門市に入りました。
    その晩は、鳴門市のホテルに泊まり、翌日から四国あるき遍路をスタ-トし、乗り物を一切使わずに通しで 四国一周をすることが出来、たくさんの良い思い出を残せました。

    田部井淳子さんの言葉に従って、歩き続けた結果でした。  


  • Posted by ボブ at 08:19Comments(0)四国あるき遍路

    2013年09月25日

    秋の花 あるき遍路回想 

    四国遍路の旅では、泊まった宿や飲食店で、その地ならではの美味しい食べ物・珍しい食べ物を
    味わう事が出来、それらを 美味・珍味 あるき遍路回想 の記事にし、舌の記憶を残している。

    書き出しに、「旅の楽しみの一つは、その地ならでの食べ物を知ることで…。」と述べたが、歩き進む中で、各地に育つ草木の花や、特有の植物・作物を見るのも、旅の楽しみだった。

    昨年10月3日に鳴門市に入った時は、夏の暑さが残っていたが、歩きで四国一周を終え、徳島県に戻った11月16日の坂東は、冬に近い寒さがあり、四国の一月半の季節の移ろいを感じさせられた。

    鳴門から歩き出し、出合った花や植物・作物の数々をスナップに残しており、それらを再び見ると、
    四国の秋の花・生活風景・季節の移ろい等が、懐かしく思い出されて来る。

    スナップ写真の幾つかを、順に並べてみると;












    上左 … 彼岸花とも云われる曼珠沙華。 平地から山地に入ると、これから咲く状態だった。
    上右 … かんきつ類栽培が盛んな四国。 10月上旬では、まだ青いミカンが多かった。












    上左 … 10月中旬にハイビスカスの花が咲いていた。 室戸ハイビスカス通りに約500本。
    上右 … 淡い紫色のアザミの花。 歩く道脇にたくさん見られた。 












    上左 … 琉球アサガオの花。 人家の庭にも植わっていたが、あちこちの野で繁茂していた。
    上右 … 道端のコスモスの花。 収穫後の田に、蒔かれた群生コスモスの花も見事だった。 












    上左 … 背高あわだち草の花。 いまに四国は、この外来種に占領される勢いで蔓延っていた。
    上右 … 足摺岬の椿街道。 10月下旬に既に開花していた。 椿街道は椿の木のトンネルだった。 












    上左 … 野菊の花。 背丈は低く、道脇に良く咲いており、この清楚な花を美しく感じた。
    上右 … ユキノシタ(?)の花。 11月上旬に、札所の水舎下で、美しく咲いていた。  













    上左 … 花の形が少し変わっているが、美しく目を楽しませてくれた。 名前は不明。
    上右 … 皇帝ダリアの花。 11月に入って、あちこちの家・畑で咲いていた。












    上左 … 柿の木。 10月上旬に四国に入った時は、まだ実は青かった。 すっかり葉がおちていた。
    上右 … モミジの紅葉。 満願となる88番大窪寺の参道で。 多くのお遍路が写真を撮っていた。 

    歩いた道筋で、一番多く見た花はランタナ (和名 七変化)で、多くの家の庭に植えられていたが、
    気候が合うのか大きく育ち、たくさんの花を咲かせ、11月中旬には瑠璃色の実をつけていた。



      


  • Posted by ボブ at 10:43Comments(0)四国あるき遍路

    2013年09月20日

    鬼が笑う

                         ア-カイブ記事             公開 : 2011年12月12日

    ボブのブログを始めて6ヶ月が過ぎ、雑多な記事を公開していますが、このブログで自身の行動を
    記録したり、おりおりの想いを書き残しています。

    また、このボブのブログ には、テ-マ記事 引き出しボタン を付け、引き出しは13になりました。

    テ-マ別の引き出しがあると、過去記事を読み返す時に探すのが早く出来、付けて良かったと思っていますが、あるテ-マは早いペ-スで引き出しに記事が溜まって行くのに、別のテ-マでは記事が
    少ないのが、明らかになります。

    特に、「四国歩き遍路」のテ-マでは、記事公開を一度も行っていませんが、テ-マ記事引き出し
    ボタンを作る時に、来年に行いたい 四国八十八ヶ所霊場巡り の記事用にと、用意したものです。

    四国巡礼は、もともと「死出の旅」を前提として成立すると言われていましたが、今は「再生の旅」・
    「癒しの旅」と言われているそうです。 私の四国巡礼は、乗り物を使わず歩いて行う予定 で、人間再生が出来なくとも、歩き通せれば健康の証しになり、良い思い出となるはずです。

    来年の予定に対し、引出しを用意 して頭に浮かんだのは、「来年の事を言えば鬼が笑う。」でした。 自分がいつあの世に行くか?の天命が分からないのに、来年に行おうと考える四国あるき遍路 に、テ-マ記事引出しを用意するのは、鬼に笑われる事では?と迷うものでした。

    友人のK氏に、私の迷いを話しましたら、『「明日の事を言えば鬼が笑う。」の諺もあるぜ。 だからと言って、何の計画も持たずに生きていたら、君の生き甲斐は生まれず、そして長生き出来る保障も
    ないのさ。』と、教えてくれました。

    K氏の教えですっきりしましたが、「四国あるき遍路」の引き出しを、空いたまま年越しとさせないように、この「鬼が笑う」の記事公開をしました。


    2年前、秩父三十四ヶ寺札所巡りを行った時に、31番観音院に登る参道で、この石碑を見つけました。

    すごい人が居るものと感心する一方で、
    癒しの旅」にはまってしまうと、この様になる
    のか?とも考えました。





    追記 : 2013年9月20日
    昨年10~11月に、乗り物を一切使わずの四国あるき遍路を行い、無事に結願出来ました。
    家に戻り、四国あるき遍路での数々の思い出を、記録しておこうと記事公開を続けた結果、今では
    「四国歩き遍路」の引出しの中に、一番多くの記事が溜まりました。

    あと2~3の記事を追加して、「四国歩き遍路」の記事書きを終え、来年予定の新たなテ-マ用に
    14個目の引出しを準備したいと考えています。
      


  • Posted by ボブ at 10:46Comments(0)四国あるき遍路

    2013年05月24日

    美味・珍味 あるき遍路回想

    旅の楽しみの一つは、その地ならではの食べ物を知ることで、四国遍路の旅も同じだった。

    宿で出された食事、ビジネスホテルに泊まった夜の外食、歩きの最中に買った
    昼飯の弁当などなど、歩き進む各地で様々な食べ物に出合い、どれも美味しく
    食べ、歩くエネルギ-の本としていた。

    毎日30~40Km歩く遍路旅は、胃腸の調子が良くなり、快食の日々が続き、食事に地元ならではの食べ物・珍しい食べ物が供されると嬉しく、さらに食が進んでいた。

    食べ物に好き嫌いが無い私は、味の良し悪しも良く分かる方で、未経験の食べ物に出合うと、必ず
    食べ試したくなり、昨年の四国あるき遍路でも、美味・珍味な食べ物の数々が、舌の記憶に残った。

    ☆.あるき遍路で味わった食べ物
     ①.カツオ塩タタキ … 土佐のカツオは、今まで食べたカツオと別の魚かと思うほど美味しく、塩を
             擦り込ませた刺身を、スライスのニンニクと一緒に食べるのが、本場の食べ方。 

     ②.サバ塩タタキ … 土佐清水のブランド サバを、塩タタキで味わった。 サバとは思えぬ旨さ。 

     ③.サワラ刺身 … 太平洋側で獲れるサワラだけが、刺身で食べられると、教わりながら食べた。
                              
     ④.スマガツオ刺身 … 徳島の外食で、今日の一押しとして薦められ食べた。 濃厚な味の刺身。  

     ⑤.鯛の兜煮 … 伊予北条で泊まった太田屋旅館は、お遍路さんには鯛めしをサ-ビスしてくれ、
             オカズの一品に鯛の頭を兜割にして、ゴボウ・他と炊いてくれた。 これが絶品の味。

     ⑥.四方竹煮物 … 10月に採れる細いタケノコで、切り口が四角い。宿で食べ美味しかったので、
                 外食時の飲み屋で頼んだら、丼ぶり一杯も出て、他の品を多く頼めなくなった。

     ⑦.マコモダケ天ぷら … 外食時にアスパラガスのような味だと教わり、頼んだ。上品な食味。
               タケノコ・キノコの類と思って頼んだものだが、違っていて、四国特産でもなかった。

     ⑧.マンボウから揚げ … 鳥のから揚げと同じような食感。 一皿290円とお手頃値段だった。

     ⑨.アコヤガイひもかき揚げ … 宇和島手前の内海では、真珠養殖を行っており、泊まった宿で
                        今日から手に入るようになったと、サ-ビスとして、出してくれた。

     ⑩.ウツボのタタキ … 高知で食べ損ね、戻った徳島の飲食店で食べた。 少しウナギに似た
               味で、タタキは旨かった。 ウツボを調理出来る板前が、少ないとの話だった。

     ⑪.長太郎貝焼き … 長太郎貝とはどんなものか?と注文したら、ホタテ貝を小さくした形で、
            貝殻は様々な色(紫・橙・黄など)をしたヒオウギ貝だった。 ホタテより甘味があった。  

     ⑫.せい塩茹で … 「せい、入りました。」と貼ってあり、せいとは何か?と注文した。 せいとは
             亀の手の方言で、塩茹でされた亀の手は、濃厚な貝+海老の味がして美味だった。

    四国には、まだまだ美味しい食べ物・珍しい食べ物があるので、また四国を訪れ、その時は遍路旅ではなく、四国の味探訪の旅としたい。

           〈 亀の手 大きさ 6センチ 〉                〈 土佐久礼 福屋旅館の夕食 〉

      


  • Posted by ボブ at 09:29Comments(2)四国あるき遍路

    2013年05月13日

    トイレ事情 あるき遍路回想

    歩き遍路の水分補給 は、飲料自販機に頼れば良いと考えスタ-トしたが、旧遍路道で通り抜ける
    古い集落や農村などには自販機が見当たらず、困った経験をした。

    別に、戸惑った経験として、宿の和式トイレ使用 があった。

    昔からのお遍路宿や民宿のほとんどが、和式トイレの共用であり、四国の水事情から水は流さない
    浄化槽タイプが多かった。
    浄化槽では、槽に落ちてきた糞尿を微生物を使って分解処理するそうだが、トイレを多くの人が使う宿では、浄化槽の中で分解処理が間に合わず、強烈な臭いを発していた。
    トイレの窓が開けられ、芳香剤が置かれていたがあまり効かず、強烈な臭いにヘキエキさせられた。
    さらに、和式トイレのしゃがみ込む姿勢は苦痛を感じ、落ち着いて用を足しづらいものだった。

    歩き遍路で、毎朝に快便を得られるかどうか?は非常に大切なことで、宿から出発前に大の用を
    済まさずにいると、本来は排泄すべき物を体に留めており、歩きへの負担となってしまうものだ。
    さらに、歩いている最中に便意を催して来たりすると、場所探しで困った状況に陥ちいってしまう。

    汲み取りの和式トイレで育った私だが、今は洋式+ウォッシュレット+消臭機能付きのトイレに慣れて
    しまっており、出来れば洋式水洗トイレを使いたいと思いながら、和式トイレを使っていた。

    歩き遍路を進める内に、人口の多い地区にあるコンビニのトイレと、国道沿いなどにある道の駅
    トイレを使用出来ることが分かり、困った時に使わせてもらうようになった。
    特に、駅の道の多機能トイレ内は広く、リュックや金剛杖・菅笠などを置く十分なスペ-スがあり、
    落ち着いて使わせてもらった。

    気持ち良く清潔な洋式トイレに慣れてしまった私は、歩き遍路の泊まり宿で、和式トイレの使用を
    望まなかったが、「郷に入れば、郷に従え」を忘れ、出遭う全てを受け入れねばならぬ遍路修業で、我が儘な考えをしていた事であり、反省しなければならない。

     〈 四国のトイレで時々見た、水鉄砲/ピストル。〉

    *便器の下中ほどにバタフライ弁があり、浄化
      槽から上がってくる臭気を止めている。

    *用足しの後、バタフライ弁にのった汚物を、
     水鉄砲/ピストルから出る水で、弁の下に
     洗い流す。
      


  • Posted by ボブ at 09:56Comments(0)四国あるき遍路

    2013年05月06日

    水分補給 あるき遍路回想

    昨年10月4日からの、乗り物を使わない四国あるき遍路で、時々困ったのが水分補給だった。

    出発前、持ち物を揃えていた時に、水筒を持参するかどうか、迷っていた。
    あれこれ物色し手に持っと、水筒自体に重さがあって、水を入れれば更に重い持ち物になる事と、
    毎日の洗ったり・水を入れたりが面倒と思えてきた。
    結論として、自販機でペットボトル飲料を買えば済むと考え、水筒持参は止めてしまった。

    実際に遍路道を歩き始めると、旧遍路道が通る古い集落や農村では、商店は止め閉っている事が
    多く、過疎化が進んでいる土地には自販機は無く、飲料の調達が難しい状況に遭ってしまった。

    昨年10月の四国は好天が多く、夏を感じる暑さが残る中、12Kg のリュックを背負っての歩きは、
    すぐに汗が噴出し汗だくとなってしまい、いくら水分を補給しても、喉がすぐに渇くもので、脱水症に
    ならないよう自販機を探しながら歩いていた。

    ようやく自販機を見つけると、その場で飲む飲料の他に、500ccのペットボトル飲料2本を余分に
    買い、常に予備として持ち歩くようになった。 10月中に飲んだペットボトル飲料は、毎日6~7本と
    なったが、それらは30~40Km歩いている内に、すべて汗となり消えていった。

    夕方に、ようやく宿入りが出来ると、すぐ風呂に入れてもらい汗を流し、6時には夕食となった。
    この夕食時に飲むビ-ルは堪らなく旨いもので、乾ききった土に吸い込まれる雨の如く、大瓶1本はあっと云う間に、我が体に吸い込まれていった。
    追加のビ-ルを頼みたかったが、他のお遍路で2本も飲んでいる人はおらず、また長い時間での
    夕食は、宿に迷惑を掛ける事と知り、大瓶ビ-ル1本で我慢し、早々に自分の部屋に引き上げた。

    就寝までに時間はたっぷりあることと、日中の歩きで疲労を感じる体は、アルコ-ル水補給を求めており、必然的に部屋での飲酒となっていた。

    部屋で飲む酒類は、いつも苦労せずに買うことが出来た。 四国では、酒類の自販機があちこちに
    設置されており、「未成年は…。」などの注意書きはなく、何時でも自由に買えた。 
    また、土佐の酒店・飲み屋には、キリンラガ-ビルのポスタ-が貼られ、たっすいがは、いかん! と書かれおり、お国の方言・飲酒の文化を知ることも出来た。

    昼間は、飲料水の自販機を探しながら歩き、夕方になると、酒類の自販機を探しながら歩いたが、
    酒類の自販機の方が容易に見つかり、四国ならではの有り難い文化を感じた。

    宿の部屋で自販機で求めた酒類を飲み、「だっすい(脱水症)は、いかんぜよ!」とばかり、十分な
    アルコ-ル水の補給を行い、その夜の熟睡で疲労回復の毎日だった。

            〈 さすが四国、嬉しい自販機。 〉
      


  • Posted by ボブ at 10:50Comments(0)四国あるき遍路

    2013年03月04日

    贅沢なトンネル あるき遍路回想

    四国は、海と山がせめぎ合う地形と云われ、国道が山に行き合う場所も多く、必然的にトンネルが
    多くあった。  

    四国に入り、鳴門から歩き始め、1番霊山寺から順打ちで回り始め、22番平等寺までのお詣りを
    済ませるまで、トンネルには出会わずに済んでいた。 
    23番薬王寺に向かう道路195号を歩き進んで、あせびトンネルに出会い、初めてトンネル内を
    歩くことになった。

    トンネルの両端に、幅1メ-トル弱・高さ20センチ位の歩行者用スペ-スがあったが、歩行者を守る柵や手すりは無いものだった。

    歩くと、脇を通り抜ける大型車との隙間は、
    1メ-トルも無く、大型車の風圧と轟音は凄まじく、私は対抗車線側を歩くようにし、特に大型車が
    来る時は、壁に体を寄せ通り過ぎるのを待った。

    初めてのトンネルを過ぎ、阿波福井に進むと
    国道55号に入り、次々とトンネルに出会う事となった。 四国一周の歩き遍路を終えてみると、通り抜けたトンネルの数は、70を超えていた

    トンネル内の歩行は、大型トラックとの怖い擦れ違い・排気ガスを含んだ不快な空気・暗い空間など、出来れば避けたいものだった。 さらに、古く老朽化が目立つトンネルでは、内壁のヒビ割れや水の浸み出しも見られ、強度上での不安を感じ、少しでも早く通り抜けたい気持ちになった。

    昨年12月の笹子トンネル崩落事故は、多数の犠牲者を出す大惨事で、安全管理の欠如が原因と
    云われた。 四国のトンネルでは定期的な点検と補修が行われているようで、実際にそれらの現場を見ながら、トンネルを通り抜ける時もあった。

    10月11日に通った日和佐トンネルでは、片側車線を封鎖し、トンネル内の補修工事をしていた。
    長さが690メ-トルもあるトンネルの中に、多くの工事車両がいて、それらから出るディ-ゼルエンジンの排気ガスが、トンネル内に濃くこもっており、トンネル内で働く工事の人達は、全員が防護マスクを着用していた。 無防備の私は、目と喉が酷く痛み、辛い歩きの体験となった。
    この体験から、マスクはトンネル歩きの必需品 と、次に見つけたコンビニで、マスクを買っていた。

    その後、トンネルの通り抜けを重ねても、トンネルに出遭うと嫌な気持ちの私だったが、10月28日に宇和島に向かう国道56号に、歩行者・原付以下の専用トンネルが有り、初めて気分良いトンネル
    歩きが出来た。

    内海ふれあいトンネルと、嵐坂 風の通り道の2本で、車が通らずひんやりした空気は気持ち良く、
    トンネルの壁にタイル絵など装飾も有り、歩行者は楽しみながら歩ける贅沢なトンネルだった。

           〈 内海ふれあいトンネル 〉                 〈 嵐坂 風の通り道 〉


      


  • Posted by ボブ at 10:17Comments(0)四国あるき遍路